
音楽を聴いているとき
ぼくはいつも不思議な気分に襲われる。
むろん ほとんどは器楽曲。
その音楽を聴いているときでないと味わえない
なんとも名状しがたい気分なのである。
昨日と今日でぼくは十曲のシンフォニーを聴いてきたけれど
味わえる気分はぜんぶ違っていた。
これって あたりまえのことなんだけれど。
ときどき あまりまえじゃないのかな
・・・と考え込んで 第二楽章の途中や
第三楽書の終わりで迷子になる。
生への挨拶や 恋のもやもやを
こんな音響の大伽藍に仕上げていくってどういうことなんだろう。
その作曲のプロセスはとうていぼくの想像力では手におえない。
音楽は音楽が聞こえている時間の中にしか存在しない。
詩や絵画もそうなんだろうけれど。
音楽は静寂の上に花開く。
激しい騒音のまっただ中で音楽を聴きたいと思う人もいるだろうか。
物事に「例外」はつきものだから。
いま鳴り響いているのはベートーヴェンのシンフォニー第七番。
ジョージ・セル指揮の。
ああ ぼくはどこへつれていかれるんだろう。
くそ セルのやつ!
たくさんの扉のようなものがあって
人びとがさも忙しげに出たり入ったりしている。
音も人も 物語や意味から解き放たれてはしゃぎまくっている。
なにもない虚空からしろい雲が出現するように
音の行列がぼくの前や後ろから湧きおこる。
感動のさなかにいるぼくは たぶんぼくではない。
ぼくは ぼくから解き放たれ
なにやら「大いなるもの」に似た気分の中を歩いている。
あのコウヤマキはぼくなのか。
花崗岩でつくられた炎天下の石仏も?
音も人も 物語や意味から解き放たれてはしゃぎまくっている。
そしてぼくも いま。
※いつものことながら、詩と写真は直接的な関係はありません。