二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

今年読んだ本の一冊 保苅瑞穂「モンテーニュ よく生き、よく死ぬために」 (講談社学術文庫)

2017年12月31日 | エッセイ(国内)
さて今年のラストシーンは「今年読んだ本の一冊」。

今年は14件のレビューを書いて、mixiや「二草庵摘録」に記事をUPした。
読んだ本はその2倍くらいかな・・・たいした数字にはならない。
ただし、途中で中断してしまったり、読むのをやめてしまったり、拾い読みにとどめてあったりする本が、さらに2倍以上ある。したがって、60冊前後の本が、わたしの内部を通りすぎていった、といっていいだろう。日記や「つぶやき」でふれたものも存在する。
キザったらしい表現になるけど、「知的好奇心」のおもむくまま、濫読していることになる。

本、すなわち書物は、写真とならんで、欠かすことができないわたしの“最重要アイテム”。
撮影しない日はあっても、本を手にしない日はないのだから。
「本は心のご飯です」というキャッチを掲げていた古書店が、かつてあった。

今年は塩野七生さんの「ギリシア人の物語」1~3巻や、佐藤優さんの本に熱中した。佐藤さんはたいへんな勢いで本をお出しになっているが、以前も書いたようにやや玉石混交。「新約聖書1」(文春新書)に付せたれたエッセイなど、支離滅裂(^^;)
しかし、支離滅裂だからつまらないかというと、そうではない。
現在の作家の中で、いわば“原石の輝き”を放っているのが、佐藤優という人である。

「今年の一冊」は最初、吉川幸次郎先生の「漢の武帝」にしようかと思っていたが、こちらに換える。「漢の武帝」は名著としてすでに評価が定着しているから。
保苅瑞穂さんの「モンテーニュ よく生き、よく死ぬために」 (講談社学術文庫)は、それほど知られた本ではないだろう。
カメラを手にしてフィールドを散歩するように、わたしは書店、古書店を散歩する。そこで思いがけない“出会い”が待っている。

モンテーニュの真髄を教えてくれたのは、はじめは原二郎さんの「モンテーニュ」であった。ただし、こちらはあくまで“入門書”として書かれたもの。
それに比べ、保苅さんの本はさらに、一歩二歩モンテーニュの世界に踏み込んでいる。その踏み込みが、じつに見事であった。
教養主義ではない知の冒険と快楽!



現在こんな本もスタンバイさせてある。


「モンテーニュの書斎」保苅瑞穂。
現在こんな本もスタンバイさせてある。


モンテーニュの城の現在。



■保苅瑞穂「モンテーニュ よく生き、よく死ぬために」レビュー

保刈瑞穂さんの「モンテーニュ」を読みはじめたばかりだが、途中で寝てしまうのが惜しいようなすぐれた一冊。副題は「よく生き、よく死ぬために」である。
《モンテーニュが、やがてくる文明の時代を準備した人間たちの一人だったことは確かなことだ。そしてその彼が本当の理解者を見出すには十八世紀を待たなければならなかった》(本書86ページ)。

なぜわたしが、いまモンテーニュなのかというと、彼の向こうに、父の影を見ている・・・その真の姿、生活の在りようを透かし見ているからであろうか? 
自己弁護するわけではないけれど、すぐ隣りにいる人をキチンと理解するのは、案外とむずかしいことなのだ、とくに自分より先を歩いている人を理解するのは。
経験しなければわからないことが、世の中にはいくらだってある。そういう“真実”があることに、謙虚にならなければ・・・もっと謙虚に。
年下から学ぶことは少ないが、年配者、あるいは人生の先輩から学ぶとことは驚くほど多い・・・というのが、昔からのわたしの持論である。

わたしは実店舗派なので、昨日は近隣にある、古書店や在庫数では県内一番の大型書店を歩きまわり、モンテーニュの本をさがしたが、見つけることができなかった。モンテーニュに関心をしめす「知的冒険者」は、又吉直樹さんのベストセラーの数百分の一もいないということだろう。「エセー」を読むには取り寄せを頼むしかないようだ。

不易ばかりを追いかけているわけではない。しかし、わたしは流行にはとんと疎い人間。人の行列のあとには、並ばない・・・並びたくないという、ある意味の「へそ曲がり」である。
モンテーニュのような「曇りなき眼」を持つにはどうしたらいいのだろう、と考える。 二百年も時代にさきがけていたとは、途方もないことだ。
とはいえ、もっと若い時代に「エセー」を読んでいたとしても、十分な理解がおよばなかったろう。

モンテーニュが体現した叡智というものが、たしかに存在する。さきに書いたように、原二郎さんの「モンテーニュ」はすぐれた仕事だが、本書もまた、十年がかりの身を削るような仕事である。
古典だとか、名著といわれる書物は、現代に生きて、呼吸しているからそう呼ばれるのである。
《真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ることなのだ》
(マルセル・プルースト)
写真の場合も、本を読むことと同じ。
そのことをキモに銘じておこう。

・・・航海はこれからもつづく。




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