二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

時は疾風(はやて)の如く  ~泰淳・百合子・花みんないってしまった

2025年03月14日 | エッセイ(国内)
■『「富士日記」を読む』 中公文庫(中央公論新社【編】 2019年刊 索引をふくめ301ページ)


     
《九月二十一日、泰淳氏の死の二週間前に「富士日記」は終わっている。
泰淳氏は去ったが、後に「富士日記」と、それによって紛れもない言葉の表現者としての武田百合子が残された。「富士日記」ほど、作者の全人格の表現である日記は稀であろう。その十六年半後の一九九三年五月二十七日、武田百合子氏も六十七歳の生涯を閉じた。》(黒井千次『「富士日記」を読む』190ページより)

黒井千次さんが、エッセイの終わりをそう結んのは1996年のこと。そしてわたしはつい先だって、一人娘の花(武田花)さんが、2024年4月30日に亡くなったということも知ってしまった。時は疾風のように、またたくまに過ぎさっていく。
泰淳さん64歳、百合子さん67歳、花さん72歳。死んだ人にとっては、またたくまのできごとであったろう。無常迅速・・・とわたしは唇を嚙みしめずにはおれなかった。
それが世の習いとはいっても、「おお、ああ。ああ」と涙にくれてしまう。

『「富士日記」を読む』は、中央公論社が雑誌形式で出したもの(いわゆるMOOK)を、文庫に収めたのだろう。泰淳・百合子の記念写真が、16-17ページにわたって収録されている。百合子さん本人の「その後の『富士日記』」を筆頭に、小川洋子、村松友視、中村真一郎、中村稔、大岡信、荒川洋治、須賀敦子、川上未映子など、30人を超える人々が、武田百合子さんの「富士日記」を、いまさらのように称えている。

わたし的には中村稔さんのエッセイに、ぐいと襟髪をつかまれて、切々と武田百合子さんに思いをはせ、深夜のベッドの中で涙を滲ませた。おもしろいのは予感していた。
しかし、なかなかこの“日記”に向き合うことができなかった。だからリビングの棚を、長いあいだかざっていた。

庄司薫さんが寄せておられる文章を読むと、武田泰淳がアル中であったことがわかる。彼は死の床でも「お水を下さい」といっていたようだけど、水=ビールであったことは、百合子さん、花さんは見抜いていた。
『「富士日記」を読む』にはすぐれた説得力のあるエッセイが少なくないが、中村真一郎『「富士日記」によせて』、中村稔「武田百合子さんの文章」、大岡信「文芸時評」などが他を圧していた・・・と思われた。
そこから少し引用させていただく。
《私たちがいま「富士日記」以来の作品に魅了されているのと同じく、私たちは四十年以上も前に、百合子さんの会話に魅了されていたのである。
それは無垢な精神が無意識に剔出する物事の核心であったり、およそ虚飾と無縁な率直な関心や感動であったり、さまざまな戦後の思想的社会的混乱の中で右往左往していた私たちを憫笑するような、確かな生活人の眼差であったりしたのだが、それがそのまま文章になったのが「富士日記」以降の作品であった。
百合子さんの場合、話し言葉がそのまま手紙になり、作品になった。》(中村稔「百合子さんの文章」126ページより。引用者による改行)

つぎに昭和42年7月、愛犬ポコの死にかかわる記事から。
《「埋める穴は主人が掘ってくれた。とうちゃんが、あんなに早く、あんなに深い穴を掘った。穴のそばにぺったり坐って私は犬を抱いて、げえっというほど大声で泣いた。泣けるだけ永く泣いた。
それからタオルにくるんで、それから犬がいつもねていた毛布にくるんで、穴の底に入れようとしたら「止せ。なかなか腐らないぞ。じかに入れてやれ」と主人は言った。だからポコをじかに穴の中に入れてやった。ふさふさした首のまわりの毛や、ビー玉の眼の上に土をかけて、それから、どんどん土をかけてかたく踏んでやったのだ。」
こういう文章がただ天性の素質だけで書けるはずがない。》(127ページ)

中村稔さんは「些末な日常をつうじて、ある時代の全貌が語られているのである」とも述べている。こうして「富士日記」は、日記文学のピュアな里程標になった・・・と、わたしはかんがえるに至った。


    (「犬が星見た ロシア旅行記」中公文庫 しばらく行方不明だった本を発掘)






   (この中で、わたし的には「遊覧日記」(ちくま文庫)の評価が一等かな)

「富士日記」は、もともと人に読ませるために書いたのではない。そこがmixiや凡庸なBlogとの大きな違いであろう。
百花庵日記ともいうが、百合子さんと花さんを併せたことばであるとは、だれもがすぐ気がつく。百合子さんは若かりしころ詩を書いたことがあったというが、中村稔さんの詩を読んでやめたのだと、どなたかが書いておられた。
中村稔さんのエッセイは、あの世へと旅立ってしまった百合子さんへの痛切な“別れ”の挨拶なのであろう。
だからたくさんの文章をあつめた本書の中でも、一段とあざやかに宝石のように輝いている。

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