二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

底辺から時代を見上げるまなざし ~吉村昭「プリズンの満月」をめぐって

2021年12月20日 | 吉村昭
■吉村昭「プリズンの満月」新潮文庫(平成10年刊 原本は平成7年新潮社)

司馬遼太郎は鳥観図を用いて、そのパースペクティブがもたらす視野の中で歴史や時代を眺めようとするが、吉村昭はそうではない。
むしろ地を這うような低いまなざしを好んで用いる。
それは司馬さんが、大抵の場合、その時代の権力者や英雄、いわゆる“歴史的有名人”をしばしば主役に据えていることを勘案すればわかる。それに比べ、吉村さんは、時代の脇役、あるいは端役を主人公に抜擢する。

「あら、そんな人物がいたの!? 知らなかったなあ」
吉村さんの手法の特長が、まずそこにある。
したがって、忘却の淵から発掘された物語を、われわれ読者も目撃することになる。そこに、存在理由を賭けているといってもいい。その賭けに、大抵は成功している。
これまでたてつづけに彼の小説を読んできて、畏敬の念を感じずにはいられないのは、まずそのことである。

作家は底辺か、その近くにたたずむ。
ほとんどの作品、その座標軸は主役に抜擢した無名の主人公のかたわらに置かれる。その眼に映し出される峻烈な風景。
無名の者だが、掘り起こしてみると素地は少しも傷んではいない。染め直しを待っていたとでもいいたい、素地の手触りを作者は愛おしむ(ノω・、)
「わかる読者には必ずわかるはず」
小説の裏話を述べたようなエッセイを読んでいると、そういう吉村さんに、共感せずにはいられない。
吉村昭は大作家であった、大作家らしくない、大作家。
やや大げさな表現だが、そう呼ぶことに、もはや躊躇しないと断言しておこう。

さて、「プリズンの満月」とはこういう内容の作品である。

《40年におよぶ刑務官生活にピリオドを打った鶴岡に、再就職の話が舞い込んだ。それは、巣鴨プリズン跡地に建つ高層ビル建設の警備を指揮するというものだった。鶴岡の脳裏に、かつて自らが刑務官として勤務したプリズンの情景がよみがえった―。敗戦国民が同国人の戦犯の刑の執行を行うという史上類のない異様な空間に懊悩する人々の生きざま。綿密な取材が結実した吉村文学の新境地。》(BOOKデータベースより)

現代にあっては巣鴨プリズンを知らないという若者が大半だろう。サンシャインシティーが、刑務所の跡地に建っていることを耳にしたことはあるだろうが、その巣鴨プリズンが何であったか、よく知っているという人はごくわずかのはず。
「きみたちは時代に流されているだけなのだよ」
わたしは例外である・・・というのではない。しかし、こんなに具体的にそのかたわらから、プリズンの内部をしげしげとのぞき込んだことはなかった。一般の刑務所と比較し、はっきりと区別されるべき収容施設なのだ。

この風景は教科書や通史に書かれていることとは、まるで違う。
吉村さんは、ペンという道具を使って、これまでだーれも見たことのない異様な“悲哀”の情を掘り起こしたのだ。
語り手はここでも一警務官。評論家でも、歴史家でもない、平凡な初老の男を主人公に据えている。主人公に非インテリを択んだことは、作品の裾野を拡げたという意味で、重要である。

作品の構成は、サンシャインビル(固有名詞は登場しない)建設の“現代”から遡って、巣鴨プリズンがあった時代と、そこで行われたことを、じつに鮮やかに照射して見せたのだ。よくある額縁小説の構成をとっている。
鶴岡は元巣鴨プリズンの刑務官。一旦は定年で仕事をやめたが、大恩ある上司に懇請され、ビル建設現場の警備責任者となった。その鶴岡に巣鴨プリズンの時代を語らせているわけだ。鶴岡のまなざしが、そのまま吉村さんの視点となっている。
そして“巣鴨プリズンがあった時代”を思い起こす。

時系列に沿って、小さなエピソードが重ね合わされる。最後のページには、「巣鴨プリズン見取り図」が折り込みになっていて、読者の理解をサポートしてくれる。読者はその地図によって、プリズンの収容施設としての空間を把握する。
戦犯収容者927名!
A級戦犯の名は多くの日本人に知られている。しかし、B・Cで死刑に処された戦犯は知られていない。
吉村さんは、占領下の刑務所がどんなものであったか、克明にあぶり出している。例によって、幾多もの資料を駆使し、生き残りの関係者に何度もインタビュー、そして「プリズンの満月」を世に出す気になった。

彼らは多くの日本人、マスコミが報道したような“極悪人”であったのか、と吉村さんはくり返し問いかけている。この問いは、ストーリーが進むにしたがって、痛切な悲哀の色を濃くしてゆく。
“語り”の力( -ω-)
作者の熟練の技が、ストーリー展開に溶け込んでいる。フィリピン、モンテンルパ収容所のエピソードは感動的である。

■モンテンルパの夜は更けて
https://www.youtube.com/watch?v=030-YwZzjaU
https://www.youtube.com/watch?v=94Wh-KeG-pM
Youtubeを見ていたら、こんな動画を発見した。
レコードの発売は昭和27年、わたしが生まれた年。7年もたつのに、まだ、多くの戦犯が収容されていたのだ。この動画で渡辺はま子の貴重な肉声も聞くことができる。
決して感傷的ではないのに、涙が流れて止まらない。

記録文学が、吉村昭によって大成されたことはいまさらいうまでもないだろう。
「赤い人」
「破獄」
そしてこの「プリズンの満月」。さらに吉村さんには「仮釈放」がある。
囚人と看守。
裁判官、検事、弁護士といったインテリの物語ではないことには意味がある。

底辺から見上げるまなざしにこだわった、吉村昭らしい作品系列である。コロナ禍に振り回されている現代の平和国家日本は、彼らの犠牲の上に築かれてきたのだ。それを告発者の眼ではなく、ノンフィクション・ノベルの作家として、事実を掘り起こし、淡々と記述することで、忘れていた、あるいは忘れたかった過去が再現される。それらは歴史家の叙述とも大きく違う。

感動のあらしが待っている。
さあ、耳をすまし、眼をみがいて、ここにある過酷な現実を凝視しようではないか!






  ※写真はネット検索によりお借りしました。ありがとうございました。


評価:☆☆☆☆☆


※池袋サンシャインはウィキペディアを参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3

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