二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

司馬遼太郎ふたたび ~自分の作品は二十二歳の僕への手紙だった

2022年05月31日 | エッセイ(国内)
   (別冊太陽「司馬遼太郎」左側にいるのは「街道をゆく」の相棒・須田剋太画伯)



司馬遼太郎さんは、30代のはじめころ、熱中しかけたことがあった。
「空海の風景」
「項羽と劉邦」
この二作の長編に、心をがっちりつかまれてしまい、数年後ふたたび読み返した。
司馬さんといえば、「竜馬がゆく」「坂の上の雲」がベストセラー&ロングセラーの坂を、21世紀となった現在でも走りつづけている。
総発行部数が一億冊を超えているというのだからすごいとしかいいようがない。

山本周五郎、池波正太郎、藤沢周平・・・そして司馬遼太郎。
こういった作家たちは、すべて歴史・時代小説の旗手である。池波さんには「鬼平犯科帳」を主としてずいぶん深入りしたことがある。おじさんは歴史小説・時代小説が好きな人が、じつに多く、かくなるわたしもその一人(^^♪

これまで所持していた本が旧版となってしまったため、5月から新版を集めはじめた。
司馬遼太郎ふたたび・・・のつもりがあってのこと。
ただし、相手があまりの巨竜なので、どこからどう手をつけていったらいいものか、迷いに迷っている。
「竜馬がゆく」文春文庫 全8冊
「坂の上の雲」文春文庫 全8冊
「翔ぶが如く」文春文庫 全10冊
司馬さんといえば、じつによく書き、また語った人である。文春文庫の対談集を7~8冊、連続して読んだのはいつのことだったか?

その巨竜・司馬さんについてわたしごときが2千文字かそこら書いたとて、何ほどのこともない。
ある時期から小説を書くことをやめ、エッセイと「街道をゆく」をはじめとした紀行文に集中し、「街道をゆく」などは26年間にわたって「週刊朝日」に連載。文字通り司馬さんのライフワークと呼ばれるまでになった。
このシリーズはほぼ全巻を持っているけれど、旧版化してしまったため、活字(印字)の大きな版で10冊ばかり買い直ししてある。

歴史と文学。わたしの場合、その中心にいるのが、司馬遼太郎。司馬さんが好きでよく読むという友人・知人が数人いる。最高傑作は何ですか・・・と聞いたら、大抵「竜馬がゆく」「坂の上の雲」と答える。
しかし、その二作をわたしは、準備はしてあるものの読んでいない。
最新版でそろえてあるのは、
「国盗り物語」「関ケ原」「花神」など。
http://www.shibazaidan.or.jp/world/books/
しか~し、文庫本だけでこれだけあるのだから、気が遠くなる(*_ _)
わたし的には、短篇集であたりをつけて、それから巨竜のふところへ潜り込みたいとの気持ちもある。



ご存じの方が多いだろうが、司馬さんの初期の傑作に「朱盗」がある。400字換算で4~50枚。短編全集では第3巻に収録されている。
先日この作品を読み返した。ここにあるのは反歴史主義の話である。「人間の歴史とは、むなしいものである」と、歴史小説の作家・司馬さんがいうのだ。
これはいささか衝撃的な内容を持つ、珠玉の短編といえる。歴史の闇には穴蛙(あなかわず)という、こういった“魔物”が棲んでいる。

プーチンのロシアがウクライナに侵攻し、600万人ものウクライナ人が難民となって亡命したという。すでに3か月がたったが、戦火がおさまる気配はない。
このニュースをみたり、YouTubeで深堀り解説に耳を傾けたりしているうちに、司馬遼太郎のことが、ふたたび、みたび気にかかるようになった(゚ω、゚)



半藤一利さんの「ノモンハンの夏」を読んでいるときも、司馬さんが書こうとして果たさなかったノモンハン事件がしきりに脳裡をよぎった。
戦争とは、ある意味“男のもの”である。歴史の闇の中には、途轍もない、風変りな男たちが、大勢棲んでいる。斎藤道三、坂本龍馬、正岡子規、秋山真之・・・。
司馬さんが小説の主人公に据えたことで、歴史の檜舞台に飛び出してきた人が大勢いる。前向きで、自分の運命をきりひらき、そしてその運命に殉じた、エネルギッシュで快活な男たちが成し遂げた仕事に、司馬さんは徹底して寄り添う。作品の彼方から彼らの体臭が匂いたち、声や足音が聞こえてくる。
歴史主義者であるはずが、そのかたわら、穴蛙や果心居士といった反歴史的人物もその視野におさめている。司馬さんが国民作家と一般に呼ばれているのは、こういう視野と読者の拡がり方にある、とわたしは思う。



この二冊の追悼文集を眺めていると、文学者、歴史家はむろん、政治家、経済人、俳優等、各界の著名人が名をつらねていて、多種多様なファン層の拡がりがわかる。
司馬遼太郎は72歳で、動脈瘤破裂のため急死した。そのお年に、わたしも近づきつつある。
「いま読まなければ、いつ読むのだ!?」
そういった思いに、背中をぐいぐい押されている。
「自分の作品は二十二歳の僕への手紙だった」と、あるところで書いている。
長い、長い、気が遠くなるような司馬さんの手紙。

とはいえいたって気まぐれ野郎なので、はたしてこの先、どこまで読み込めるかわからない。
いつでも、読みたいときに読めるように、最新版を手許に集めておく。司馬さん以外にも、スタンバイさせてある本が何十冊もある。
さあて、つぎは・・・草刈りを終え、除草剤もとりあえず散布した。チェーンソーも数日以内には購入予定。
吉村昭に打ち込んだときのような“マイブーム”がやってくるかどうか(^^? )

歴史と文学。
そのいくらつきあってもあきのこない読書の世界を、深い闇の向こうから掘り起こして展開してみせてくれた作家こそ、司馬遼太郎である。わたしばかりでなく、そういう読者が何百万人もいるのだ。







※これはいうまでもなく書評として書いたのではありません。

<参考>
街道をゆく 公式ホームページ
https://publications.asahi.com/kaidou/
司馬遼太郎記念館
https://www.shibazaidan.or.jp/
知ってるつもり!?(TBSテレビ)
https://www.youtube.com/watch?v=xT8Fy5RGSBs

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