わたしが撮っている写真の中に「微笑する風景」とひそかに名づけているシリーズがある。
なんだか飄々とした、ちょっと間が抜けたような風景といったらいいのだろうか?
あまりフレーミングを“決め”すぎてはいけない。
水に浮いた落ち葉を、両方の手のひらでふわっとすくい取るようなショット・・・。
う~ん、説明がとてもむずかしいなあ(^^;)
はじめにピックアップした一枚は、今日寄り道の信号待ち(というより、工事渋滞)で撮影している。
亀という文字がやけに目立っている。
そして「伝えたいのは夢です」(てまでしか写ってないけれど)と、キャッチフレーズのような文字が躍っている。
カメラは膝の上に置いてあった。スイッチをONにし、35mmくらいにズーミングしてパチリ(笑)。いい加減なものである。
遠くには「赤城アスコン」という社名が見える。
こういうのは、藤田一咲さんみたいに、脱力写真といっていいのかなあ?
しかし、こういう写真のおもしろさに気づかせてくれたのは、わたしの場合、藤田さんではなく武田花さんや、市橋織江さんだった。ほかにも、こういう傾向の写真を撮っている人は大勢いる。
「奇妙な味」といってもいいし、微笑をさそうようなそこはかとないユーモアが漂っていたりもする。
近作から、さらに何枚かピックアップしてみる。
肩に力が入りすぎてはいけない。
深呼吸し、ん? ん? という間をとって、まわりを見まわすと、こんな風景がなにごとかことばにならない微笑をおくってくれる。そこをすくい取るのである。カメラをがっしりとかまえ、傑作・秀作を撮ってやるぞではなく「あれれ、こんなもの撮れました(^^)/」なのである。
もしかしたらフィルムのほうが、柔らかみが出ていいのかなあ。
テンちゃんのこんな一枚を見直しながら、わたしのアンテナになにかがピピピッとかすかに反応する。こういう感覚は写真を撮り続けていくうえで、とても大切なものだとおもう。そうしないと「型にはまった写真」しか撮れなくなるだろう。
フレーミングはときに毀すようにする。ちょっとすれすれ、駄作(笑)。
そのすれすれ気分が、また微笑をさそう。
モーツァルトにもあるでしょ「音楽の冗談」とかね。あの感覚。