■吉村昭「零式戦闘機」(新潮文庫 昭和53年刊。原本は昭和43年新潮社)
数あるゼロ戦の本の中でも、この「零式戦闘機」は白眉の一冊といっていいのではないだろうか!?
この作品に比肩しうるゼロ戦をめぐるノンフィクションが、ほかにあるのかしら。としたら、ぜひお教えいただきたいと思う。
とてもオーソドックスなゼロ戦誕生秘話だが、それだけでなく、敗戦までの“日本の運命”が、あっさりとだが、背景として必要な範囲で浮き彫りになっている。作者吉村昭の知性が、いたるところで、きらきらと輝いていて、さきへさきへとストーリーを辿らずにいられない。
歴史上有名なこの戦闘機、われわれはゼロ戦と呼ぶことが多いが、正式名称は零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)。
名手吉村昭の手になると、こういうすばらしいノンフィクションに仕上がるのだ。しかも、ゼロ戦の生みの親、堀越二郎や、三菱重工業名古屋航空機製作所に丹念に取材し、史料提供の支援を受けて、臨場感たっぷりに各場面を彫り上げている。
非常に信頼性の高い、ゼロ戦本のいわば決定打だろうと思われる。
余談ながら、男の子なら、少年期に戦艦や戦闘機、戦車などの模型を組み立てたという人が多いはず(^^♪
日本人の誇り、技術遺産としての零式艦上戦闘機。わたしは靖国神社まで、友人とつれだって、本物を見にいったことがある。
《昭和十五年=紀元二六〇〇年を記念し、その末尾の「0」をとって、零式艦上戦闘機と命名され、ゼロ戦とも通称される精鋭機が誕生した。だが、当時の航空機の概念を越えた画期的な戦闘機も、太平洋戦争の盛衰と軌を一にするように、外国機に対して性能の限界をみせてゆき……。機体開発から戦場での悲運までを、設計者、技師、操縦者の奮闘と哀歓とともに綴った記録文学の大巨編。》BOOKデータベースより引用
記録文学の大巨編、このうたい文句に誇張はないと思えた。本書は紛れもないロングセラー、今後も半永久的に読まれつづけるに相違ない。
また単純な構成ながら、非常にバランスのよい本に仕上がっている。「陸奥爆沈」とならぶ、吉村昭ならではの戦記であり、ノンフィクションの傑作( -ω-)
こういったハイレベルの小説を、このほか何篇お書きになっているのだろう。
《中国大陸での戦争から太平洋戦争の終結まで代表的兵器の一つであった零式戦闘機(正確には零式艦上戦闘機)の誕生からその末路までの経過をたどることは、日本の行った戦争の姿そのものをたどることになるという確信が私に筆をとらせた。》(本書あとがき)
主役は戦闘機だが、背景には戦時の日本がある。だから三菱重工業名古屋航空機製作所のことを、史料に基づき巨細に描いているのだ。このあたりのインパクトは、吉村昭の腕の見せ所。
製作所から各務原の飛行場まで、馬車ではなく、牛車で運ばれていく誕生したばかりのゼロ戦には、日本社会のいわば“悲哀”がこめられている。ここに注目しクローズアップしたことで、これまでだれも書かなかったエレジー(多分にユーモラスな)ともいうべきものを創出したのだ、吉村さん!
驚くほどたくさんの名前が登場する。大半は軍人と技師。日本の軍需産業が当時どういったものであったか、文字によって過不足なく映し出される。
執筆の準備にどれほどかかったのだろう。
書き出してからは(^^? )
これはゼロ戦の肖像画であり、楽屋話でもあるが、わたしはこの作品自体の舞台裏も、あれこれと想像せずにはいられない。
吉村さんは評論家ではないから、滅多なことでは論評をくわえない。淡々と事実のみを叙していく。
《かれらの死は、戦争指導者たちの無能さの犠牲とされたものであると同時に、戦争という巨大な怪物の不気味な口に痛ましくも呑みこまれていったものなのだ。》(現行版331ページ)
このことばは突撃死に向かって飛翔していった特攻兵に捧げられた鎮魂の賦に接しているが、唯一、ここで吉村さんは著者としての感想を吐露しておられる。
敵戦闘機との格闘場面などは、戦闘機に乗ったはずのない吉村さんがじつに臨場感たっぷりに描写しているのはさすが。読者を酔わせる筆力を持っている。
特攻隊が組織される場面をはじめ、印象的なエピソードを巧みにつらね、ストーリーはなめらかに最後のページまで進展していく。熟練の技である。
Zero fighterとして恐れられ、数々の勲功を残したゼロ戦も、戦後生まれのわれわれにとっては、戦艦大和とならびプラモデルのスターの双璧であった。
零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)。
自ら望んで戦死をとげた多くの若者たちを、いちいち名前をしるして哀惜し、この戦闘機に搭載された技術を、技術者、搭乗者双方の側に立って称揚する。
吉村さんの“昔語り”の冴えに、ここでも感嘆せざるを得なかった。
評価:☆☆☆☆☆
※下の3枚はネット検索により、参考写真としてお借りしました。ありがとうございました。
数あるゼロ戦の本の中でも、この「零式戦闘機」は白眉の一冊といっていいのではないだろうか!?
