村屋坐弥冨都比売神社の守屋宮司に教えていただいた田原本町蔵堂の須佐之男神社の宵宮。
トーヤが供える百味の御食(ひゃくみのおんじき)があると云っていた。
かつては隣村の大字大木で採れたカモウリを台に串で挿した数々の食物。
今では台がカボチャに替ったが、豪華な盛りだと話していた。
その様子を知りたくて伺った大字大木と蔵堂を挟む大和川。
東西に走る街道北に須佐之男神社が鎮座する。
陽が落ちるころになっても集まってくる気配はない。
夕方5時頃には宵宮を案内する蔵堂村のマイク放送が聞こえてきた。
どうやら神社を誤っているようだと思って、街道にあった商店で店番をしてはった老婦人に尋ねた。
話しによれば、そこだと思っていた神社は大字為川の須佐之男神社。
同名であったのだ。
婦人が話すに大字為川南方・蔵堂・遠田(天理市)の三カ大字の講中が持ち回りで行っている数献當(すこんどう)講があるそうだ。
村境の掘り出された壺のご神体として祭る講中の営みはこの日であった。
前年は蔵堂が持ち廻りの大字。
この年は遠田に移ったそうだ。
小字古屋敷と呼ばれる遠田池より南西角で受け取るご神体の受け渡し。
為川は来年に戻ってくる。
戻ってきた当日には「神さんが来たぞ」と云って講中に呼出をする。
以前は15軒もあった為川の講中は11軒。
受け取った当屋家は前日の宵に提灯を揚げておくと云う。
三カ大字で受けもち廻る数献當講はそれぞれの大字によって呼び名や講中の営みが異なる。
「オスコスサン」と呼ぶ為川南方では別称に「餅喰い講」がある。
「赤飯講」と呼ぶのは蔵堂で「スコンドウ」と唱える。
「芋喰い講」とも呼んでいるのは遠田で、数献當講を「スウトンコウ」或いは「スウコントウコウ」とも呼ぶようだ。
つまり呼び名もそうだが、食材は「餅」、「赤飯」、「芋」、それぞれに違うのである。
数献當講の概要を知って探した蔵堂の須佐之男神社は集落内の北側に鎮座している。
村内の辻々には提灯を掲げている。
ヨミヤの印しである。
拝殿前に建之されていた燈籠には文化十年(1815)が刻まれていた須佐之男神社。
社殿は二社ある。左が弁天さんを祀る市杵島姫神社、右が須佐之男神社だそうだ。
かつては神社右横に神宮寺の薬師堂があったと伝わる。
本殿には大きな二段の鏡餅を供える。
両社殿前に設えた斎壇の御供が百味の御食(ひゃくみのおんじき)だ。
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半切りしたカボチャは二膳。
それぞれの膳に竹串を挿している。
一つの膳に挿した竹の串は25本。
12本の栗にナツメの実も12本で中央にはショウガを1本とする膳。
これを月の数と云って、旧暦閏年の場合は栗、ナツメそれぞれが13本で合計の本数は27本になると守屋宮司が話す。
かつてはカボチャでなくて、「カモウリ」であった台の膳は扇が開いたような造りである。
宮司の話しによれば、カモウリは万葉植物のレンコンのようだったと云うが、瓜の名があることからおそらくトウガン(冬瓜)であったろう。
ヨミヤが始まる直前に供えたという4軒のトーヤ。
蔵堂の年中行事は四つある。
3月のショウグンサンに8月のオヒマッツアン、ヨミヤに元旦祭のようだ。
元々はオヤトーヤと3人コトーヤで構成されるトーヤであった。
戦後に改正されて4人のトーヤが分業して営むようになった56戸集落の蔵堂は旧川東村。
トーヤ決めはカンの内部に番号札を入れて籤を引いた。
オヒマッツアンにはお米集めもするトーヤ。
ご飯を炊いて村人を待つようだ。
百味の御食と呼ばれる御供は二つの膳の前に並べたサトイモ、ナシ、レンコン、ニンジン、ダイコン、ゴボウ、ナスの七種の品々。
これを7膳並べて7×7=49皿。
仏式の数値となるのは、かつて神宮寺であった薬師堂の名残であると云う御食はザクロ、カキ、スダチも並べる。
ヨミヤの時間ともなれば再びやってきた4人のトーヤ。
宮司と里の巫女さんを迎えて神事が行われる。
本社の提灯に火を灯しても御供の形が判り難い。
祭祀される方々の承諾を得て参拝者が途絶えた際に撮らせていただいた百味の御食の姿に感動する。
こうして始まったヨミヤの神事は暗闇の中で祝詞を奏上する。
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トーヤらの祓えの儀を終えて、拝殿で女児巫女が舞うのは平神楽。
東井上(ひがしいね)や村屋坐弥冨都比売神社で神楽を舞っていた小学六年生の女児巫女は今回で3度も拝見した。
表情、動きが美しい舞いに見惚れるありさまだ。
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そのうち、村人が続々とやってくる。
参拝者は「十二とう」を納めて神楽の舞。
村人が云う「シャンコシャンコ」はありがたいと鈴で祓ってもらう。
在所の禰宜さんも息子を連れて参拝された。
