(とっくに解体され姿を消していると想像していたけど、とーんでもないぞ、まだ現役!)
わたしにとって、ウジェーヌ・アジェ(1857~1927年)は、忘れることのできない、過去の偉大な写真家の一人である。
30代のおわりで出会ったのか、40代のはじめであったか、うまく思い出すことはできないが、このアジェやウォーカー・エバンスらと出会ったことで、写真の第二ステージがはじまった。
これまでわたしは、アジェについては、ほぼ3回取り上げている。
1.ウジェーヌ・アジェのように(2011.4.29)
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/444cb579eb573b8b3652ed56900e22ce
2.ウジェーヌ・アジェにたどり着く(2012.6.25)
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/38e1d30cdc2f30816c76fbc521b77603
3.写真集を振り返る Part3(2012.2.20)
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/315ca897986abe3136612f24c20e5e7a
これらの記事に、これ以上付け加えることはあまりない。
アジェには、アーチストという意識はほとんどなかった。その履歴を閲覧していると、挫折につぐ挫折、経済的にはめぐまれない、苦しい人生を送ってきたのだ。
こういう写真家が、最近になって、もう一人あらわれた。
それがヴィヴィアン・マイヤーである!
絵画では死後急激に名声があがる画家は掃いてすてるほど存在するし、いろいろな神話・伝説がまとわりついている。
しかし、写真界にあっては、そういった事例はごくまれ。
アジェとマイヤー・・・真に偉大な徹底した写真家として死後蘇った。
写真はその大半はドキュメンタリー、あるいはノンフィクションである。
ここに映し出されているのは、いうまでもなく現実に彼が「その場」で目撃した光景なのだ。
そのことにかんがえがおよばない人は、彼の写真を「古めかしい歴史的な挿絵」としか見ていない人びとであろう。
過ぎ去った時代・・・つまり過去とはいったい何であったのか?
「もしかしたら、この時代のパリに、わたしもいったことがあるのではないか」
アジェの写真集は、そういったいわば不遜な妄想にわたしの意識を拉っし去るのだ。
屋根裏部屋で、ベレニス・アボットがやってくるのを待っていた最晩年のアジェを想像すると、胸がうずくのはなぜだろう?
街撮りをしながら、遠くアジェを仰ぎ見る。
「ああ、そうか。この人の子孫の一人だったのだ、わたしも!」
ふと蘇るアジェのパリと、21世紀の現代、しかも北関東のさえない地方都市とでは何の類似もないのだろうか?
アジェはアパートのドアに手書きの「芸術家のための資料(documents pour artistes)」という看板を掲げていたそうである。
彼がたくさんのフォトを後世に残してくれたおかげで、わたしは芸術家ではないが、彼の写真を足がかりに、20世紀初頭のパリへ出かけていくことができる。
それは何と、なんと素晴らしいことだろう(^ー^)ノ
※カラー写真はすべてニコンFE2で撮影した銀塩フィルムからのものをデジタル化した画像です。
※アジェの写真はこちらからお借りしました。世界の写真家シリーズ「アジェ・フォト」。
https://www.atgetphotography.com/Japan/PhotographersJ/Eugene-AtgetJ.html
※ベレニス・アボットについては、こちらを参照して下さい。
https://www.atgetphotography.com/Japan/PhotographersJ/Abbott.html
わたしにとって、ウジェーヌ・アジェ(1857~1927年)は、忘れることのできない、過去の偉大な写真家の一人である。
30代のおわりで出会ったのか、40代のはじめであったか、うまく思い出すことはできないが、このアジェやウォーカー・エバンスらと出会ったことで、写真の第二ステージがはじまった。
これまでわたしは、アジェについては、ほぼ3回取り上げている。
1.ウジェーヌ・アジェのように(2011.4.29)
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/444cb579eb573b8b3652ed56900e22ce
2.ウジェーヌ・アジェにたどり着く(2012.6.25)
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/38e1d30cdc2f30816c76fbc521b77603
3.写真集を振り返る Part3(2012.2.20)
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/315ca897986abe3136612f24c20e5e7a
これらの記事に、これ以上付け加えることはあまりない。
アジェには、アーチストという意識はほとんどなかった。その履歴を閲覧していると、挫折につぐ挫折、経済的にはめぐまれない、苦しい人生を送ってきたのだ。
こういう写真家が、最近になって、もう一人あらわれた。
それがヴィヴィアン・マイヤーである!
絵画では死後急激に名声があがる画家は掃いてすてるほど存在するし、いろいろな神話・伝説がまとわりついている。
しかし、写真界にあっては、そういった事例はごくまれ。
アジェとマイヤー・・・真に偉大な徹底した写真家として死後蘇った。
写真はその大半はドキュメンタリー、あるいはノンフィクションである。
ここに映し出されているのは、いうまでもなく現実に彼が「その場」で目撃した光景なのだ。
そのことにかんがえがおよばない人は、彼の写真を「古めかしい歴史的な挿絵」としか見ていない人びとであろう。
過ぎ去った時代・・・つまり過去とはいったい何であったのか?
「もしかしたら、この時代のパリに、わたしもいったことがあるのではないか」
アジェの写真集は、そういったいわば不遜な妄想にわたしの意識を拉っし去るのだ。
屋根裏部屋で、ベレニス・アボットがやってくるのを待っていた最晩年のアジェを想像すると、胸がうずくのはなぜだろう?
街撮りをしながら、遠くアジェを仰ぎ見る。
「ああ、そうか。この人の子孫の一人だったのだ、わたしも!」
ふと蘇るアジェのパリと、21世紀の現代、しかも北関東のさえない地方都市とでは何の類似もないのだろうか?
アジェはアパートのドアに手書きの「芸術家のための資料(documents pour artistes)」という看板を掲げていたそうである。
彼がたくさんのフォトを後世に残してくれたおかげで、わたしは芸術家ではないが、彼の写真を足がかりに、20世紀初頭のパリへ出かけていくことができる。
それは何と、なんと素晴らしいことだろう(^ー^)ノ
※カラー写真はすべてニコンFE2で撮影した銀塩フィルムからのものをデジタル化した画像です。
※アジェの写真はこちらからお借りしました。世界の写真家シリーズ「アジェ・フォト」。
https://www.atgetphotography.com/Japan/PhotographersJ/Eugene-AtgetJ.html
※ベレニス・アボットについては、こちらを参照して下さい。
https://www.atgetphotography.com/Japan/PhotographersJ/Abbott.html