
(不安定な天候を象徴するような朝の空。いまはもう雨が降っている)
<おことわり>
このタイトルは社会学者・宮台真司先生の著作からのパクリである。
本は読んでいないから、内容についてはなんの関連もない。副題に「オウム完全克服マニュアル」とあるから、主としてオウム真理教についてその思索をまとめたものではないだろうか?
本は読んではいないけど「終わりなき日常を生きろ」は、わたしの脳裏に沁みついたコピーみたいになっている。生活の中で精神的に煮つまってくると、このコピーを、念仏みたいに唱える、むろん頭の中で。
「最近、仕事に対してほとほとウンザリしている。かといって、ほかにやりたいこともないしね」と友人。
「お金には不自由しない身分なんだから、趣味に生きたら?」
「趣味ねぇ。これといって、なにもやりたいことがない。ぼんやりしていることが多くなった」
ついこのあいだ、親しい年下の友人とそんな会話をしたばかり。
男は仕事だろう・・・と考えてはいるけれど、覇気の衰えは年々ひどくなっていく。
「うつ病に気をつけろよ! 女の子のいる店にでもいって、カラオケ歌って、ひと騒ぎしてきたら」
とわたしは提案した。
しかし、やっぱり彼はうかない顔をしている。

(手前にあるのが、わたしの草刈機。管理物件の草刈りをこれからはじめる)
このところ雑草との戦いに疲れ、わたしもひいこら、ひいこらしている。日常の些事というか、雑事が、ほとほと面倒くさいと思ったり(;´ρ`)
そこで「終わりなき日常を生きろ」ということばを、自分に向かっていい、駄馬に鞭をあてている(笑)。
下流老人の仲間入りをしないよう、裏の農地を使い、売電全量買い取りの手続きを、この2年あまりやってきた。資金が確定したので、この事業がようやく新段階をむかえることになった。
計画地が農地のため、農振除外申請からはじめた。えっちら、おっちら・・・というか、ペンギンさんみたいな、われながら覚束ない足取り。
そのうち、ドサッとこけたりしてねゞ(´Д`
さてさて、今日は本の話を書いておこう。
うつ病にならないための・・・という副題をつけようかしら(笑)。

(1)「移動祝祭日」ヘミングウェイ(高見浩訳/新潮文庫)
司馬さんの「項羽と劉邦」は昨夜、ようやく読みおえた。主役は劉邦というより、むしろ項羽。垓下で31歳の生涯を閉じるこの不世出の英雄について、司馬さんは何百ページものことばをついやしている。
項羽の死をもって、この長編は幕をおろす。ラストはあまりに悲痛なので読みたくないと思ってはいたが、長い時間をかけてゆっくり、わたしは垓下の戦場にたどりついた。
レビューは書かずにおこう。
長編を読んでいると、短編が読みたくなる。
いまクルマに積んで持ち歩いているのは、ヘミングウェイの短編集と、パリ時代を回想した「移動祝祭日」。
よく知られているように、この本は、デビュー前のパリ時代6年間を、晩年になって回想したドキュメンタリー。
メモワールといえば、すぐに連想するのは、須賀敦子の香気豊かな一連のエッセイ集である。
自分が人生でいちばん輝いていた時代を、歳老いてから思い出す。
それ自体「老年の愉しみ」に属する、最高の時間の過ごし方かもしれない(^^♪

(2)「靴底の減りかた」鬼海弘雄(筑摩書房)
鬼海さんの本は、これが4冊目。『誰をも少し好きになる日』がおもしろかったので、その続編だと考えて買ってきた。
鬼海さんは、ポートレイトばかりではなく、じつはわたしのいう「街撮り」も、よく行っている。しかし・・・なんといっても「ぺるそな」の衝撃が大きすぎ、地味なソシアルランドスケープには、あまり興味がもてないでいた。
文章は苦手だから写真家になったという意味の発言をよくしているようだけど、どうしてどうして(゚Д゚;)
『誰をも少し好きになる日』は風味絶佳といえるテイストを備えたフォト&エッセイだった。
本書のタイトルは、須賀敦子さんのエッセイからもらったそうである。

