「ヨーロッパ・ジャズの黄金時代」という本を買いましたが、図書館で見つけたこちらは期限があるのでこちらを優先しました。
日本の銀座のクラブでウタバンをして、資金を稼ぎ、その鬱屈した音楽環境から新天地を求めることを語った本が南博の著書で「白鍵と黒鍵も間に」でした。
銀座の風俗と、そこに音楽を糧にするものの生き様が、ストレートに生きる南氏と相まってとても楽しく読んだ本でした。
その続編がこの「鍵盤上のU.S.A 」、全作で資金をためて、ボストン、バークレーに行くことになりましたので、そのバークレー編という事になります。
ミュージシャンがこのような文章を書く時間をいかにひねり出すのか、敬服いたします。文章は理論的、また社会的常識を踏まえていて、ミュージシャンがこう冒険したんだと言うものでなく真摯な音楽への取り組みが、この次作では増しています。
読んでいると、この南氏、とても真面目、ストイックに状況を判断するし、流されない、安易な私と違ってさすが大成をなすピアニストです。
でも、それは読む本としては興奮が少なく、前作に比べて、あららと思って読み進めました。(バークレーでいかに真面目にレッスンに励んだかがわかります。)
でもそのおかげで、南氏は素晴らしいオリジナリティーを確立されたようで、それはアルバムでわかるところです。
初めてボストンに着いてから、バークレーでの生活に馴染むまで、南氏自体かなり時間がかかったようで、それを読んでいるこちらもそこに時間がかかりました。
氏がとても真面目(私のように曖昧でない)でもちろん正面音楽に向かっているのですから、私のblogのようなノーテンキな記述は無いわけです。
本の中盤まではそんなこんじですが、さすがにボストンになれ、仲間になれた状況は呼んでいてとてもたのしい。良かったと思います。
とても良い部分の一節
ボストンにも慣れ、学習とセッションにあけくれる中、アルバイトでづっと演奏していた黒人ばかりのクラブ、ウォリーズで仲間の日本人のドラムスと弾くようになって、真面目に参加するミュージシャンの演奏に手を抜かないことをするので、そのセットは神風マザーファッカーというあだ名でもてはやされるようになりました。
「何曲か演奏して、休憩となった。
なにげなく僕がバーカウンターの方に歩み寄ろうとしたその時一人の杖をついた黒人のおばあさんが、よろよろ僕の方に近づいてきてこう言った。
『あたたのさっきのブルースのソロ、最高ダッタわよ。』
彼女右派僕に慮手を差し伸べたので、自然と僕も彼女の慮手を握る格好になった。
彼女がぎゅっと僕の手を握る。その瞬間、僕の目からとめどもなく涙がこぼれ落ちている自分に気付いた。」
なぜ涙が溢れたのかは、人種の壁のなかでJAZZを志すものの、もしくはそれを聞きながら理解しようとするものに理解できるもので、うれしい話でした。
実力をつけた南氏は幸運にもグリーンカードを得てニューヨークへ転出していくところでこの編は終わります。
ボストンについた頃の氏のストイックな感じは好みでありませんが、それもとても真摯な音楽へのあらわれ、素晴らしい素養をもったミュージシャンだと思います。
氏の色恋も書いてありますが、それはちょっとしか興奮しません(この歳)が、若いその雰囲気も伝わりました。
JAZZ好きとしては29章“名ピアニスト、クロスチャン・ジェイコブ”と31と32章“・スティーヴ・キューン”はピアノを志す人、ジャズ・ピアノが好きな人は必読ではないでしょうか。
ピアニストが感じ入る、技法と本質を、今活躍する人だからこそ、素直な表現でとても重い価値を感じました。
南氏の音楽を知らないで何を言っているという批評も私にあるかも知れません。
いつか氏に上手いタイミングで必ず会うことになると思っています。