マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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岩壺葛上神社・祭りの子ども相撲

2019年02月15日 10時06分21秒 | 大淀町へ
東鳴川のマツリ取材を終えて南下する。

東鳴川は県内最北。

少し走るだけで京都・加茂町や笠置である。

次の取材先は大淀町の山間地になる岩壺(いわつぼ)。

明日香村から新芦原トンネルを走行する峠越え。

直線で結ぶ距離はおよそ40km。

一般道だけにそこそこの時間を要する。

大淀町岩壺に鎮座する葛上神社(※葛神神社とも)の祭りに子どもが役目する相撲がある。

「ワッタイ ワッタイ ワッタイヨー」の掛け声とともに腕をぐるぐる回す。

子どもが単独で所作するのではなく、介添えする大人が腕を支えて回す。

県内事例では極めて珍しい所作があると平成23年3月に大淀町教育委員会が刊行された『大淀町の民俗―平成22年度の調査報告書―』ならびに昭和25年3月に同委員会が刊行された『おおよどの地域文化財を学ぶ―平成19年~23年度「おおよど歴史学習会」事業成果報告書―』に報告がある。

現在の祭りの日は平成16年より体育の日に移ったが、かつては11月7日から9日の三日間であった。

7日は「座」。

その晩は青年団による千本搗きとゴク撒きがあった。

翌日の8日がヨミヤで9日がお渡りに子どもの相撲ならびにゴク撒きで終える祭りであった。

岩壺をカーナビゲーションに設定して車を走らせる。

現地入りしたときはまさに出発直後。

道路下にある公民館から出てきたばかりの氏子さんたちに遭遇して大慌て。

代表と思われる方に突然の取材願い。

名刺を手渡しながらの自己紹介に取材主旨を伝えて撮影許可をいただく。

行事のことをお聞きするのは後回し。

目で追いかけるお渡りの道具がたくさんある。

お話しを聞くのは後回し。

とにかくカメラで撮ってからにする。

遭遇した時間帯は午後1時50分だった。

それほど遠くない地に葛上神社がある。

お渡りの雰囲気はなく祭り道具を運んでいるようにしか見えない。

カメラがとらえた祭り道具は一番に目立つ12灯を吊り下げた提灯である。

「青年團」の文字に「御神燈」。

水平位置ではわかりにくいが、天頂に御幣、2灯、4灯、6灯を吊る十二振り提灯だ。

後続に青年若しくは高校生くらいの少年が持つ高張提灯もある。

後続にもう一つがあるから2基。

本社殿から見た拝殿前に掲げる。

オーコで運んでいる桶は御供餅。

丸餅もあるが、平べったい大きな餅もある。

玉串を乗せる八足台(※八脚案)を抱えて運ぶ人も。

先頭とはどういう道具であるのか。



追いかけて撮らせてもらったら、U区長が持つ御幣だった。

ススンボ竹の御幣は2本に、もう1本。

後ろについて歩く二人の子供も同じくススンボの御幣(※これをスモウトリの杖という)をもつ。

それぞれが1本ずつ持っているのでスモウトリ(※規定では小学6年生までの男児)の役目をするのだろう。

気になったのは後続についた男性が担ぐ道具である。

荒縄で結った注連縄らしきものに葉っぱがいっぱい。

シデ垂れも見られることから、これは勧請縄に違いないと思ったが・・・。

鳥居を潜って拝殿まで登っていく。

すべての道具はさらに登った階段の向こう側。

一段高い場に鎮座する葛上神社である。

社殿は三つあることから「三社はん」の呼び名がある神社である。

本社殿に向かって左の社は日尻権現社。

右が三十八社大明神である。

奇妙な、と思ったのが榊の葉をいっぱい取り付けた縄である。



