<上田市>
世界は驚きと感動に満ちている。
・・・と、ほんとうにいえるのだろうか?
スナップショットはそういう問いかけからはじまるような気がする。
「世界は驚きと感動に満ちているか?」
あまりにベタな表現で気がひけるけれど、それを確認するための作業が、撮影という行為の底にかくれている。
それを1年2年3年に渡って、営々と継続し、積み重ねていく。
現在わたしは315件ものアルバムをmixiに置いてある。
それをすべて見返し、必要なものだけを残す!
何日かやってみて、捨てられないものがあまりに多いことにいささか辟易し、ご当人が困惑している(^^;)
スナップやキャンディッドは、記念写真やポートレイトとは明らかに違う手法と風味をもっている。わたしはある意味、その行為に憑かれていた時期があった。
偶有性がつくり出す現実は、セットアップされた写真とはまるでことなるリアリティを映し出す。
悦びや淋しさや汗や悲しみが、わたしのレンズの向こうに存在する。
“その一瞬”をキャッチすること(^^)/
それは簡単なようで、そう簡単ではない。失敗、また失敗、またまた失敗。そのくり返しの中から、ある感触をたぐり寄せる。
そいう作業が、おもしろくて仕方ない。
撮るというより、あっというまに消えてしまう時間の後ろ髪をつかまえ、定着させること。それは永遠化の欲望とパラレルなものだし、ライカからはじまる35mmの小型カメラは、そのために誕生したものである。
刻々と変化し、生まれては消え、永遠に過ぎ去っていくものをつかまえたいとおもう。
ダイナミックな「その瞬間」への関心。
スナップショットの本質はそれなのだ・・・おそらく。
<前橋公園>
<大宮駅>
<浅草寺境内>
<前橋市>
<前橋市>
<アメ横>
<撮影した人=Mikeneko>
世界は驚きと感動に満ちている。
・・・と、ほんとうにいえるのだろうか?
スナップショットはそういう問いかけからはじまるような気がする。
「世界は驚きと感動に満ちているか?」
あまりにベタな表現で気がひけるけれど、それを確認するための作業が、撮影という行為の底にかくれている。
それを1年2年3年に渡って、営々と継続し、積み重ねていく。
現在わたしは315件ものアルバムをmixiに置いてある。
それをすべて見返し、必要なものだけを残す!
何日かやってみて、捨てられないものがあまりに多いことにいささか辟易し、ご当人が困惑している(^^;)
スナップやキャンディッドは、記念写真やポートレイトとは明らかに違う手法と風味をもっている。わたしはある意味、その行為に憑かれていた時期があった。
偶有性がつくり出す現実は、セットアップされた写真とはまるでことなるリアリティを映し出す。
悦びや淋しさや汗や悲しみが、わたしのレンズの向こうに存在する。
“その一瞬”をキャッチすること(^^)/
それは簡単なようで、そう簡単ではない。失敗、また失敗、またまた失敗。そのくり返しの中から、ある感触をたぐり寄せる。
そいう作業が、おもしろくて仕方ない。
撮るというより、あっというまに消えてしまう時間の後ろ髪をつかまえ、定着させること。それは永遠化の欲望とパラレルなものだし、ライカからはじまる35mmの小型カメラは、そのために誕生したものである。
刻々と変化し、生まれては消え、永遠に過ぎ去っていくものをつかまえたいとおもう。
ダイナミックな「その瞬間」への関心。
スナップショットの本質はそれなのだ・・・おそらく。
<前橋公園>
<大宮駅>
<浅草寺境内>
<前橋市>
<前橋市>
<アメ横>
<撮影した人=Mikeneko>