二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

萩原朔太郎complex (その5/最終回)

2020年08月01日 | 俳句・短歌・詩集
   (朔太郎が出版した初版本・表紙の数々。講談社版日本文学全集より)

 

朔太郎論のたぐいがどのくらいあるのか知らないが、それらを読んだからといって、即影響を受けるわけではない。その評者の眼に、彼がどう映ったかを参照するのはムダではないにせよ、それだけのこと。
わたしの眼には、違った朔太郎が映じてくるのは、いかんともしがたい。
那珂太郎さんの「萩原朔太郎詩私解」(小沢書店, 1985)をぜひとも読みたいのだが、手に入れることができなかった(^^;)
どうしてもとなれば、県立、または市立図書館に出かけていかざるをえないだろう。


  (大岡信と野村喜和夫の「萩原朔太郎」 正面から対峙した読み応え十分の労作)


  (磯田光一の「萩原朔太郎」 朔太郎をまるで思想家のように扱っている)

那珂さんは《彼は、わが国近代詩はじまって以来真の意味で近代的というに価する、実存の内奥を開示してみせた、おそらく最初の詩人なのだ》と、ある本の解説で述べている。
わたしとほぼ同年の現役の詩人野村喜和夫さんは「朔太郎の詩について考えをめぐらすことは、ほかでもない自分の詩について考えることにつながる」といっている。


《「小出新道」――「才川町」「新前橋駅」と共に、最も歯ぎれのいい駿颯の気に富む作だ。ぶつつけの殴り書きのやうに無造作で、危つかしげな字句がことごとく、ために反つて強く適切に、ぎりぎりいつぱいの作用で働いてくる、――天分や運命の指紋を見るやうな、まことに名状しがたい作品である。
これらの作品が嘗て「日本詩人」に発表された朝、芥川龍之介は寝間着姿のまま近隣の著者を訪れて、読後の感激を語ったと伝えられるのも、さもありさうなことに肯がはれる。澄江堂先生にとっては、とりわけこれらの破格の作ぶりは瞠目に価したであらう。》

三好達治は「萩原朔太郎の概略」の中で、こう書いている。
三好さんは、「氷島」はついに認めなかったが、「郷土望景詩」の連作には絶賛を惜しまなかった。

「月に吠える」と「青猫」。
詩集のタイトルとイメージは、どちらも秀逸。
しかし、「青猫」はわたしにとっては、十分読み解いたという気分にはほど遠いものがある。
朔太郎は自身の作品に対し饒舌で、詩集のまえがきやあとがきで、つまらない説明的な文言をいたるところに書き散らしている。
そのことばに寄り添って読むべきかどうか、まだ迷っている。「青猫」を攻略できた・・・という気分にひたることができるまで、数ヶ月はかかるだろう。

最後に、わたしが好きな作品トップ5のうちの一編を書き写しておこう。

 鶏 (全編)

さむしい田舎の自然からよびあげる母の声です
とをてくう、とをるもう、とをるもう。

朝のつめたい臥床(ふしど)の中で
私のたましひは羽ばたきをする
この雨戸の隙間からみれば
よもの景色はあかるくかがやいてゐるやうです
されどもしののめきたるまへ
私の臥床にしのびこむひとつの憂愁
けぶれる木木の梢をこえ
遠い田舎の自然からよびあげる鶏(とり)のこゑです
とをてくう、とをるもう、とをるもう。

恋びとよ
恋びとよ
有明のつめたい障子のかげに
私はかぐ ほのかなる菊のにほひを
病みたる心霊のにほひのやうに
かすかにくされゆく白菊のはなのにほひを
恋びとよ
恋びとよ。

しののめきたるまへ
私の心は墓場のかげをさまよひあるく
ああ なにものか私をよぶ苦しきひとつの焦燥
このうすい紅(べに)いろの空気にはたへられない
恋びとよ
母上よ
早くきてともしびの光を消してよ
私はきく 遠い地角のはてを吹く大風(たいふう)のひびきを
とをてくう、とをるもう、とをるもう。
  ~「青猫」“憂鬱なる桜”の中の一編


