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「街の無意識」NO.5はこちら。
Blog記事や日記をメインに据えて記事を投稿している人の大半は、写真を挿絵としてしか扱っていない。わたしもそういうふうに、挿絵として使うこともあるが、写真は本来、ことばから独立している。
ことばの従者ではないのだ。
したがって、説明すればするほど、写真が根本的にもっている迫真力を失い、つまらなくなる。
では本作はどうか?
「雨の夜」あるいは「雨の夕べ」「雨の夕刻」とでも題し、あとは“見る側”に渡せば、それでいいのだ。
ついひと言、ふた言添えたくなるのは、わたしの悪いクセ(^^;)
その都度、気持のゆれはむろんある。
しか~し、若いころ、木村伊兵衛さんやカルチェ=ブレッソンからうけた衝撃は「そのこと」以外ではなかった・・・と思う。
森山大道さんの写真集を思い浮かべれば、わたしの謂わんとすることがわかってもらえるはず(^^)/
Blog記事や日記をメインに据えて記事を投稿している人の大半は、写真を挿絵としてしか扱っていない。わたしもそういうふうに、挿絵として使うこともあるが、写真は本来、ことばから独立している。
ことばの従者ではないのだ。
したがって、説明すればするほど、写真が根本的にもっている迫真力を失い、つまらなくなる。
では本作はどうか?
「雨の夜」あるいは「雨の夕べ」「雨の夕刻」とでも題し、あとは“見る側”に渡せば、それでいいのだ。
ついひと言、ふた言添えたくなるのは、わたしの悪いクセ(^^;)
その都度、気持のゆれはむろんある。
しか~し、若いころ、木村伊兵衛さんやカルチェ=ブレッソンからうけた衝撃は「そのこと」以外ではなかった・・・と思う。
森山大道さんの写真集を思い浮かべれば、わたしの謂わんとすることがわかってもらえるはず(^^)/