(2016年11月 高崎)
青柳いづみこさんは、そう語っている。
「ことばを使って表現しきれないところ」があることを、詩を書きながら、わたしも感じている。
ドビュッシーの音楽は、しばしばことばを旗印にしているが、音楽はそこからさきに向かって、とても繊細に、フレキシブルに展開する。新鮮なフルーツのように、果汁がほとばしる(*゚v`)ノ
これまで見た(観た)ことのない風景をくりひろげ、耳をか . . . 本文を読む
昨日見かけたわが家の同居人、アマガエル(@_@)
どうぞじっくりご覧下さい。憎めないやつですよ、動きがユーモラスだし。
敷地内を探索すれば、こんな同居人が何十匹も出てくる。
どこにいるのかによって、皮膚の色が微妙にことなる。
人間もこんな風に皮膚の色変えられたらおもしろいのにね。 . . . 本文を読む
暁の通風口からまだ神々の寝息がもれる時刻。
風にゆれる橡の葉かげ眠っていたことばたちが
眼を覚まし・・・三々五々
つれだってこっちへやってくる。
大いなる景色の暗がりにあるresonatorが共鳴して
ささやかな音楽を奏でる。
それは神々の音楽であり おならなのだ。
夜と朝の波打ち際。
そこをゆっくり遠ざかっていくほっそりした人影があり
あれはもしかしたら 若き日の祖父かも知れない。
・・ . . . 本文を読む