マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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天理の中山田・K家の田植え祝いさなぶりのフキダワラ

2024年12月17日 07時56分45秒 | 天理市へ
田植え後に行われるさなぶりのあり方を拝見した。

経緯は、今年の1月11日に行われた村行事にある。

天理市山田町の一角。

大字中山田の蔵輪寺である。

7年前の平成24年の5月13日に遡る。

ここ山田町にある田植え初めに行われている植え初めの調査に立ち寄った中山田。

街道から見たその場に白いモノが見える。

軽トラくらいしか通れないような里道を上がっていた。

停車する広地もなくあるお家の庭前に置かせてもらって見たそれは栗の枝木にぶら下げていたフキダワラ。

個数は3個で3枚の御幣もあった。

ヤナギの枝木にこれまた不思議な形の巻紙もあるし、護符を巻き付けたウルシ棒も立てていた


お花を植えていたあるお家の奥さんと話していたときに出合った蔵輪寺の森口住職。

その年に行われた旧暦閏年の庚申行事を済ませて戻ってきた住職だった。

そのときに話してくださった蔵輪寺オコナイ行事は、今年の令和2年1月11日に初めて拝見した。

行事を終えた村の人に尋ねたこれらの祭具はどうされるのですか、である。



その問いに答えてくださったのが、Kさん。

田植え時期に、うちのおばあさんがフキダワラを作って立てていると話してくださった。

千載一遇の縁をもらって取材を承諾してくださった。

数日前の天気予報では3日、4日は雨天予報であったが、まったく降らないほぼ晴れ模様に一転した。

田植え後にさぶらきをするのは、Kさんの母親。

昭和8年生まれのS子ばあちゃんは87歳。

Kさんも、30年前に嫁いできたお嫁さんのTさんも、詳しい手順は知らない、という。

田植えを終えて戻ってきた、その田の一角にそれがありますねん、と話してくれた。

家から一番遠いところにある田んぼから始める田植え作業。

実家に戻ってくる3人の子どもたちが中心になってするとか・・

どことなくイメージができあがってきたK家の田植え祝いのさなぶり。

オコナイ行事に祈祷した護符。

カワヤナギの枝木にくくりつける。

その枝木にもう一つ。

それがS子ばあちゃんがつくる御供のフキダワラ。

田植えを終えたときに田の一角に立てて豊作を願うさなぶりである。

すべてを終えるのは4日の午後くらいですと、聞いていたので午後1時半過ぎに訪問した。

聞いていた田んぼを見渡した。

田のすべてが、なーんと田植えはもう済んでいた。

その田の一角から、坂道を上りつめたお家を訪れた。

近くまで来てすぐにわかった美味しい匂い。

ご自宅の庭に設営した家族揃って食べるバーベキュー。



着くなり、食べてや、と云われて、取材は後に廻し、ご厚意でよばれるバーベキューをご相伴にあずかる。

食べ乍ら横におられる63歳のKさんが話してくれたここら辺りの自然景観の語り。

田んぼや水路に、かつてはよく見かけたタイコウチにゲンゴロウ。

さらに、メダカもカワヤナギもみな消えた・・・

暮らしの話題から民俗へ。



話題は膨れていくばかりにおばあちゃんの出番を待たせては気の毒でそこまで。

お願いします、と始めてもらったフキダワラ作り。

母親からこねぇーするんやで、といわれて育った、という。

自宅に自生する蕗を2枚重ね。

その中に包む御供は小豆も白大豆も月の数の12粒。

今年は旧暦閏年だから13粒。

少量の洗い米も一緒に包んで横槌を打って柔らかくした餅米の藁でくくってできあがり。

フキダワラそのひとつしか供えないのでカメラ撮りにビデオ収録も、一発撮に失敗はできない。

それを1月のオコナイでたばったカワヤナギの又部分に引っかける。

元々は3月末から4月初めにかけて作る苗代と4月末から5月初めにかけて行われる植え仕舞いに立てていた。

だが、現在はJAから苗を買うようになったから植え初めだけをしている。

平成24年5月13日の植え初め。

H家の婦人がいうには、ご高齢のIさんがフクダワラをつくっていた、という。

立てたその場は、H家下の田んぼ。

Iさんのおばぁちゃん。

祖母のIさんが立てた、と話してくれた。

話は遡るが、そもそも平成2年の1月12日に行われた中山田蔵輪寺オコナイの取材中に出会った村の人の声である。

オコナイにたばった漆棒とカワヤナギ。

そこに「うちのおばあさんが小さなフキダワラをしている」、と伝えてくれたのがきっかけ。

近くの日になれば、いつごろにするのか、わかってくるから電話して、と云ってくれたKさん。

前月の4月17日に伺った電話でお願いしたK家の田植え祝いのさなぶり。

おばあちゃんが、フキダワラをつくっているところから撮影をお願いさせていただいた。

電話で伝えるお願いにKさんの奥さんが応対してくださった。

嫁入りしてから、30数年にもなるが、家の農業はおじいちゃんから教えてもらった通りに、ずっと今でもしている、という。

聞いたもんがしっかり覚え、教えを守って行動する。

それをまた、子どもたちにも同じようにしっかり伝えていきたい、と話す奥さん。

畦元の雑草は奇麗にしておかない、と髭が伸びるように雑草は稲田まで侵入して荒らす。

だから、きちんとしなかん

で、ないとモグラが穴を開けて畔を壊して田は水漏れする。

前年の4月26日に亡くなったおじいちゃんは、村を流れる川からの取水でなく、山に登ったところにある水脈からパイプを引き込んだ谷水を、田んぼに引いて育てたら美味しいお米ができる、と話していた。

