二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

和歌と俳諧 その3 ~正岡子規へのアプローチ(序論)

2016年11月18日 | 俳句・短歌・詩集
正岡子規というのは、どこか明治を駆け抜けた勤王の志士を思わせるところがある。
同時代の文学者と較べるより、高杉晋作や坂本龍馬と較べるべきかも知れない、と考えたりする。
21世紀となった現時点から眺めて、子規という存在はますます大きく、高い評価を与えてしかるべき、際立った文学者であろう。

彼は短歌と俳句、その両方を改革し、近代化した。「アララギ」も「ホトトギス」も、そしてそれにつらなる俳人、歌人は、皆彼の懐からでてきたのだといっても、いいすぎではない。
また司馬遼太郎さんあたりの評価では、日本語の改革に取り組んだ先駆者でもあった。

子規に関心を持ち始めたのは、最初はいつころだったろう。その都度、何冊かの本を食いちらし、しばらくして離れる。そういうことを、これまでくり返してきたノ´Д`゚
子規が活動しはじめたころ、日本語は文語文であり、候文の時代。古文=文語文を読み解くだけの日本語力がないと、子規への理解を深めるのはむずかしい。



この数か月、短詩形の文学に関心を持ち万葉集と小林一茶を中心にした読書をつづけてきたが、わたしがこれまで読んできた本、読み得た本はたいしたものではない。
2~3冊読むと、たちまち本に倦み、カメラを手にして表に飛び出していく。
しかし、俗に四大随筆といわれる作品に向かい合うとき、子規への崇敬の念は、わたしのこころの深くに、しっかりと根を下ろしているのがわかる。
四大随筆とは「松蘿玉液」「墨汁一滴」「病床六尺」「仰臥漫録」の4冊。
ここからうかがうことのできる子規は「すさまじい」男なのである。



このところ、往年の文学全集の片割れや、岩波文庫で、彼の著作をあらためて買いあさった。とくに岩波文庫の彼の本は充実している。この9冊に、小説家阿部昭さんが編集した「飯待つ間」を加えると、子規の仕事は大部分カバーできる。

あとは、読むだけ´Д`|┛

それが思うようにすすまないため、この記事も「序論」ということにしておく。
これから検証したいと考えているうちの一つに、夏目漱石との交流がある。
両者の往復書簡集がないものかと思っていたけれど、さきほど調べたら、岩波文庫から和田茂樹さんの編集で刊行されていることがわかったので、電話でお取り寄せを依頼したばかり(^^♪

もしかしたら、漱石も、子規の懐から登場した一人ではないか・・・と、いまのわたしは漠然と想像している。
同年代だから、師弟ではなく、友人。とはいえ、子規は、漱石がロンドンに留学しているあいだに、後世に遺した大きな仕事をすべてやりおえて死んでいる。
そして漱石は、帰国したあとしばらくたって、「漾虚集」に収められることになる文章や「吾輩は猫である」を、高浜虚子の雑誌「ホトトギス」にポツポツ発表することで、文学者のスタートをきっているからである。

夏目漱石1867年(慶応3年1月)~1916年(大正5年12月)
正岡子規1867年(慶応3年9月)~1902年(明治35年9月)

漱石は子規の死後、約14年間のあいだに、小説家となった人物で、子規が亡くなった明治35年には、海外留学中の一教員でしかなかったのである。
これはたいへん興味深い事実ではなかろうか?
漱石全集第22巻(書簡集上)はこのあいだ買ったばかりだけれど、当然ながら、そこには、漱石が子規に宛てた書簡しか掲載されていない(ノ_・。) それだけを読んだのでは、片手落ちである。

漱石は子規に宛てて、非常にたくさんの俳句を書き送り、感想や添削をもとめている。
時系列に沿って交互にその書簡を検証しなければ「交流」の本質が理解できないのは、当然のこと。
子規は英語が苦手であったという。型にはめられたような勉学も好きではなかった。しかし、その子規も、小説を書いて、すでに評価がさだまっていた幸田露伴のところへ持ち込んだことがあったのである。

子規が脊椎カリエスで苦しんでいたころ、漱石は虎狼のように・・・いや、あわれなムクイヌのように、孤独に苛まれながら、ロンドンの街路をさまよっていたのである。
子規と漱石。いや漱石と子規。
ともに、過去には文学界の評価が、とても低いという時代があった。そこから、歯車はさらに一回りしたのである。
おしまいにそれぞれの俳句を一つ、転載しておこう。

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

生涯に類型句をふくめ、20万句も詠んだといわれる子規の一番有名な作品。「くだもの」という随筆にも書かれているように、彼はくだもの、とくに柿が大好きであった。初出は1895年11月。病状が悪化する前、旅で法隆寺に立ち寄った際に作られたとわれている。この歳、初めての喀血。
若々しい、血気盛んな子規の息づかいがつたわってくる。

ある程の菊投げ入れよ棺(かん)の中

こちらは、漱石が閨秀作家大塚楠緒子への手向けとして書いた句として知られる。
さっきネット検索をしていたら《ふとすれちがった彼女の顔のうつくしさに、漱石は誰とも思い出せぬまま“じっとその人の姿に見惚(みと)れていた》という文章が「硝子戸の中」に出てくるそうである。
「硝子戸の中」は読んでいるが、忘れていた( ´。`)

明治という大変革期を生きた二人。
いましばらくは、わたしはこの二人の周辺を徘徊することにする。


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