昨夜正岡子規の「小園の記」を読み返していたら、つぎのような一節が眼に止まった。
《折ふし、黄なる蝶の飛び来りて垣根に花をあさるを見ては、そぞろ我が魂の自ら動き出でて共に花を尋ね香を探り、物の芽にとまりて、しばし羽を休むるかと思へば、低き杉垣を越えて隣りの庭をうちめぐり、再び舞ひもどりて松の梢にひらひら、水鉢の上にひらひら、一吹き風に吹きつれて高く吹かれながら、向ふの屋根に隠れたる時、我にもあらずぼう然として自失す。
たちまちち心づけば、身に熱気を感じて心地なやましく、内に入り障子たつると共に、蒲団引きかぶれば、夢にもあらず幻にもあらず、身は広く限り無き原野の中に在りて、今飛び去りし蝶と共に狂ひまはる。
狂ふにつけて、何処ともなく数百の蝶は群れ来りて遊ぶをつらつら見れば、蝶と見しは皆小さき神の子なり。
空に響く楽の音につれて、彼等は躍りつつ舞ひ上り飛び行くに、我もおくれじと茨葎のきらひ無く踏みしだき躍り越え、思はず野川に落ちしよと見て夢さむれば、寝汗したたかに襦袢(じゅばん)を濡して熱は三十九度にや上りけん。》(引用は青空文庫より。ただし、読点をおぎない、改行をくわえ、難読漢字等を一部修正しました)
子規の眼の動きが、手に取るようにわかる文章である。
写生文とは、だれかがいうように、「生を写す」ということである。
長いあいだ病床にあった子規は、横たわったまま、庭(20坪ばかりの小さな庭)を眺めている。
《黄なる蝶》とは、おそらくキチョウのことであろう。
《夢にもあらず幻にもあらず、身は広く限り無き原野の中に在りて、今飛び去りし蝶と共に狂ひまはる》と彼は書いている。
彼は絵をよくし、漢詩を書き、短歌・俳句を詠んだ。体は病んでいるが、その精神は外界に生き生きと開かれ、小さな庭のディテールにそそがれている。
しかし、この「病床」に囚われた男は、つぎのように書かずにはいられない。
《狂ふにつけて、何処ともなく数百の蝶は群れ来りて遊ぶをつらつら見れば、蝶と見しは皆小さき神の子なり。》
「蝶と見しは皆小さき神の子なり」と。
そう書かずにいられなかった彼の心中を想像してみる。しかし彼は、悲嘆にあけくれるわけでも、愚痴をいうでもない。
いまでいうところの「在宅介護」であろう。母と妹が、懸命に子規の世話をしている。
この身内の二人にささえられて、その驚くべき内容の濃い、旺盛な活動があったのである。
そして友人たちや弟子たちが、入れ替わり立ち替わり訪れる。
子規庵はにぎやかであった。
「余は、交際を好む者なり」とはっきり書いている。
やがて病がすすみ、高浜虚子などが、口述筆記のため通うようになる。
こういうふうに見ていくと、在宅ということがもつ意味がはっきり見えてくる。
子規を無機質な病院の一室に放り込んでしまったとしたら、最後の数年間に燃焼しつくした、あの仕事は生まれようがなかったろう。
(冒頭に掲げた写真は、ネット上から任意にお借りしました)
※「小園の記」原文を読みたい方はこちらを参照。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000305/card42170.html
《折ふし、黄なる蝶の飛び来りて垣根に花をあさるを見ては、そぞろ我が魂の自ら動き出でて共に花を尋ね香を探り、物の芽にとまりて、しばし羽を休むるかと思へば、低き杉垣を越えて隣りの庭をうちめぐり、再び舞ひもどりて松の梢にひらひら、水鉢の上にひらひら、一吹き風に吹きつれて高く吹かれながら、向ふの屋根に隠れたる時、我にもあらずぼう然として自失す。
たちまちち心づけば、身に熱気を感じて心地なやましく、内に入り障子たつると共に、蒲団引きかぶれば、夢にもあらず幻にもあらず、身は広く限り無き原野の中に在りて、今飛び去りし蝶と共に狂ひまはる。
狂ふにつけて、何処ともなく数百の蝶は群れ来りて遊ぶをつらつら見れば、蝶と見しは皆小さき神の子なり。
空に響く楽の音につれて、彼等は躍りつつ舞ひ上り飛び行くに、我もおくれじと茨葎のきらひ無く踏みしだき躍り越え、思はず野川に落ちしよと見て夢さむれば、寝汗したたかに襦袢(じゅばん)を濡して熱は三十九度にや上りけん。》(引用は青空文庫より。ただし、読点をおぎない、改行をくわえ、難読漢字等を一部修正しました)
子規の眼の動きが、手に取るようにわかる文章である。
写生文とは、だれかがいうように、「生を写す」ということである。
長いあいだ病床にあった子規は、横たわったまま、庭(20坪ばかりの小さな庭)を眺めている。
《黄なる蝶》とは、おそらくキチョウのことであろう。
《夢にもあらず幻にもあらず、身は広く限り無き原野の中に在りて、今飛び去りし蝶と共に狂ひまはる》と彼は書いている。
彼は絵をよくし、漢詩を書き、短歌・俳句を詠んだ。体は病んでいるが、その精神は外界に生き生きと開かれ、小さな庭のディテールにそそがれている。
しかし、この「病床」に囚われた男は、つぎのように書かずにはいられない。
《狂ふにつけて、何処ともなく数百の蝶は群れ来りて遊ぶをつらつら見れば、蝶と見しは皆小さき神の子なり。》
「蝶と見しは皆小さき神の子なり」と。
そう書かずにいられなかった彼の心中を想像してみる。しかし彼は、悲嘆にあけくれるわけでも、愚痴をいうでもない。
いまでいうところの「在宅介護」であろう。母と妹が、懸命に子規の世話をしている。
この身内の二人にささえられて、その驚くべき内容の濃い、旺盛な活動があったのである。
そして友人たちや弟子たちが、入れ替わり立ち替わり訪れる。
子規庵はにぎやかであった。
「余は、交際を好む者なり」とはっきり書いている。
やがて病がすすみ、高浜虚子などが、口述筆記のため通うようになる。
こういうふうに見ていくと、在宅ということがもつ意味がはっきり見えてくる。
子規を無機質な病院の一室に放り込んでしまったとしたら、最後の数年間に燃焼しつくした、あの仕事は生まれようがなかったろう。
(冒頭に掲げた写真は、ネット上から任意にお借りしました)
※「小園の記」原文を読みたい方はこちらを参照。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000305/card42170.html