4日前の12日に立ち寄った明日香村豊浦・甘樫垣内大神宮。
近所の人ならご存じだろうと、思って隣家のおばあさんに尋ねたら、14日の夕方に提灯をかける竿を設える、と話してくれた。
提灯吊りの藁紐は毎年に新調して付け替え、古い竿は飛鳥川に流す、とわかった甘樫垣内のダイジングサン。
実施日時は7月16日の夕刻(午後6時)より。
参拝した後は、当番のヤド家に場を移して直会をしているようだった。
甘樫垣内の大神宮石塔に立ち寄った経緯がある。
前年の平成28年9月5日。
飛鳥の弥勒さんの祭り取材を終えて、帰路ついでに立ち寄った周辺地区の散策。
目についた祭り道具に行事の存在を感じた豊浦のダイジングサン。
豊浦、といえどもエリアは広い。
ここはどこなんだろうか。
大神宮石塔のすぐ横に流れる川は飛鳥川。架かる橋の名は「甘樫橋」。
当地に住まうご近所さんに聞けばわかるだろう。
たまたま庭におられた高齢の婦人。
毎年の7月16日に、ご近所さんが集まってダイジングサンをしている、という。
夕方の時間帯。甘樫垣内に住む10軒の営みである。
石塔に架ける竹の棒にロープつくりの輪っか。それにお家の提灯を吊るす。
設営などをする年番廻りの当番は“ヤド”がする。
ダイジングサンに参った後は、供えたお菓子は垣内の子どもたちに配る、と話していた。
ほぼ、甘樫垣内のダイジングサン行事の概要がわかった。
到着した時間帯は午後5時半。
婦人が話していたとおりであった。
竹竿を水平に設え、ロープで作った輪っかもセッテイングしていた。
竹竿は、太神宮石塔の両端に植わっている樹木に縛り、落下しないように結わえていた。
竹竿は伐ってきたばかりの青竹でなく、古い竹だった。
12日に見た、古い竿は川原にあった。
お供えを乗せる長椅子を設置。
その一部に並べ、参拝する場はブルーシートを敷いていた。
ちなみに太神宮石塔を、じっくり拝見しても、不鮮明な刻印としかわからない。
かろうじて判断できた「□□□十四年□□」である。
風化状態から判断した江戸時代。
14年以上という長期に亘る年号は元禄(1688~1704)、享(1716~1736)、宝暦(1751~1764)の3通りが考えられるが・・・。
なお、後年の令和2年11月に太神宮石塔の画像を見てもらった友人のYさんが、これは「たぶんに昭和六年四月吉日です」と、伝えてくださった。
江戸時代でなく戦前に建之された石塔。
その後、はっきり認識できるようになった。
江戸時代と思い込んだ、そこに気づきを失っていた。
大いに反省すべき点を教えてくださったYさんに、感謝である。
で、ロープの数は8本。
右端にもう1本があった。
後ほどに挨拶できたヤド家のT家が云うには、8軒に減ったそうだ。
尤も、本日の参拝は6軒くらいになる、と思います、だった。
時間ともなれば、垣内の人たちがやってきた。
手には提灯を持っている。
太神宮さんに着いたら提灯を吊るす。
提灯はすぼめてローソクに火を点ける。
どのお家の提灯もみな固有の家紋がある提灯。
新調した白い提灯もあれば、淡い色調の古い提灯も。
飴色になればなるほどに古い提灯。
年代を感じる提灯もある。
その形は、すべてが竹などで作った自在カギ付きの手提げ提灯。
取材した数か所の大神宮行事でも見たことがあるいわゆるぶらり、あるいはぶら提灯の呼び名もある送り提灯である。
一つは天理市庵治町・春日のゴウシンサン。
隣垣内の出垣内・茶垣内のゴウシンサン。
甘樫では太神宮の文字読みからダイジングサンと呼んでいるが、天理市、三宅町、川西町、田原本町ではゴウシンサン(※充てる漢字事例に郷神さん、郷申さんがある)の呼び名が多くみられる。
尤も、同じ天理市内であってもダイジングサンと呼ぶ地域もまた多い。
私の知る範囲内であるが、明日香村も、橿原市も、葛城市も、大和郡山市も・・。
提灯が一つ増え、二つ増え・・・。
西日が傾きかけるころである。
「遠慮せんと、こっちにならびや」と声をかけたかどうか、はっきりは聞き取れなかったが、若い女性も並んで、みなが揃ったところではじまった甘樫垣内のダイジングサン。
お家代表の6人は下段に降りてブルーシートに座る。
座布団のない場に正座して太神宮さんに拝礼。
参拝は、二礼、二拍手、一礼で終えた。
みな揃って参拝する儀式。
実にすかっとした参拝だった。
そして、すぐさま始まった御供配り。
お供えは箱から取り出して一つずつ手渡し。
受け取る参拝者は予め家から持ってきたビニール袋に詰めていく。
大人も子供もみなそうしている笑顔の御供下げが微笑ましい。
吊った提灯も下ろしていく。
下段に降りられなかった婦人には手渡し。
参拝が始まって3分後には解散した。
これから始まるヤド家のヨバレ。
いわゆる神事後の直会(なおらい)であるが、今でもヤド家がもてなす会食の宴である。
昔は、家の料理のヨバレであったが、今では手間のかからない、料理つくりの負担をなくし、注文仕立てのパック詰め料理に替えたそうだ。
なお、事情で参拝に来れんかったお家にも御供下げがある。
そのお家の分は別に分けておき、直会が終ったときに持って帰ってもらうようにしていると、婦人が話してくれた。
(H30. 7.12 SB932SH撮影)