(3)「写真家の流儀」(エイ出版)「日本カメラ」9月号
前者は北井一夫さんのコメント、作品が見られるから買ったようなもの。残念ながら「カメラマガジン」からの再掲載を数ページにわたってふくんでいる。
尾仲浩二さんや中藤毅彦さんのファンなので、つい手がのびた。
日本カメラのほうは、長倉弘海さんはじめ、口絵(グラビア)がなかなかよい。
鬼海さんの「東京逍遥」も見逃せないと思う!!( ・_・)
マガジンというのは要するに断片の集積。
仕事のあいま、あいまにちょこっと読むのに適している。

(4)「空海 無限を生きる」(松長有慶/集英社)
高僧伝シリーズの1冊。BOOK OFFで中古を見かけ、「親鸞 大迷大悟の人」といっしょに買って帰った。刊行は1985年。
岩波新書『密教』をかつて拝読したことがあるが、たいへんわかりやすく、記憶に残った。
さっき調べたら、現在では松長さん、高野山真言宗の最高指導者である。
仏教の関連本とはつきあいが浅い。まだ12-3年といったところかな?
わが家の宗旨が高野山真言宗なので、そのころ、友人と高野山へいった。
それをきっかけに、空海その人へ興味が高まった。ちくま学芸文庫の空海コレクション も手にいれてある。
空海そして親鸞。
日本の仏教と、仏教文化を考える場合、この二人がわたしの拠るべき二本の柱であ~る/_・)/_・)
わたしは俗にいう「濫読家」(乱読という人があるが、正しくは濫読)である。
本屋、古本屋、BOOK OFFへの散歩は、毎週欠かさない。
猛暑にめげて、この夏もいろいろな本に手をのばした。
本を読んでいても、近ごろすぐに疲れる。
本を投げ出し「終わりなき日常を生きろ!」と自分を叱咤する。そういう場面が今後もっとふえていくだろう、´Д`タハハハ
<おことわり>
このタイトルは社会学者・宮台真司先生の著作からのパクリである。
本は読んでいないから、内容についてはなんの関連もない。副題に「オウム完全克服マニュアル」とあるから、主としてオウム真理教についてその思索をまとめたものではないだろうか?
本は読んではいないけど「終わりなき日常を生きろ」は、わたしの脳裏に沁みついたコピーみたいになっている。生活の中で精神的に煮つまってくると、このコピーを、念仏みたいに唱える、むろん頭の中で。
「最近、仕事に対してほとほとウンザリしている。かといって、ほかにやりたいこともないしね」と友人。
「お金には不自由しない身分なんだから、趣味に生きたら?」
「趣味ねぇ。これといって、なにもやりたいことがない。ぼんやりしていることが多くなった」
ついこのあいだ、親しい年下の友人とそんな会話をしたばかり。
男は仕事だろう・・・と考えてはいるけれど、覇気の衰えは年々ひどくなっていく。
「うつ病に気をつけろよ! 女の子のいる店にでもいって、カラオケ歌って、ひと騒ぎしてきたら」
とわたしは提案した。
しかし、やっぱり彼はうかない顔をしている。

(手前にあるのが、わたしの草刈機。管理物件の草刈りをこれからはじめる)
このところ雑草との戦いに疲れ、わたしもひいこら、ひいこらしている。日常の些事というか、雑事が、ほとほと面倒くさいと思ったり(;´ρ`)
そこで「終わりなき日常を生きろ」ということばを、自分に向かっていい、駄馬に鞭をあてている(笑)。
下流老人の仲間入りをしないよう、裏の農地を使い、売電全量買い取りの手続きを、この2年あまりやってきた。資金が確定したので、この事業がようやく新段階をむかえることになった。
計画地が農地のため、農振除外申請からはじめた。えっちら、おっちら・・・というか、ペンギンさんみたいな、われながら覚束ない足取り。
そのうち、ドサッとこけたりしてねゞ(´Д`
さてさて、今日は本の話を書いておこう。
うつ病にならないための・・・という副題をつけようかしら(笑)。

