二草庵摘録

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大岡信「うたげと孤心 大和歌篇」(同時代ライブラリー31 岩波書店)を読む

2020年09月07日 | エッセイ(国内)
   (岩波文庫ではなく、同時代ライブラリー版で読んだ)



ごく大雑把にいえば、前半が「万葉集」「古今和歌集」論、後半が「梁塵秘抄」論である。
大岡さんの古典論の中核をなす、力のこもった一冊。
しばしば原典が原文で引用されているため、たいへん読み応えのある、こってりした内容になっている。わたしは古文を十分読みこなすことができない軟弱者なので、読みおえるのに苦労した。以前も一度挫折を味わっている。

この時期の大岡さんが、「万葉集」はもちろん「古今和歌集」と「梁塵秘抄」に取憑かれていたことが、ひしひしとつたわってくる。著作家としての熱いハートが脈打っている。金鉱脈を掘りあてた人の興奮、といってもいいだろう。
読者は、その語り口に圧倒される。
万葉集と人麻呂については、「万葉集」(現在は「古典を読む 万葉集」岩波現代文庫所収)で秀逸な分析をおこなっていて、レビューは書かなかったものの、本書に取りかかる前に読みおえている。

《じつをいえば、わたしが後白河院という今様狂いの帝王に興味を感じた理由の主な一つは、この点にあった。この人は、信仰心にきわめて篤い。そしてこの人は、遊芸に身を責めた。信仰者後白河と風狂人後白河と。両者をつないで一人の生身の後白河院として統一しているものは、いったい何だったのか。
結局のところ、思想的な面でいえば、狂言綺語(きょうげんきぎょ)と讃仏乗の一致を信じつづけること、そこに後白河院の今様狂いの思想的根拠があったのだ。
そういう根拠がある以上、今様修行に熱中することは、賞讃すべきことでこそあれ、忌むべき筋合いのものでは全くなかったのである。
こうして、信仰心が篤ければ篤いほど、ますます狂言綺語の世界に深く陶酔してゆくという独特の精神構造が見えてくる。
私はこれを後白河院という特殊な個人だけのものだとは毛頭考えない。たとえば日本の「芸能」の世界は、究極においてすべて、後白河院がめざしたのと同じところをめざすものではなかったろうか。》(323ページ)

若書きの本というわけではないのに、ここには「折々のうた」の大岡さんとは違った批評家が、情熱的に語っている。書きながら発見し、発見しながら書いている、その書斎の興奮が、まざまざと刻印されているのだ。

《詞華集の編纂、歌合,連歌といった古典詩歌の創造の場としての「うたげ」、これに対峙する創作者たちの「孤心」、『万葉』『古今』、そして『梁塵秘抄』等々、日本詩歌史上の名作の具体的な検討を通して、わが国の文芸の独自性を問い、日本的美意識の構造をみごとに捉えた名著。豊饒なる詩のこころへの誘い。》

これは岩波文庫に付された内容紹介である。
なぜ大和歌篇なのかというと、これを書いたとき、ひきつづき、漢詩篇を書いてやろうという意図があったからだ。
中国人による、いわゆる「唐詩選」の類ではなく、日本人がつくりつづけてきた、「日本人による漢詩」である。日本の支配階級・知識階級は、奈良時代の昔から、江戸の末期にいたるまで営々として、漢詩をつくりつづけた。そこに注目したのだ。
しかし、漢詩篇は、諸事情によって、結局書かれずに終ってしまった。

後半における「梁塵秘抄」論は、傑出した論考といっていいのではないか。
後白河院(法王)を、ある意味友人あつかいしている。読者としてのわたしも、このような後白河院に出会うのは、はじめて。
平清盛や源頼朝と虚々実々の政治的権力闘争をくり広げた歴史上の人物ではなく、「梁塵秘抄」の編纂者としての後白河院像は、すばらしく彫りの深い仕上がり。いたるところ、批評家大岡信の腕の冴えが火花を散らしている。

「梁塵秘抄口伝集」を下敷きにした、後白河院をめぐる一群の今様の歌い手たちを叙する大岡さんの手綱さばきが最大のクライマックス。後白河の師匠であった乙前をはじめ、なびき、四三、大大進、小大進といった歌姫たちを、舌なめずりせんばかりに描写する筆法が、これでもか、これでもかと展開する。
少々くどいと感じられるほど引っぱっているので、息切れし、斜め読みした部分があったほど。このあたりが本書の読み所。

きりがないので、内容にはこれ以上立ち入らない。
「大和物語」や「梁塵秘抄口伝集」がところどころ、原文で登場する。そのあたりは残念ながら、菲才無学のわたしには歯が立たない。こういう時代の古文を読みこなす力がある読者ならもっとおもしろく読めるのだろう。

さっき調べたら「和漢朗詠集 梁塵秘抄」(川口久雄・志田延義校注)の日本古典文學大系(岩波書店)が手許にあることがわかった。「口伝集巻一」「口伝集巻二」も収録されている。


  (日本古典文學大系73 「和漢朗詠集 梁塵秘抄」)

しかし、かなり専門的な知識がないと、読みこなすことはできそうにない。本編を拾い読みする程度で精一杯。
学生に戻って、日本文学を一から学ぶことができるというならきっとおもしろく読めるに違いない。
くり返すようだが、本書は大岡さんの古典文学論の中核を担う論考である。こういった著作を基礎にして、類を見ない詞華集「折々のうた」が高く聳えたっている。


  (日本文学の専門家、西郷信綱による「梁塵秘抄」ちくま学芸文庫。)



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