■「歳々年々」安岡章太郎(講談社 1989年刊)
いつもの散歩のつもりでBOOK OFF(わたしがよくゆく店が前橋に2店舗、高崎に1店舗)に出かけたら、安岡章太郎の随筆集(むしろ雑文集)が200円+税のコーナーに置いてあった。いまたしかめたところでは、安岡さんは2013年に92歳でお亡くなりになっている。
■人生の隣(1975年刊 のち福武文庫)
■父の酒(1991年 文藝春秋 のち文庫)
■歴史への感情旅行(1995年刊)
これら随筆集(雑文集)は、「歳々年々」をふくめると今年になって4冊目なのである。これはいささか異常な現象で、どうしてこうなったかというと、安岡章太郎さんの愛読者が(そういう年代の人が)お亡くなりになったからではないかと、想像せざるをえない。
BOOK OFFは少し足をのばせば周囲に3軒+3軒、古書店が2軒。
散歩の延長で気が向くとどこかそのへんを訪れる。
第三の新人といわれる世代の小説家では、わたしは吉行淳之介と安岡章太郎が“好きな小説家”の部類に入る。
したがって集まってくる本の数が、どうしても多くなる( ´◡` ) トホホ
しかし、欲をかいても、その割に読めないのは、いつもの通り。
「歳々年々」をぱらぱらはぐっていたら、永井荷風に関する記事が、2つあった。今回はそれを取りあげてみる。
荷風の随筆
水の流れ 永井荷風文学紀行
安岡さんには「私の濹東綺譚」(1999年刊 のち文庫)もある。
(講談社版「歳々年々」の扉ページ 田村義也装幀)
《市川の町を歩いてゐる時、わたくしは折々四五十年前、電車も自動車も走ってゐなかったころの東京を思出すことがある。
杉、柾木、槙などを植ゑつらねた生垣つゞきの小道を、夏の朝早く鰯を売りあるく男の頓狂な声。さてはまた長雨の晴れた昼すぎにきく竿竹売や、蝙蝠傘つくろひ直しの声。それ等はいづれもわたくしが学生のころ東京の山の手の町で聞き馴れ、そしていつか年と共に忘れ果てた懐かしい巷の声である。
夏から秋へかけても日盛に、千葉県道に商ひ舗(みせ)では砂ほこりを防ぐために、長い柄杓で溝の水を汲んで撒いていることがあるが、これも亦わたくしには、溝の多かった下谷浅草の町や横町を、風の吹く日、人力車に乗って通り過ぎたころのむかしを思い出させずには置かない。》(「葛飾土産」 本書より孫引き)
歳をとったせいで、荷風は盛んに「昔、むかし・・・」と、うるさいほど過去を思い出している。
ここまでは「葛飾土産」の孫引きとなる。
以下は少々長くなるが、安岡さんの「水の流れ」からの引用。
《「葛飾土産」は、荷風が市川に住んで二度目の新春を迎えようとする頃から書きはじめられ、次にその年の秋、さらに同じ年の冬と、三度に分けて発表された。いずれも極く短い文章であるが、郊外の人家の庭や農家の垣に咲いている梅の花からはじまって、都市化するにつれて荒廃して行く東京の街の移り変わりを述べたあと、やがて市川などを流れる真間川のことに触れて、その川に沿って何処までも歩きつづけ、ついにそれが船橋の汚れた海に埋没するがごとくに流れこむことを見届けるところで終わっている。
荷風が町なかの川や水について語った文章は、「隅田川」をはじめ、「ふらんす物語」にも
リヨンのローヌ川の描写があるし、東京都内の溝渠や細流についてなど、まことに枚挙に
いとまがないほどであるが、この「葛飾土産」は晩年の荷風が川によせて自らの生涯を振り
返り、なお残された人生を歩んで行く姿が淡々としるされて、その深く静かな諦念が不言不
語のうちに滲みとおるように描かれている。
私事をいえば、わたしも子供のころから何度も市川市に住んだことがあり、江戸川をはさん
で小岩と市川の二つの町は名前をきいただけで何らかの感傷を誘わずにはいられない。そ
のせいか、この「葛飾土産」を小品文であるにもかかわらず荷風掉尾の名作であるように思
うのである。》本書80ページ
「葛飾土産」を「荷風掉尾の名作」と評価をする人は多い。
「日和下駄」(『日和下駄』籾山書店 1915年刊 荷風36歳)には「一名 東京散策記」とサブタイトルが付せられてある。
彼はおよそ5年間、アメリカを歩き、フランスを歩き、そして幕引きが葛飾を歩くとなるのだ。
身長は180㎝近くあったようだから、日和下駄をはいたら、さぞ目立ったことだろう。
永井荷風ほど、身の周りをてくてく歩き、盛んに“随筆”を書いた文学者は、ほかにいないのではなかろうか?