(1)「移動祝祭日」ヘミングウェイ(高見浩訳/新潮文庫)
司馬さんの「項羽と劉邦」は昨夜、ようやく読みおえた。主役は劉邦というより、むしろ項羽。垓下で31歳の生涯を閉じるこの不世出の英雄について、司馬さんは何百ページものことばをついやしている。
項羽の死をもって、この長編は幕をおろす。ラストはあまりに悲痛なので読みたくないと思ってはいたが、長い時間をかけてゆっくり、わたしは垓下の戦場にたどりついた。
レビューは書かずにおこう。
長編を読んでいると、短編が読みたくなる。
いまクルマに積んで持ち歩いているのは、ヘミングウェイの短編集と、パリ時代を回想した「移動祝祭日」。
よく知られているように、この本は、デビュー前のパリ時代6年間を、晩年になって回想したドキュメンタリー。
メモワールといえば、すぐに連想するのは、須賀敦子の香気豊かな一連のエッセイ集である。
自分が人生でいちばん輝いていた時代を、歳老いてから思い出す。
それ自体「老年の愉しみ」に属する、最高の時間の過ごし方かもしれない(^^♪

(2)「靴底の減りかた」鬼海弘雄(筑摩書房)
鬼海さんの本は、これが4冊目。『誰をも少し好きになる日』がおもしろかったので、その続編だと考えて買ってきた。
鬼海さんは、ポートレイトばかりではなく、じつはわたしのいう「街撮り」も、よく行っている。しかし・・・なんといっても「ぺるそな」の衝撃が大きすぎ、地味なソシアルランドスケープには、あまり興味がもてないでいた。
文章は苦手だから写真家になったという意味の発言をよくしているようだけど、どうしてどうして(゚Д゚;)
『誰をも少し好きになる日』は風味絶佳といえるテイストを備えたフォト&エッセイだった。
本書のタイトルは、須賀敦子さんのエッセイからもらったそうである。

(3)「写真家の流儀」(エイ出版)「日本カメラ」9月号
前者は北井一夫さんのコメント、作品が見られるから買ったようなもの。残念ながら「カメラマガジン」からの再掲載を数ページにわたってふくんでいる。
尾仲浩二さんや中藤毅彦さんのファンなので、つい手がのびた。
日本カメラのほうは、長倉弘海さんはじめ、口絵(グラビア)がなかなかよい。
鬼海さんの「東京逍遥」も見逃せないと思う!!( ・_・)
マガジンというのは要するに断片の集積。
仕事のあいま、あいまにちょこっと読むのに適している。

(4)「空海 無限を生きる」(松長有慶/集英社)
高僧伝シリーズの1冊。BOOK OFFで中古を見かけ、「親鸞 大迷大悟の人」といっしょに買って帰った。刊行は1985年。
岩波新書『密教』をかつて拝読したことがあるが、たいへんわかりやすく、記憶に残った。
さっき調べたら、現在では松長さん、高野山真言宗の最高指導者である。
仏教の関連本とはつきあいが浅い。まだ12-3年といったところかな?
わが家の宗旨が高野山真言宗なので、そのころ、友人と高野山へいった。
それをきっかけに、空海その人へ興味が高まった。ちくま学芸文庫の空海コレクション も手にいれてある。
空海そして親鸞。
日本の仏教と、仏教文化を考える場合、この二人がわたしの拠るべき二本の柱であ~る/_・)/_・)
わたしは俗にいう「濫読家」(乱読という人があるが、正しくは濫読)である。
本屋、古本屋、BOOK OFFへの散歩は、毎週欠かさない。
猛暑にめげて、この夏もいろいろな本に手をのばした。
本を読んでいても、近ごろすぐに疲れる。
本を投げ出し「終わりなき日常を生きろ!」と自分を叱咤する。そういう場面が今後もっとふえていくだろう、´Д`タハハハ