(H25.10.11 EOS40D撮影)
トーヤが供える百味の御食(ひゃくみのおんじき)があると云っていた。
かつては隣村の大字大木で採れたカモウリを台に串で挿した数々の食物。
今では台がカボチャに替ったが、豪華な盛りだと話していた。
その様子を知りたくて伺った大字大木と蔵堂を挟む大和川。
東西に走る街道北に須佐之男神社が鎮座する。
陽が落ちるころになっても集まってくる気配はない。
夕方5時頃には宵宮を案内する蔵堂村のマイク放送が聞こえてきた。
どうやら神社を誤っているようだと思って、街道にあった商店で店番をしてはった老婦人に尋ねた。
話しによれば、そこだと思っていた神社は大字為川の須佐之男神社。
同名であったのだ。
婦人が話すに大字為川南方・蔵堂・遠田(天理市)の三カ大字の講中が持ち回りで行っている数献當(すこんどう)講があるそうだ。
村境の掘り出された壺のご神体として祭る講中の営みはこの日であった。
前年は蔵堂が持ち廻りの大字。
この年は遠田に移ったそうだ。
小字古屋敷と呼ばれる遠田池より南西角で受け取るご神体の受け渡し。
為川は来年に戻ってくる。
戻ってきた当日には「神さんが来たぞ」と云って講中に呼出をする。
以前は15軒もあった為川の講中は11軒。
受け取った当屋家は前日の宵に提灯を揚げておくと云う。
三カ大字で受けもち廻る数献當講はそれぞれの大字によって呼び名や講中の営みが異なる。
「オスコスサン」と呼ぶ為川南方では別称に「餅喰い講」がある。
「赤飯講」と呼ぶのは蔵堂で「スコンドウ」と唱える。
「芋喰い講」とも呼んでいるのは遠田で、数献當講を「スウトンコウ」或いは「スウコントウコウ」とも呼ぶようだ。
つまり呼び名もそうだが、食材は「餅」、「赤飯」、「芋」、それぞれに違うのである。
数献當講の概要を知って探した蔵堂の須佐之男神社は集落内の北側に鎮座している。
村内の辻々には提灯を掲げている。
ヨミヤの印しである。
拝殿前に建之されていた燈籠には文化十年(1815)が刻まれていた須佐之男神社。
社殿は二社ある。左が弁天さんを祀る市杵島姫神社、右が須佐之男神社だそうだ。
かつては神社右横に神宮寺の薬師堂があったと伝わる。
本殿には大きな二段の鏡餅を供える。
両社殿前に設えた斎壇の御供が百味の御食(ひゃくみのおんじき)だ。
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半切りしたカボチャは二膳。
それぞれの膳に竹串を挿している。
一つの膳に挿した竹の串は25本。
12本の栗にナツメの実も12本で中央にはショウガを1本とする膳。
これを月の数と云って、旧暦閏年の場合は栗、ナツメそれぞれが13本で合計の本数は27本になると守屋宮司が話す。
かつてはカボチャでなくて、「カモウリ」であった台の膳は扇が開いたような造りである。
宮司の話しによれば、カモウリは万葉植物のレンコンのようだったと云うが、瓜の名があることからおそらくトウガン(冬瓜)であったろう。
ヨミヤが始まる直前に供えたという4軒のトーヤ。
蔵堂の年中行事は四つある。
3月のショウグンサンに8月のオヒマッツアン、ヨミヤに元旦祭のようだ。
元々はオヤトーヤと3人コトーヤで構成されるトーヤであった。
戦後に改正されて4人のトーヤが分業して営むようになった56戸集落の蔵堂は旧川東村。
トーヤ決めはカンの内部に番号札を入れて籤を引いた。
オヒマッツアンにはお米集めもするトーヤ。
ご飯を炊いて村人を待つようだ。
百味の御食と呼ばれる御供は二つの膳の前に並べたサトイモ、ナシ、レンコン、ニンジン、ダイコン、ゴボウ、ナスの七種の品々。
これを7膳並べて7×7=49皿。
仏式の数値となるのは、かつて神宮寺であった薬師堂の名残であると云う御食はザクロ、カキ、スダチも並べる。
ヨミヤの時間ともなれば再びやってきた4人のトーヤ。
宮司と里の巫女さんを迎えて神事が行われる。
本社の提灯に火を灯しても御供の形が判り難い。
祭祀される方々の承諾を得て参拝者が途絶えた際に撮らせていただいた百味の御食の姿に感動する。
こうして始まったヨミヤの神事は暗闇の中で祝詞を奏上する。
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トーヤらの祓えの儀を終えて、拝殿で女児巫女が舞うのは平神楽。
東井上(ひがしいね)や村屋坐弥冨都比売神社で神楽を舞っていた小学六年生の女児巫女は今回で3度も拝見した。
表情、動きが美しい舞いに見惚れるありさまだ。
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そのうち、村人が続々とやってくる。
参拝者は「十二とう」を納めて神楽の舞。
村人が云う「シャンコシャンコ」はありがたいと鈴で祓ってもらう。
在所の禰宜さんも息子を連れて参拝された。
(H25.10.11 EOS40D撮影)