カンヅキ(※寒月)のころに細かくした稲わらは、土と混ぜて田んぼにすき込む。

籾藁は燻炭にして、これもまた畑にすき込んでおくと美味しいお米ができる。

ここら辺りの作付けはみなコシヒカリ。

つい最近にモミマキをしてハウスで温度管理に水の管理をしている。

田植えは、5月2日から3日、4日にかけて田植えをするが、フキダワラなどは田植えが終わったときにする(というからサビラキではなくさなぶり)。

長男、次男に娘の長女も孫さんも応援するから、畑作業が動きやすいように、とお父さんがつなぎを買ってやった。

村の人が見てきた、という県立民俗博物館所蔵の民俗映像に山田のKさんが映っているで、と聞いているが、未だに行けていないのという。

現在は、耐震工事中につき来年の3月まで見られないから「私がとらえた大和の民俗-つくる-」写真展図録を、今度来たときに持参しますから、と伝えた。

今月、5月1日の午後。

奥さんから電話があった。

予定日は、5月3日の日曜と4日の月曜日。

朝から夕方までの田植えは、家から一番遠いところから始めて徐々に下って家に近づく。

4日は家近く。

フキダワラはおばあちゃんの役で、今でも主役として動く。

蕗の葉に包むのは生米に小豆と白大豆。

蕗の葉に包む量は少ない。

足の具合がよくないから遠くまではいかないが、フキダワラつくりから立てるところまでは家に近いところになるから午後辺りになる、と・・・

そのような状況に、伺う時間は午後の昼過ぎ。

きっちりしなくとも、時間未定で寄せてもらい、フキダワラをつくるところも、田植えをするところも撮影承諾。

そのおばあちゃん引く手あまたの家の畑作のすべてをしている、という。

天気予報によれば3日、4日とも傘マークはあるから雨天決行になりそうだな、と思っていたが、予想は裏切られ、まったくもって、ほとんどが晴れの日。

一部は曇り空もあったが、祝日のみどりの日に寄せてもらった。

朝5時からはじめたと、いうこの日の田植え作業。

午前中に終えて、正午時間も過ぎた時間に摂っていたお昼はバーベキュー。

自宅の庭に広げたバーベキューに、家族揃ってだんらん中の食事時間中の取材訪問。



前述したように、到着し、挨拶もそこそこに美味しい肉の匂いに・・・・取材は後廻し。

ご厚意でよばれたご相伴にあずかったバーベキューの味。



とてもでっかい有頭海老に肉ステーキからレモン味プルコギもあれば焼きそばも・・

いずれも美味しいおもてなしを受けて、腰を据えてもぐもぐ時間。

一息ついて、昭和8年生まれのS子おばあちゃんにお願いしたフキダワラつくり。

つくる手は止めずに、説明してくださるS子おばあちゃん。



例年は12粒の小豆を詰める。



目出度い小豆は白大豆。



今年はまさに旧暦。

その場合は13粒の白大豆。

洗い米も入れた白大豆を、2枚の葉を重ねた蕗の葉に包む。

柔らかいモチワラでしっかり括る。

蕗の葉っぱは柔らかい。



茎は捨てずにそのままにしておき、その葉と茎の間にモチワラを入れて結ぶ。

