1 一本の傘
あああ と大あくびする猫になったつもりで
空をあおぎ深呼吸する。
さっきまでこだわっていた思考が蒸発すると
日常はガラス片のようにギザギザしたものになる。
軍手をはめて
用心深くそれを取り除く。
「あれれ こんなところにおれがいた」
と ほとんど無意識につぶやく。
ほこりだらけの一本の傘を見つけて。
2 声にならない叫び
ピアノの鍵盤のうえを
老女の指が走っていく。
目にもとまらぬ 驚くべきスピードで。
彼女は彼女の半生を演奏する。
とてもことばにはならないから。
六十数年の歳月が
輝かしいパッセージとなって駆け抜けていく光景。
ぼくはそれを目撃したのだ。
声にはならない叫びとともに。
3 散歩日和
小一時間激しく雷雨があって
いまはもう降り止んでいる。
塀に沿ってあちこちにできた水たまり。
ヒヨドリがやってきてその雨水を飲む。
おや ブラームスが散歩から帰ってきたぞ。
階段をのぼっていく足音が
カタンカタンときこえ すぐ静かになる。
明日はぼくも ブラームス先生と散歩に出かけよう。
黒い四分音符や十六分音符や
♯と♭をたくさんポケットにつめこんで。
明日はきっと ステキな散歩日和になるだろう。
4 大詩人田村隆一おじさん
ウィスキーの水割りを飲んでいると
田村隆一おじさんがどこからともなく現われた。
「近ごろ詩を書いているんだって?
よし おれが読んで品定めしてやろう」
急カーブにさしかかったのだろう
時間がスピードダウンし
書きためた詩が
田村さんが手にした秤の
あっちとこっちで
ぐらぐらとゆれているのを茫然と眺めていると
「うん いいんじゃないかね」
それだけをいうと たちまち
大いびきがきこえてきた。
そういえばストレートだったな
真冬でも氷のかけらを二つ三つ浮かべて。
めっぽう酒に強かった田村さん。
「人生はきみ 愉しむためのものだよ
ほかにたいした用なんてありゃしなかった」
呂律がまわらないような口許をもごもごさせ
大詩人は 目覚めたとたん豪快に笑った。
あああ と大あくびする猫になったつもりで
空をあおぎ深呼吸する。
さっきまでこだわっていた思考が蒸発すると
日常はガラス片のようにギザギザしたものになる。
軍手をはめて
用心深くそれを取り除く。
「あれれ こんなところにおれがいた」
と ほとんど無意識につぶやく。
ほこりだらけの一本の傘を見つけて。
2 声にならない叫び
ピアノの鍵盤のうえを
老女の指が走っていく。
目にもとまらぬ 驚くべきスピードで。
彼女は彼女の半生を演奏する。
とてもことばにはならないから。
六十数年の歳月が
輝かしいパッセージとなって駆け抜けていく光景。
ぼくはそれを目撃したのだ。
声にはならない叫びとともに。
3 散歩日和
小一時間激しく雷雨があって
いまはもう降り止んでいる。
塀に沿ってあちこちにできた水たまり。
ヒヨドリがやってきてその雨水を飲む。
おや ブラームスが散歩から帰ってきたぞ。
階段をのぼっていく足音が
カタンカタンときこえ すぐ静かになる。
明日はぼくも ブラームス先生と散歩に出かけよう。
黒い四分音符や十六分音符や
♯と♭をたくさんポケットにつめこんで。
明日はきっと ステキな散歩日和になるだろう。
4 大詩人田村隆一おじさん
ウィスキーの水割りを飲んでいると
田村隆一おじさんがどこからともなく現われた。
「近ごろ詩を書いているんだって?
よし おれが読んで品定めしてやろう」
急カーブにさしかかったのだろう
時間がスピードダウンし
書きためた詩が
田村さんが手にした秤の
あっちとこっちで
ぐらぐらとゆれているのを茫然と眺めていると
「うん いいんじゃないかね」
それだけをいうと たちまち
大いびきがきこえてきた。
そういえばストレートだったな
真冬でも氷のかけらを二つ三つ浮かべて。
めっぽう酒に強かった田村さん。
「人生はきみ 愉しむためのものだよ
ほかにたいした用なんてありゃしなかった」
呂律がまわらないような口許をもごもごさせ
大詩人は 目覚めたとたん豪快に笑った。