この作品に比肩しうるゼロ戦をめぐるノンフィクションが、ほかにあるのかしら。としたら、ぜひお教えいただきたいと思う。
とてもオーソドックスなゼロ戦誕生秘話だが、それだけでなく、敗戦までの“日本の運命”が、あっさりとだが、背景として必要な範囲で浮き彫りになっている。作者吉村昭の知性が、いたるところで、きらきらと輝いていて、さきへさきへとストーリーを辿らずにいられない。
歴史上有名なこの戦闘機、われわれはゼロ戦と呼ぶことが多いが、正式名称は零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)。
名手吉村昭の手になると、こういうすばらしいノンフィクションに仕上がるのだ。しかも、ゼロ戦の生みの親、堀越二郎や、三菱重工業名古屋航空機製作所に丹念に取材し、史料提供の支援を受けて、臨場感たっぷりに各場面を彫り上げている。
非常に信頼性の高い、ゼロ戦本のいわば決定打だろうと思われる。
余談ながら、男の子なら、少年期に戦艦や戦闘機、戦車などの模型を組み立てたという人が多いはず(^^♪
日本人の誇り、技術遺産としての零式艦上戦闘機。わたしは靖国神社まで、友人とつれだって、本物を見にいったことがある。
《昭和十五年=紀元二六〇〇年を記念し、その末尾の「0」をとって、零式艦上戦闘機と命名され、ゼロ戦とも通称される精鋭機が誕生した。だが、当時の航空機の概念を越えた画期的な戦闘機も、太平洋戦争の盛衰と軌を一にするように、外国機に対して性能の限界をみせてゆき……。機体開発から戦場での悲運までを、設計者、技師、操縦者の奮闘と哀歓とともに綴った記録文学の大巨編。》BOOKデータベースより引用
記録文学の大巨編、このうたい文句に誇張はないと思えた。本書は紛れもないロングセラー、今後も半永久的に読まれつづけるに相違ない。
また単純な構成ながら、非常にバランスのよい本に仕上がっている。「陸奥爆沈」とならぶ、吉村昭ならではの戦記であり、ノンフィクションの傑作( -ω-)
こういったハイレベルの小説を、このほか何篇お書きになっているのだろう。
《中国大陸での戦争から太平洋戦争の終結まで代表的兵器の一つであった零式戦闘機(正確には零式艦上戦闘機)の誕生からその末路までの経過をたどることは、日本の行った戦争の姿そのものをたどることになるという確信が私に筆をとらせた。》(本書あとがき)
主役は戦闘機だが、背景には戦時の日本がある。だから三菱重工業名古屋航空機製作所のことを、史料に基づき巨細に描いているのだ。このあたりのインパクトは、吉村昭の腕の見せ所。
製作所から各務原の飛行場まで、馬車ではなく、牛車で運ばれていく誕生したばかりのゼロ戦には、日本社会のいわば“悲哀”がこめられている。ここに注目しクローズアップしたことで、これまでだれも書かなかったエレジー(多分にユーモラスな)ともいうべきものを創出したのだ、吉村さん!
驚くほどたくさんの名前が登場する。大半は軍人と技師。日本の軍需産業が当時どういったものであったか、文字によって過不足なく映し出される。
執筆の準備にどれほどかかったのだろう。
書き出してからは(^^? )
これはゼロ戦の肖像画であり、楽屋話でもあるが、わたしはこの作品自体の舞台裏も、あれこれと想像せずにはいられない。
吉村さんは評論家ではないから、滅多なことでは論評をくわえない。淡々と事実のみを叙していく。
《かれらの死は、戦争指導者たちの無能さの犠牲とされたものであると同時に、戦争という巨大な怪物の不気味な口に痛ましくも呑みこまれていったものなのだ。》(現行版331ページ)
このことばは突撃死に向かって飛翔していった特攻兵に捧げられた鎮魂の賦に接しているが、唯一、ここで吉村さんは著者としての感想を吐露しておられる。
敵戦闘機との格闘場面などは、戦闘機に乗ったはずのない吉村さんがじつに臨場感たっぷりに描写しているのはさすが。読者を酔わせる筆力を持っている。
特攻隊が組織される場面をはじめ、印象的なエピソードを巧みにつらね、ストーリーはなめらかに最後のページまで進展していく。熟練の技である。
Zero fighterとして恐れられ、数々の勲功を残したゼロ戦も、戦後生まれのわれわれにとっては、戦艦大和とならびプラモデルのスターの双璧であった。
零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)。
自ら望んで戦死をとげた多くの若者たちを、いちいち名前をしるして哀惜し、この戦闘機に搭載された技術を、技術者、搭乗者双方の側に立って称揚する。
吉村さんの“昔語り”の冴えに、ここでも感嘆せざるを得なかった。
評価:☆☆☆☆☆
※下の3枚はネット検索により、参考写真としてお借りしました。ありがとうございました。