(H30. 7.16 EOS7D撮影)
近所の人ならご存じだろうと、思って隣家のおばあさんに尋ねたら、14日の夕方に提灯をかける竿を設える、と話してくれた。
提灯吊りの藁紐は毎年に新調して付け替え、古い竿は飛鳥川に流す、とわかった甘樫垣内のダイジングサン。
実施日時は7月16日の夕刻(午後6時)より。
参拝した後は、当番のヤド家に場を移して直会をしているようだった。
甘樫垣内の大神宮石塔に立ち寄った経緯がある。
前年の平成28年9月5日。
飛鳥の弥勒さんの祭り取材を終えて、帰路ついでに立ち寄った周辺地区の散策。
目についた祭り道具に行事の存在を感じた豊浦のダイジングサン。
豊浦、といえどもエリアは広い。
ここはどこなんだろうか。
大神宮石塔のすぐ横に流れる川は飛鳥川。架かる橋の名は「甘樫橋」。
当地に住まうご近所さんに聞けばわかるだろう。
たまたま庭におられた高齢の婦人。
毎年の7月16日に、ご近所さんが集まってダイジングサンをしている、という。
夕方の時間帯。甘樫垣内に住む10軒の営みである。
石塔に架ける竹の棒にロープつくりの輪っか。それにお家の提灯を吊るす。
設営などをする年番廻りの当番は“ヤド”がする。
ダイジングサンに参った後は、供えたお菓子は垣内の子どもたちに配る、と話していた。
ほぼ、甘樫垣内のダイジングサン行事の概要がわかった。
到着した時間帯は午後5時半。
婦人が話していたとおりであった。
竹竿を水平に設え、ロープで作った輪っかもセッテイングしていた。
竹竿は、太神宮石塔の両端に植わっている樹木に縛り、落下しないように結わえていた。
竹竿は伐ってきたばかりの青竹でなく、古い竹だった。
12日に見た、古い竿は川原にあった。
お供えを乗せる長椅子を設置。
その一部に並べ、参拝する場はブルーシートを敷いていた。
ちなみに太神宮石塔を、じっくり拝見しても、不鮮明な刻印としかわからない。
かろうじて判断できた「□□□十四年□□」である。
風化状態から判断した江戸時代。
14年以上という長期に亘る年号は元禄(1688~1704)、享(1716~1736)、宝暦(1751~1764)の3通りが考えられるが・・・。
なお、後年の令和2年11月に太神宮石塔の画像を見てもらった友人のYさんが、これは「たぶんに昭和六年四月吉日です」と、伝えてくださった。
江戸時代でなく戦前に建之された石塔。
その後、はっきり認識できるようになった。
江戸時代と思い込んだ、そこに気づきを失っていた。
大いに反省すべき点を教えてくださったYさんに、感謝である。
で、ロープの数は8本。
右端にもう1本があった。
後ほどに挨拶できたヤド家のT家が云うには、8軒に減ったそうだ。
尤も、本日の参拝は6軒くらいになる、と思います、だった。
時間ともなれば、垣内の人たちがやってきた。
手には提灯を持っている。
太神宮さんに着いたら提灯を吊るす。
提灯はすぼめてローソクに火を点ける。
どのお家の提灯もみな固有の家紋がある提灯。
新調した白い提灯もあれば、淡い色調の古い提灯も。
飴色になればなるほどに古い提灯。
年代を感じる提灯もある。
その形は、すべてが竹などで作った自在カギ付きの手提げ提灯。
取材した数か所の大神宮行事でも見たことがあるいわゆるぶらり、あるいはぶら提灯の呼び名もある送り提灯である。
一つは天理市庵治町・春日のゴウシンサン。
隣垣内の出垣内・茶垣内のゴウシンサン。
甘樫では太神宮の文字読みからダイジングサンと呼んでいるが、天理市、三宅町、川西町、田原本町ではゴウシンサン(※充てる漢字事例に郷神さん、郷申さんがある)の呼び名が多くみられる。
尤も、同じ天理市内であってもダイジングサンと呼ぶ地域もまた多い。
私の知る範囲内であるが、明日香村も、橿原市も、葛城市も、大和郡山市も・・。
提灯が一つ増え、二つ増え・・・。
西日が傾きかけるころである。
「遠慮せんと、こっちにならびや」と声をかけたかどうか、はっきりは聞き取れなかったが、若い女性も並んで、みなが揃ったところではじまった甘樫垣内のダイジングサン。
お家代表の6人は下段に降りてブルーシートに座る。
座布団のない場に正座して太神宮さんに拝礼。
参拝は、二礼、二拍手、一礼で終えた。
みな揃って参拝する儀式。
実にすかっとした参拝だった。
そして、すぐさま始まった御供配り。
お供えは箱から取り出して一つずつ手渡し。
受け取る参拝者は予め家から持ってきたビニール袋に詰めていく。
大人も子供もみなそうしている笑顔の御供下げが微笑ましい。
吊った提灯も下ろしていく。
下段に降りられなかった婦人には手渡し。
参拝が始まって3分後には解散した。
これから始まるヤド家のヨバレ。
いわゆる神事後の直会(なおらい)であるが、今でもヤド家がもてなす会食の宴である。
昔は、家の料理のヨバレであったが、今では手間のかからない、料理つくりの負担をなくし、注文仕立てのパック詰め料理に替えたそうだ。
なお、事情で参拝に来れんかったお家にも御供下げがある。
そのお家の分は別に分けておき、直会が終ったときに持って帰ってもらうようにしていると、婦人が話してくれた。
(H30. 7.12 SB932SH撮影)
(H30. 7.16 EOS7D撮影)