二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

D・キーン「百代の過客」とその周辺 ~読書の愉しみ♪

2016年09月17日 | エッセイ(国内)
「百代の過客」がきっかけを与えてくれたので、日本の伝統文学への関心が、ここへきて再燃している。
「百代の過客」ドナルド・キーン
「古池に蛙は飛びこんだか」長谷川櫂
「俳句の世界(発生から現代まで)」小西甚一

この順番で読みはじめ、「古池に蛙は飛びこんだか」のみ読みおえ、他の二冊はまだ最後のページまではたどり着いていない(^^;)

そういう状況ながら、本の感想をちょっと書いておきたくなった。



■「百代の過客」
これはすでにレビューを書いてUPしてある。
キーンさんといえば「源氏物語」の研究家だと、なんとなくわたしは思い込んでいたが、そうではなかった。
本書はたいへんな労作である。文学の香などほとんどない、古文書のたぐいまで眼を通し、的確な批評をつづっている。文学史上有名な“作品”ばかりでなく、うもれてしまった日記など80編を読んで紹介し、感想をつづる。この本の背景には、長いながい、研究者の執念と汗がつまっている。

この労作のおかげで、われわれは伝統文学としての日記を、再認識する。すぐれたものより、無味乾燥と称してもいいようなものの方が、はるかに多い。キーンさんの忍耐強さに脱帽しない読者はいないだろう。
あきらかに、学者としての側面が目立つ。
しかし・・・第一級の批評家の“作品”であることは、見逃すことができない。
D・キーンによる日本人論。あるいは男性論・女性論。そして日本文化論。
それらが渾然一体となって、本書ができあがっている。

日記は紀貫之「土佐日記」からはじまる。
最高傑作は、だれもが認める「おくのほそ道」である。
もっともっと多くのページを、芭蕉論についやしてもらいたかったと考える読者は、わたしだけではないだろう。
芭蕉については「野ざらし紀行」「鹿島詣」「笈の小文」「更科紀行」「おくのほそ道」「嵯峨日記」を取り上げている。
散文と詩の融合という意味で、「おくのほそ道」を、ダンテの「神曲」に比しているあたりは苦笑をさそう。しかし、規模が違いすぎるとはいえ、それほど評価が高い・・・ということだ。
わたしは源氏は苦手なので関連本すら読んだことはないけれど、芭蕉が遺した俳諧とその世界には、若いころから興味をいだいて、いろいろな本を読んできた。
山本健吉さん、安東次男さんの仕事は、その中心は芭蕉におかれていた。
そういう先達の仕事もしっかりと踏まえ、じつに見事に的を射ている。本書は比較文学的な手法の、最高の成果のひとつだろう。

評価:☆☆☆☆☆



■「古池に蛙は飛びこんだか」
本書は発想がとてもユニーク。いままでだれもいわなかったことに、あるいは過去の論争に、一石を投じた書であろう。
ただし、あまりに論旨のくり返しが多い。半分の紙幅があればいえることを、つらつらと書いているのはどうしたことか?
「ああ、またそれですか」
途中で投げ出したくなったが、新聞記事を読むようにすらすら読めたから、読了できた。
・古池に蛙は飛びこんだか
・切れ字「や」について
・一物仕立てと取り合わせ
・田を植えて立去ったのは誰か

このあたりは、ほんとうにおもしろい。
「アハハ、へえ、そうか」と、思わず膝をたたいてしまう。発想の転換がもたらす機知とユーモア。
わたしは現代俳句には関心がないので、俳人としての長谷川さんは、まったく知らない。
だが、エッセイに作風が反映しているとすれば、その俳句的世界と特質を想像することができる。

評価:☆☆☆

■「俳句の世界(発生から現代まで)」
小西甚一さんといえば、高校生のころ、古文の参考書を使った覚えが、かすかにある。
いまウィキペディアを調べたら、つぎの記載があった。
《学者として壮年期に日本学士院賞を受賞したが、同時に大学受験指導普及に熱心で、大学受験ラジオ講座の講師を務めたほか、自ら著した学習参考書『古文研究法』(洛陽社)は単なる参考書を超えた国文学入門書としてファンが多く、ロングセラーとなっている。》

本書は「通史」として連歌、俳諧、俳句の歴史を叙述してある。
大学の先生方がお書きになるこの種の本は、ほとんどその全部がつまらないが、本書は違う。日本文学に関心がある人ならば、途中で投げ出すことは、まずありえない。

小西さんは、「国文学」という閉鎖的な社会の住人ではない。世界的に通用する普遍的な価値観を背景にもった人が書いたから、おもしろいのだ・・・と、わたしは考えてみた。
履歴に《スタンフォード大学客員教授、ハワイ大学高等研究員、アメリカ議会図書館常任学術審議員、プリンストン大学高等研究員》とある(ウィキベディア)。

小西さんの語り口は、いまでも十分魅力的。
「寒雷」同人をしておられたというから、俳句も詠んでいたのだろう。実作者としての感受性が、学者らしくないことばをしばしば吐かせる。裃をぬいで、親しげに俳聖芭蕉を友人あつかいしたり、読者にすり寄ってきたり♪
論の展開はまことに合理的で、明晰な論旨がつらぬかれている。

さっき芭蕉論を読みおえたばかりで、これから第五章「芭蕉以後」にとりかかる。わたしは蕪村と子規を、小西さんがどんな論点から論ずるのか、期待している。本書は俳諧、俳句にことよせた詩論として、見逃すことができない内容も備えている。
とくに、子規と、子規以降の近・現代。
それが衰弱のときなのか、隆盛のときなのか?
「固唾を飲んで見守りたい」というと、大げさかな(笑)。

評価:☆☆☆☆★(4.5)

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