俳句観が一部変わるのではないかと思えるような卓越した内容だが、ただ一か所連想に無理がある。はじめは凡ミスでは・・・とかんがえたほど(。-_-。)
それはうこんを金銀交換所と記述しているところ(文庫本122ページ)。
うこん(鬱金)はわが家の裏に植えてある。
粉にして薬として飲んだり、カレー粉に使ったり。すでにどなたか指摘しているだろうが。
あさ露や鬱金畠の秋の風
という凡兆の句に対し、
《凡兆の感覚の暗部を垣間見る思いがする。
ひっそりと暗がりにある金銀交換所。》
こういう文脈なのだが、本物のうこんを知っている人にとっては、
金銀交換所ではいかにも連想が飛躍している・・・と思える(´Д`)
それはうこんを金銀交換所と記述しているところ(文庫本122ページ)。
うこん(鬱金)はわが家の裏に植えてある。
粉にして薬として飲んだり、カレー粉に使ったり。すでにどなたか指摘しているだろうが。
あさ露や鬱金畠の秋の風
という凡兆の句に対し、
《凡兆の感覚の暗部を垣間見る思いがする。
ひっそりと暗がりにある金銀交換所。》
こういう文脈なのだが、本物のうこんを知っている人にとっては、
金銀交換所ではいかにも連想が飛躍している・・・と思える(´Д`)