障子が桟だけになった状態で張りだしてから終了まで5時間ぐらい、途中乾燥時間などがあるからズットじゃないけれどかなり時間がかかります。
でその時間で聴いたのがキースが自分のスタジオでオーバーダブさせて作った「NO END」です。
1986年に録音したものがいまになって発売とはどのような意味合いなのでしょう。
スタンダード・トリオとソロしかリアルに経験ない人には一寸驚く展開というか音並びです。
もちろんいくつかのアルバムがというかリダーとしてデヴューしたすぐ後に10種の楽器を演奏したアルバムをだしていましすから突然の行動ではありません。
同じようなパターンで続く演奏は、特に聞きこむというか集中を必要とするものでなく、キースのソロだったらこれは正しく聞いただろうけれど障子張り作業中には良い感じです。
それにしてもキースのフェンダー・ベースは上手くありません。
そんなことを言えばギターだってソニー・シャーロックの方が面白い。
このアルバムを聴いて、アマチュアでJAZZ演っている人はさぞかし安心しているのでないでしょうか。これぐらいのテクの人はざらにいるでしょう。ここでピアノの音が目だったら逆に困ってしまう。
4曲目まできてでも私、マイルスが晩年舞台でキーボードをひきながらハーモニーとか短いメロディを演っていましたがフッっとそんな場面を思い出しました。
ゲーリー・バートンとのアルバムではソプラノ・サックスをふいていたのになぜ今回は吹いていないのでしょうね。ヴォルテックスの「Restoration Ruin」を良く覚えていませんが、バートンのものもこれはアルバムとして楽曲を聴いてもらおうとしています。
今度のアルバムは、というか1986年の録音は、キースがピアノで行っているインプロヴィゼーションをピアノ以外の楽器で演りたかったのではないでしょうか。
頭の中に浮かび上がるキースのインプロヴィゼーションの形はピアノ以外でも変わらない。
その音楽を演奏することにテクニックは必要としない、持っているテクで表現する音楽、空中を漂うその音楽が今度のキースの音楽だということでしょうか。
佐藤允彦氏が提唱したランドゥーガという演奏スタイルを最近聴きましたが、あちらも特にテクにこだわらない、思い通りの即興を演ることで(優秀なミュージシャンが得意の楽器で参加するから良いものになる)成り立っていましたが、きーすのこれは一人ランドゥーガだったのかもしれません。
変な裏読みをするならば1986年のこの変わった録音を編集して出すことで、キースはこれからもっと変わった編成の演奏を出しますという露払いかもしれません。
そちらはキースのことなので謎ですが来年キースが来日した時には誰かが聞いてくれるかもしれません。
どちらにしても障子張の作業も上手く終わりました。障子張作業をしながら音楽が聞きたいという世界中の人にはこれは良いアルバムです。ってほとんどいないか。
良いと思うというよりか、キースの面白いアルバムです。
NO END / KEITH JARRETT
Keith Jarrett: electric guitars; Fender bass; drums, tablas, percussion, voice, recorder, piano.
CD1 i~x.
CD2 xi~xx.