架けることもなく本社殿の裏側に置いたまま神事が進行することだ。

祭礼のすべてが終わってもそのままにした縄はいったい何だろうか。

実に不思議なことである。

1本柱に12灯を下げた提灯はススキ提灯の名がある。

平成22年に記録された写真には2基のススキ提灯であったが、この日は1基だけだ。

区長らの話しによれば、ヨミヤ用とマツリ用の2基であるが、この日はマツリなので1基にしているという。

出番のないもう1基は保存ということだ。

役員たちが神饌御供などを奉っている間のスモウトリ(※相撲取り)。



作業を手伝うこともないから暇を持て余して御幣振り。

まだ神事は始まっていない。

オーコで担いで運んできた御供餅。

平たく長太い餅は牛の舌餅またはカサモチの名がある。

これらは神事や子ども相撲が終わってから階段下にいる氏子に投げるゴク撒き用。

餅はもう一つある。

四方形の御供台に載せた9個の白餅。



中央には覆いかぶせるように置いた牛の舌餅がある。

「三社はん」それぞれに供えるから3枚。

これをココノツゼン(九つ膳)と呼ぶ。

この在り方とよく似た供え方をしている地区がある。

桜井市の山間地。

白木三村中の一村である中白木のマツリの頭屋祭

ここもまた三社に供えていた「ガニノモチ」である。

ちなみに隣村の北白木にも「カニノモチ」御供はあったが、随分前に廃れたと聞く。

本社殿に立てかけた御幣。



大御幣には違いないが、小の御幣には半紙で包んだフングリがある。

三社さんともローソクに火を点けてこれより神事が行われる。

なお、本社殿の前に立つ斎主の位置はコモを敷いていた。

神事の進行を妨げないように、火点けを見届けて階段を下り、拝殿辺りに移動する。

立ち位置をそうさせていただきますと伝えた上での移動である。

一段高い位置に登ってところで斎行される神事を見守る氏子たち。

斎主の宮司は遠方地より戻ってこられたばかり。

川上村の井光(いかり)で神事をしてきた桧垣本八幡神社宮司。

娘さんの禰宜ともども岩壺での神事に出仕された。



祓えの儀は本社、末社の三社に社殿前に立つ氏子総代、区長らに代表(※頭家)。

相撲の所作をする幼稚園児のスモウトリにも祓ってくださる。



そして拝殿辺りにおられる氏子にも祓えの儀。

御扉は開けずに献饌をする。

そして祝詞奏上、玉串奉奠、撤饌である。

次に、宮司が所作をする奉幣振り。

まずは本社殿に奉っていた御幣を取り出す。

役目は代表(※頭家)の一人。

その御幣を宮司に差し出す。



宮司は正面を拝し、コモを敷いた社殿の階段をあがって作法をする。

御幣をもつ手を左に右に幣を振る。



その次に代表(※頭家も宮司の作法を見倣って奉幣振りをする)。

岩壺には上座と下座の二座で構成される座講(ざこう)があった。

その二座の頭家であるが、平成18年に解散されて村行事に移した。

村行事に移してはいるが特徴的な御幣がある。

お渡りの際に区長が抱えて運んでいた御幣のうち1本は一年間も預かっていたマツリの御幣である。

今年の御幣は青々としているが、一年間も憩いの家で預かっていた御幣は枯れたススンボ竹。

明るい色の褐色である。

頭家制度があった時代は頭家宅にあったと思われる、いわゆるお戻りになられる神さん遷しであったろう。

こうして神事を終えた宮司と禰宜は退座する。

代表(※頭家)も階段を下って割拝殿中央で待機する。

このときを見計らって高台に移動する。

これより始まる子ども相撲にゴクマキはどの位置から撮るのが最適なのか。

高台、それとも下から・・。

どの行事でもそうだが、悩ましき立ち位置の選択である。

準備を整えるスモウトリ。



区長や世話人が二人の力士に褌を締める。