くるり、くるりとワラヒモを巻いていく。



しっかり縛って結んで出来あがったフキダワラ。

俵の形でもなく、やや円形のフキダワラ。



こうして出来あがったカワヤナギのフキダワラは、農の神さんに捧げる供物。

これを、正月はじめのオコナイに祈祷した「牛玉 宝印」の書を巻いたカワヤナギの枝。

又のあたりに引っかけてワラヒモを結ぶ。

もう1本の栗の木には御幣結び。

2本が揃った豊作願いのしるし。

えー、カタチにできた、とともに喜ぶ。



ずっと、傍で見ていたKさん。

母親のS子おばあちゃんがつくったカワヤナギにフキダワラにもうひとつある、と・・・

手にした木は葉付きの栗の木。



近くに自生する栗の木の枝採ってくる。

若葉付きの栗の木にヒラヒラの御幣も括って・・



両方とも手にもってしみじみ見ていたKさん。

こうして用意が調った。

さて、行くか。

できあがったフキダワラ付きのカワヤナギを持って田んぼに向かう。

家から一番近い、すぐ近くの畔に出かける。

坂道をくだっていくS子ばあちゃん。



同時についていく息子夫婦に孫さんたちもそろってくだるわくわく感。

おばあちゃんの様子を見ておきたくて、ともに下ってきた母親のTさんに子供たち。

お父さんは田んぼの角地に挿して立てる。

昔からここだ、という田植えを終えたばかりの最後の地点になる畔に挿して立てた。



立ち位置を考えて撮らせていただいた家族の顔。

どこか愛しさを感じる。



一旦は、外した電柵も元の位置に据えた。

続いて、心を込めて豊作を願うS子おばあちゃん。



田植え祝いに「今年も良い年にお米をとらせてもらいますように、豊作でありますように・・」と小さな声でお願いして手を合わした。



かつて直播していた時代は、椿の花が咲く3月の水口にイロバナを添えてウルシ棒のごーさん立てていた。

今は、漬物蔵にある漬物蓋の上に置いてカビ除けにしている。

当時の直播は、裸足で田に入り作業していた。

モミマキしてから45日間後に田植え。

汁もんもはなく、おにぎりとかイロゴハンを田に持っていってケンズイに食べていた。

昼めしは自宅に戻って膳を広げてたべていた。

そのときに、一番最初に田植えする箇所に、2杷の稲苗束をお盆に載せた

盆には茶碗に盛ったご飯とジャコときな粉を、上からぱらぱら振りかけた御供。

家族みなが食べる膳をする場に供えた。

田植えの手伝いに“ウエコ”さんが居た。

親戚のものは、前日から宿泊していた。

朝早い5時からはじめたナエトリに田植えは、“ウエコ”がしてくれた。

「カダ」するとは楽する、簡単にする、という意。

「おまえ“カダ”やな」、といわれるのは略していること。

「アデ」は畔(あぜ)が訛った貞子さんの訛り言葉。

つまり、水口に“アデマツリ”をしていた、と・・・

(R2. 1.12 SB805SH 撮影)
(R2. 5. 4 SB805SH/EOS7D 撮影)


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