荷風は夏目漱石、森鴎外ほどではないが、文芸批評や研究論文が驚くほどたくさんある。
わたしが知っている、または手許にある書物だけでも、秋庭太郎、江藤淳、野口富士夫、菅野昭正、川本三郎など、すぐに5-6人が思い浮かぶ。
わたしも荷風につては2019年に何度か書いている。
以下にその一部をLinkさせていただこう。
(天金加工をほどこした復刻本)
永井荷風のかたわらで(1) なつかしく豊かなる記憶
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/0b23d9728d17d866cdd065e2bdd467c1
永井荷風のかたわらで(2) 葡萄棚を通り抜けて
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/80b6c8ab0ca351f2fcf72579e6041315
永井荷風のかたわらで(3) 遊歩者のまなざし
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/21e4888a1eccb8f174d18f9ec34d6fb7
永井荷風のかたわらで(4) 稀覯本の世界について
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/e73a4e87159321364a05815a7e790059
永井荷風のかたわらで(6) 雨なほ歇(や)まず
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/c13530846e44725dcfeb78f36fc341e6
永井荷風のかたわらで(7) 鮫屋の親爺
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/2b917b8a897aad40837e4d82433f7df2
永井荷風のかたわらで(8) 名品!「牡丹の客」
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/bd76296c049c95c75fbf37e53be0cfc2
ほかにも2-3短めのものを書いているが、思い出せないなあ(。-ω-)タハハ
いつもの散歩のつもりでBOOK OFF(わたしがよくゆく店が前橋に2店舗、高崎に1店舗)に出かけたら、安岡章太郎の随筆集(むしろ雑文集)が200円+税のコーナーに置いてあった。いまたしかめたところでは、安岡さんは2013年に92歳でお亡くなりになっている。
■人生の隣(1975年刊 のち福武文庫)
■父の酒(1991年 文藝春秋 のち文庫)
■歴史への感情旅行(1995年刊)
これら随筆集(雑文集)は、「歳々年々」をふくめると今年になって4冊目なのである。これはいささか異常な現象で、どうしてこうなったかというと、安岡章太郎さんの愛読者が(そういう年代の人が)お亡くなりになったからではないかと、想像せざるをえない。
BOOK OFFは少し足をのばせば周囲に3軒+3軒、古書店が2軒。
散歩の延長で気が向くとどこかそのへんを訪れる。
第三の新人といわれる世代の小説家では、わたしは吉行淳之介と安岡章太郎が“好きな小説家”の部類に入る。
したがって集まってくる本の数が、どうしても多くなる( ´◡` ) トホホ
しかし、欲をかいても、その割に読めないのは、いつもの通り。
「歳々年々」をぱらぱらはぐっていたら、永井荷風に関する記事が、2つあった。今回はそれを取りあげてみる。
荷風の随筆
水の流れ 永井荷風文学紀行
安岡さんには「私の濹東綺譚」(1999年刊 のち文庫)もある。
(講談社版「歳々年々」の扉ページ 田村義也装幀)
《市川の町を歩いてゐる時、わたくしは折々四五十年前、電車も自動車も走ってゐなかったころの東京を思出すことがある。
杉、柾木、槙などを植ゑつらねた生垣つゞきの小道を、夏の朝早く鰯を売りあるく男の頓狂な声。さてはまた長雨の晴れた昼すぎにきく竿竹売や、蝙蝠傘つくろひ直しの声。それ等はいづれもわたくしが学生のころ東京の山の手の町で聞き馴れ、そしていつか年と共に忘れ果てた懐かしい巷の声である。
夏から秋へかけても日盛に、千葉県道に商ひ舗(みせ)では砂ほこりを防ぐために、長い柄杓で溝の水を汲んで撒いていることがあるが、これも亦わたくしには、溝の多かった下谷浅草の町や横町を、風の吹く日、人力車に乗って通り過ぎたころのむかしを思い出させずには置かない。》(「葛飾土産」 本書より孫引き)