フンドシは白い晒し木綿の長布。

肩から股にかけて腰で締める褌である。

ユニークなのは二人の力士の肩かけである。

左右の肩かけに違いがある。

神さんから見て右に居る力士は左肩。

左に立つ力士は右肩にというわけだ。

後についた代表(※頭家)の二人は力士を介助する役目にある。

さて、力士が立つ場である。

割拝殿の真ん前。

階段の登り口になるその空間に藁を敷き詰める。

力士が奉った御幣を手にして階段を下る。

御幣は寝かせるような形で階段に立てかける。

力士の姿は普段着。

裸でないが、白い晒しでわかる褌姿である。

意気揚々と下ってきた力士が並ぶ。



右方の力士は左腕を広げて、右腕は相手の肩を組む。

左方の力士は右腕を広げて、左腕で組む。

広げた二人の腕を代表(※頭家)が掴んで動きを支える。

ここまでが土俵入りであろう。

スモウトリを見守るように拝殿辺りに身を寄せる氏子立ち。

スモウトリの所作をスモウトリらに伝える世話人。

「ワッタイ ワッタイ ワッタイヨー」と云いながら腕は後ろ廻しにする、と説明する。

徐に始まったスモウトリ。

周囲にいる氏子たちも一緒になって「ワッタイ ワッタイ ワッタイヨー」。



腕を後ろ廻しに回転させたらハナと呼ばれるオヒネリが飛んでくる。

あちこちから飛んでくるオヒネリは、力士に目がけて、白い軌跡を描くように飛んでくる。

「一億、十億、百億・・・」と次いで掛け声がかかれば、またもオヒネリが飛び交いながらも「ワッタイ ワッタイ ワッタイヨー」も。

「百億、千億、一兆・・」と金額は上昇してオヒネリが・・。

そりゃー、そりゃの掛け声も混ざるところに「痛いよ!」と悲鳴をあげる声も。

その声は力士。

まともに身体あたるオヒネリ。

実は硬貨である。

重りになる程度の重さであるから当たるカ所によっては痛いのだろうが、タネは五百円玉、百円玉、五十円玉などの硬貨。

役員たちの話しによれば昨年も同額だったそうだ。

「ワッタイ ワッタイ ワッタイヨー」、「ワッタイ ワッタイ ワッタイヨー」、「ワッタイ ワッタイ ワッタイヨー」の3連続。

最後にしようかと云って「ワッタイ ワッタイ ワッタイヨー」で締めた。

この年の詞章は以下の通りであったが、平成22年の行事記録とは若干の違いが見られる。

その年、その年によって金額は異なるのかもしれない。

尤も、昭和47年刊の『大淀町史』に記載されていた詞章とも違っているようだから、当時の物価ではなく、山添村で見られる山の神に捧げる刀の金額表記と同じ意味を成すものと思われる。

階段下に散らばったオヒネリの数は相当な数だ。



拾い集める役員や氏子たち。

その様子を見ている力士。



のちほどの直会の場で力士の子どもに披露されることだろう。

そして始まったゴクマキ。

マツリの締めににぎわうゴクマキである。



オーコで担いできた木桶いっぱいに盛った御供餅。

先に撒くのは丸餅。

これを撒くだけでも賑わうが、締めくくりに撒くのはカサモチ。

牛の舌餅の名で呼ぶこともあるが・・・。

御供餅は前日に餅を搗いた。

松の木で作った千本杵で搗いた。

餅は3升。



臼にしてみれば4臼だったという御供餅もあっという間に撒かれていく。

行事に使った道具類は後片付け。

憩いの家の倉庫に仕舞って落ち着く間もなくオヒネリの算用。



百円玉、五十円玉、十円玉、五円玉に選り分けて勘定する。

これより始まる直会は遠慮、である。

かつてマツリを終えた頭家は上座、下座それぞれが頭家の引継ぎがあった。

岩壺は25戸。

村を四つに区分けして次に受ける頭家に引き継いできたが、現在は村代表(※頭家)の2軒を決めるようだ。

(H29.10. 9 EOS40D撮影)