ピュアな、研きぬかれた秀作といえる詩である。書き写しながら胸がときめくほど(^^♪ 母親と恋びとがならんで出てくるのがやや不可解だが。
「私はきく 遠い地角のはてを吹く大風(たいふう)のひびき」
この一行の凛乎とした美しさに脱帽したくなる。「遠い地角のはてを吹く大風(たいふう)」ですぞ!
感心しないとしたら、あなたのことばに対する感受性の鈍さを疑った方がいい(笑)。


《朝のつめたい臥床(ふしど)の中で
私のたましひは羽ばたきをする
この雨戸の隙間からみれば
よもの景色はあかるくかがやいてゐるやうです
されどもしののめきたるまへ
私の臥床にしのびこむひとつの憂愁
けぶれる木木の梢をこえ
遠い田舎の自然からよびあげる鶏(とり)のこゑです》

「母の声です」と冒頭で断っているが、一歩踏み込んで問うとしたら、この鶏(とり)のこゑとは、本当はいったいなんのことだろうかとかんがえた。
そのあと「私の臥床にしのびこむひとつの憂愁」だとも書いている。こんな“憂愁”に、夏目漱石のような突出した小説家をのぞき、彼以前のだれが、こころを鷲づかみにされただろう? 

夢ともうつつともさだかでない真情が、過不足のない詩的言語として、ここに見事に結晶している。
こういうところに彼の近代人あるいは現代人たる所以があるといってはいけないだろうか。何者かに魂を引き裂かれているのだ。

とをてくう、とをるもう、とをるもう
この鶏(とり)の声は、肉親にも家郷にも容れられなかった彼自身の声でなのである。なぜか、そう思えて仕方ない。


  (朔太郎の作品に登場する前橋刑務所の長いレンガ塀)

ところで、室生犀星は、「純情小曲集」の序文に寄せてこう述べている。

《或る朝、萩原は一帖の原稿紙わたしに見せてくれた。いまから十三四年前に始めてわたしが萩原の詩をよんだときの、その原稿の綴りであった。
わたしは読み終へてから何か言はうとしたが、それよりもわたしが受けた感銘はかなりに繊(こまか)く鋭どかったので、もう一度黙って原稿を繰りかへし読んで見た。
そしてやはり頭につうんと来る感銘が深かった。いいフィルムを見たときにつうんとくる涙つぽい種類の快よさであった。
わたしはすぐに自分のむかしの詩を思ひ返して、萩原もいい詩をかいて永い間世に出さなかったものだと、無関心で、無頓着げなかれの性分の中に或る奥床しさをかんじた。
かれは何か絶えずもの珍しいものを秘かにしまつてゐるやうな人がらである。》(「珍しいものをかくしている人への序文」より。用字は原文のまま)

《そしてやはり頭につうんと来る感銘が深かった。いいフィルムを見たときにつうんとくる涙つぽい種類の快よさであった。》
室生犀星が、朔太郎のよき理解者であったことがわかる、すぐれた序文である。文学的にこういう稀有な味方がいたことは、彼にとってシアワセというべきである。


「純情小曲集」(大正14年刊)は前半が「愛憐詩篇」、後半が「郷土望景詩」から成り立っている。芥川龍之介を感激させた作品群であり、三好達治を唸らせた素晴らしき詩の束である。
冒頭に引用した「夜汽車」も、この「愛憐詩篇」の一編。

とをてくう、とをるもう、とをるもう
この擬音(オノマトペ)を最初に読んだ日から、何十年もの時が流れた。
そしていま、こうして萩原朔太郎の詩に、向かい合おうとしている。還暦はとうに過ぎてしまった。
ぐるりと一巡したのだ。
こうしてふたたび彼の作品の前にたたずんでいるのが、不思議なめぐりあわせでもあるかのように、わたしのこころの奥に食い込んでくる。

なんだかんだといいながらも、郷土の詩人朔太郎は、現代詩の彼方に高く、たかくそそり立っている。この小論文はそれを確認するための、ささやかな作業であった。



(講談社「豪華版 日本現代文学全集26 萩原朔太郎」 詩ばりでなく、アフォリズム、詩論、文化論、随想、書簡などを通覧できる。ただし印字がいくぶん小さいのが難点)



※ 引用文は当方の判断で改行をほどこしたところがあります。

// 以上 おしまい
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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