歳をとったせいで、荷風は盛んに「昔、むかし・・・」と、うるさいほど過去を思い出している。
ここまでは「葛飾土産」の孫引きとなる。
以下は少々長くなるが、安岡さんの「水の流れ」からの引用。
《「葛飾土産」は、荷風が市川に住んで二度目の新春を迎えようとする頃から書きはじめられ、次にその年の秋、さらに同じ年の冬と、三度に分けて発表された。いずれも極く短い文章であるが、郊外の人家の庭や農家の垣に咲いている梅の花からはじまって、都市化するにつれて荒廃して行く東京の街の移り変わりを述べたあと、やがて市川などを流れる真間川のことに触れて、その川に沿って何処までも歩きつづけ、ついにそれが船橋の汚れた海に埋没するがごとくに流れこむことを見届けるところで終わっている。
荷風が町なかの川や水について語った文章は、「隅田川」をはじめ、「ふらんす物語」にも
リヨンのローヌ川の描写があるし、東京都内の溝渠や細流についてなど、まことに枚挙に
いとまがないほどであるが、この「葛飾土産」は晩年の荷風が川によせて自らの生涯を振り
返り、なお残された人生を歩んで行く姿が淡々としるされて、その深く静かな諦念が不言不
語のうちに滲みとおるように描かれている。
私事をいえば、わたしも子供のころから何度も市川市に住んだことがあり、江戸川をはさん
で小岩と市川の二つの町は名前をきいただけで何らかの感傷を誘わずにはいられない。そ
のせいか、この「葛飾土産」を小品文であるにもかかわらず荷風掉尾の名作であるように思
うのである。》本書80ページ
「葛飾土産」を「荷風掉尾の名作」と評価をする人は多い。
「日和下駄」(『日和下駄』籾山書店 1915年刊 荷風36歳)には「一名 東京散策記」とサブタイトルが付せられてある。
彼はおよそ5年間、アメリカを歩き、フランスを歩き、そして幕引きが葛飾を歩くとなるのだ。
身長は180㎝近くあったようだから、日和下駄をはいたら、さぞ目立ったことだろう。
永井荷風ほど、身の周りをてくてく歩き、盛んに“随筆”を書いた文学者は、ほかにいないのではなかろうか?
荷風は夏目漱石、森鴎外ほどではないが、文芸批評や研究論文が驚くほどたくさんある。
わたしが知っている、または手許にある書物だけでも、秋庭太郎、江藤淳、野口富士夫、菅野昭正、川本三郎など、すぐに5-6人が思い浮かぶ。
わたしも荷風につては2019年に何度か書いている。
以下にその一部をLinkさせていただこう。
(天金加工をほどこした復刻本)
永井荷風のかたわらで(1) なつかしく豊かなる記憶
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/0b23d9728d17d866cdd065e2bdd467c1
永井荷風のかたわらで(2) 葡萄棚を通り抜けて
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/80b6c8ab0ca351f2fcf72579e6041315
永井荷風のかたわらで(3) 遊歩者のまなざし
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/21e4888a1eccb8f174d18f9ec34d6fb7
永井荷風のかたわらで(4) 稀覯本の世界について
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/e73a4e87159321364a05815a7e790059
永井荷風のかたわらで(6) 雨なほ歇(や)まず
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/c13530846e44725dcfeb78f36fc341e6
永井荷風のかたわらで(7) 鮫屋の親爺
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/2b917b8a897aad40837e4d82433f7df2
永井荷風のかたわらで(8) 名品!「牡丹の客」
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/bd76296c049c95c75fbf37e53be0cfc2
ほかにも2-3短めのものを書いているが、思い出せないなあ(。-ω-)タハハ