天理市南六条の頭家たちに聞いた竜田川の御幣岩。
30年前の竜田川はぬるぬるだったと云う。
御幣岩があるはずだと聞いた場は斑鳩町の神南。
竜田川から注ぐ川は大和川と合流するもっと手前。
三室山付近だという。
草むらに覆われていて、探してみたが見つからなかったと南六条の頭家経験者が話す。
その辺りを探してみるが見当たらない。
竜田川の水量は多い。
砂地などは見ることもできない川になっていた。
川底の砂地までを掬って壕のようになった川。
護岸工事がされたのであろう。
そこから北に戻って尋ねた西公民館。
ご親切な対応で私たちが探す御幣岩の所在を教えてくださったN職員さん。
回答してくれたのは斑鳩iセンターの方だ。
観光マップを広げて示してくれた場は三室山を登る階段右側に表示板があり、その左側にあると云う。
付近に生えている草まみれであれば見つけることは困難だと云うが、とにかく行ってみようということになった。
駐車場といえば、現在岩瀬橋の付け替え工事をしている東側に町営駐車場。
トイレも完備する無料の駐車場である。
聞いた通りに三室山に行ったが階段辺りにはそれらしきものが見当たらない。
道路を自転車で走っていた男性に尋ねても知らないと返す。
三室山がある地の小字は垣内山。
それより北側は稲葉車瀬になる。
山頂には神岳神社の祠があるらしい。
男性は川に下りていった。
そこでは鯉釣りをしていた若者がいた。
ロッド竿を投げていた場には鯉がうじょうじょいる。
そこにあった御幣岩の案内板。
その前が御幣岩である。
川に下りる階段もある。
ここが現在の禊の場であった。
川浚え工事の際に岸辺に移したのであろう。
御幣岩の裏側には昭和56年3月吉日とある。
今から32年前のことであるから南六条の人たちが云った時代と一致する。
風化によって刻まれていた御幣の形は判別し難い。
この辺り、江戸時代のころは御祓川と呼ばれていた。
御幣岩で神事が行われていたらしい。
御幣岩の存在を確かめた帰りがけたときのことだ。
若者が釣り糸を垂れていたロッドがしなった。
鯉のヒットである。
重量でロッドがひん曲がる。
鯉の引きは強い。
逃げようとする鯉との戦い。
気力を失ったのか。ロッド竿を持ち上げようとしても無理がある。
思わずタモを持ってきた男性は若者のおじいちゃん。
度々釣りにきているそうだ。
この日のヒットは3度目の投入。
うじょうじょいる鯉のエサは食パンだ。
鯉釣りのエサは蒸かしたイモではなく食パンだったのだ。
たしか麩でもエサになる。
ゲットした鯉の体長を測る。
体長は60cm。ずっしりとした重さである。
嬉しいヒットに笑顔を見せてくれたのは高校一年生のⅠくんだ。
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ゲットした大魚はキャッチアンドリリースする。
調べてみれば本物の御幣岩は彼の後方に沈んでいるようだ。
西公民館のN職員が話した川施餓鬼。
それも確かめたくて堂山にやってきた。
観光マップには堂山の竜田城跡と示されている。
片桐且元が築城した城である。
堂山は公園化されていた。
そこには観音さんが立っていると話すiセンターの職員の声に釣られて探してみた。
高さは4メートルもある青銅製の観音立像。
近年に建てられたものであろう。
建碑に平成12年5月21日とある。
建之された団体は龍田観音建立奉讃会。
護持者は龍田和音之会であった。
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iセンターの職員の話しによれば5月第二日曜日に施餓鬼法要が平成22年にあったそうだ。
水死者を弔う施餓鬼法要であったと思われる。
法要は50年間も続いているようだ。
(H25. 9.29 EOS40D撮影)
30年前の竜田川はぬるぬるだったと云う。
御幣岩があるはずだと聞いた場は斑鳩町の神南。
竜田川から注ぐ川は大和川と合流するもっと手前。
三室山付近だという。
草むらに覆われていて、探してみたが見つからなかったと南六条の頭家経験者が話す。
その辺りを探してみるが見当たらない。
竜田川の水量は多い。
砂地などは見ることもできない川になっていた。
川底の砂地までを掬って壕のようになった川。
護岸工事がされたのであろう。
そこから北に戻って尋ねた西公民館。
ご親切な対応で私たちが探す御幣岩の所在を教えてくださったN職員さん。
回答してくれたのは斑鳩iセンターの方だ。
観光マップを広げて示してくれた場は三室山を登る階段右側に表示板があり、その左側にあると云う。
付近に生えている草まみれであれば見つけることは困難だと云うが、とにかく行ってみようということになった。
駐車場といえば、現在岩瀬橋の付け替え工事をしている東側に町営駐車場。
トイレも完備する無料の駐車場である。
聞いた通りに三室山に行ったが階段辺りにはそれらしきものが見当たらない。
道路を自転車で走っていた男性に尋ねても知らないと返す。
三室山がある地の小字は垣内山。
それより北側は稲葉車瀬になる。
山頂には神岳神社の祠があるらしい。
男性は川に下りていった。
そこでは鯉釣りをしていた若者がいた。
ロッド竿を投げていた場には鯉がうじょうじょいる。
そこにあった御幣岩の案内板。
その前が御幣岩である。
川に下りる階段もある。
ここが現在の禊の場であった。
川浚え工事の際に岸辺に移したのであろう。
御幣岩の裏側には昭和56年3月吉日とある。
今から32年前のことであるから南六条の人たちが云った時代と一致する。
風化によって刻まれていた御幣の形は判別し難い。
この辺り、江戸時代のころは御祓川と呼ばれていた。
御幣岩で神事が行われていたらしい。
御幣岩の存在を確かめた帰りがけたときのことだ。
若者が釣り糸を垂れていたロッドがしなった。
鯉のヒットである。
重量でロッドがひん曲がる。
鯉の引きは強い。
逃げようとする鯉との戦い。
気力を失ったのか。ロッド竿を持ち上げようとしても無理がある。
思わずタモを持ってきた男性は若者のおじいちゃん。
度々釣りにきているそうだ。
この日のヒットは3度目の投入。
うじょうじょいる鯉のエサは食パンだ。
鯉釣りのエサは蒸かしたイモではなく食パンだったのだ。
たしか麩でもエサになる。
ゲットした鯉の体長を測る。
体長は60cm。ずっしりとした重さである。
嬉しいヒットに笑顔を見せてくれたのは高校一年生のⅠくんだ。
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ゲットした大魚はキャッチアンドリリースする。
調べてみれば本物の御幣岩は彼の後方に沈んでいるようだ。
西公民館のN職員が話した川施餓鬼。
それも確かめたくて堂山にやってきた。
観光マップには堂山の竜田城跡と示されている。
片桐且元が築城した城である。
堂山は公園化されていた。
そこには観音さんが立っていると話すiセンターの職員の声に釣られて探してみた。
高さは4メートルもある青銅製の観音立像。
近年に建てられたものであろう。
建碑に平成12年5月21日とある。
建之された団体は龍田観音建立奉讃会。
護持者は龍田和音之会であった。
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iセンターの職員の話しによれば5月第二日曜日に施餓鬼法要が平成22年にあったそうだ。
水死者を弔う施餓鬼法要であったと思われる。
法要は50年間も続いているようだ。
(H25. 9.29 EOS40D撮影)