マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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続、大柳生太鼓踊り

2005年08月23日 01時54分45秒 | 奈良市(東部)へ
回り明神さんの当家宅に訪問させていただいたらどこかで見たようなお方が。

そうだ、昨年の秋の三角跳び。大保町の八坂神社でお世話になった当家さんだ。

私のことも覚えていただいていて感激。

当家のご親戚で今日はお手伝いに来られているんですって。

いつもご一緒させていただいている方々の写友連も紹介させてもらった。

大柳生太鼓踊り

2005年08月23日 01時42分30秒 | 奈良市(東部)へ
奈良市大柳生の太鼓踊りは江戸時代始めに流行した風流芸能のひとつで、もともとは田楽などの系統芸能と考えられています。

大きく枝が開いた造花の飾りを背中に着けて、胸の前に下げた「カッコ」と呼ばれる太鼓を叩きながら踊る、優雅で勇壮な踊りで、県の無形民俗文化財に指定されています。

始めにひと踊りをした後、地区の代表によって口上が読み上げられます。

「謹んで太鼓踊りの奉納の由来を申し上げる。・・・さぁー踊り子一同、ご用意なされぇーそうろうや。」大太鼓の合図で「大ジュンヤク」踊りが始まります。

「シナイ」飾りを背負った八人の踊り子は中踊りとよばれます。

背中の「シナイ」は紙で作った花飾りとヒノキをうすく削って作った房がつけられています。

背中に大きな御幣をつけた大太鼓打ちは4人の少年たちが担当します。

踊り子の近くにいる「サイハイ」を振る羽織の人たちは師匠と呼ばれ、拍子役を務めます。

「大ジュンヤク」を踊った後、「ダイゼンオドリ」「シノビオドリ」と続きます。

こららの踊りは「タンカ」とよばれ、説話や当時流行した歴史物語、風俗ものの内容が盛り込まれ節を付けたものです。

当家宅の中で白い装束を着た方は「明神(みょうじん)」さんです。

地元の夜支布(やぎゅう)山口神社の分霊である回り明神を一年間お祀りする当家の方です。

太鼓踊りは回り明神さんに見えるように、庭先で奉納されるもので約1時間ほど行なわれます。

太鼓踊りは雨乞いを祈願するものですが、大柳生では戦いの出陣、凱旋の踊りと考えられています。

太鼓踊りを終えると盆踊りが始まります。

昔は地区の若い人たちが勝ち抜き戦で相撲をとっていたそうです。
(H17.8.17撮影) 

ピィーーー鳴り音が

2005年08月22日 22時20分24秒 | つうしん
パソコン買って2年半。
半年ほど前からピィーーー鳴り音が止まらないぁ。
これが出だすと速度が1/10になっちゃって。
遅いし、うるさいし。
あーーーーたまらんストレス。
おかげさんで?HPアップもする気がおこらない。

メーカーに電話したら、ハード故障と思われるって。
その前電話したときの回答は即、リカバリーデイスクだとさ。
なんでんかんでん。

リカバリーしても同じ事象でたらどーするんやろ?

結局、持ち帰り修理に依頼することにした!
今月末に自宅まで引き取りにきますって。
一週間はかかる。
代替機対応は「ない!」。悲しい。

保証書が見つからず、期間も過ぎとるし、で、費用は約4万円。
つらいのーーーー・

このメモを書くのに何時間かかってんだろうなあー。。