ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

社会勉強

2010-03-11 | 経済・政治・社会
週末に珍しく家族揃って散歩に行きました。

幼稚園の前に差し掛かると、たくさんカボチャが植えてあります。
園内の敷地が限られているので、歩道の脇に植えたようです。
かぼちゃの伸びかたは想像以上で、去年、物干し台の下に植えてしまい、
洗濯命の夫から大顰蹙でした


「へぇ~。いいアイデアね。でもほとんど実がないのね
と言うと、
「みんなが持ってっちゃうんだ。」
と、情報通の子ども達が口を揃えて言うではないですか


「持ってっちゃうって・・・・」
「盗っちゃうの
「え~~~ 幼稚園のものを?」
「だから、ここにLeave our pumpkins aloneって書いてあるじゃん。」


直訳すれば「カボチャをそっとしておいて」ですが、その上に「触らないで」と書いてあるところをみると、「盗らないで」を婉曲に言ったもののようです。

種を植えて、
が出て、
ツルが伸びて、
花が咲いて、
実がなって、
どんどん大きくなって・・・・

「そろそろ収穫して食べられるかも」という頃に、ある日、登園したら、
カボチャがなくなっている
というのは、皮肉にもリアルな社会勉強かもしれません。
幼稚園ということを考えると気が重くなりますが、現実は現実・・・・

小さいけれど色づいた実を見つけました。


うちのそばにはアプリコットの木があります。
カウンシル・ツリーと呼ばれる、市が管理している街路樹なので誰のものでもありません。なので、通りすがりの人が実をもいでもお咎めなしです。
でも今年は実らしい実がなっているのを、ほとんど見ずに終わりました。

一度だけ学校帰りの息子が、実をもいでいる近所の人に出くわし、
「子どもが登って枝が折れたり、木から落ちたら危ないから。」
と言われたと、ニヤニヤしながら帰ってきました。
「ボクが登ると思ったのかね?あれって自分で食べるためだよね?」
多分、そうでしょう

毎年、落ちた実が転がっていたのに、今年はそれを見た記憶がなく、早い段階で“収穫”されたようです。ムダにしてしまうぐらいなら、誰かのお腹に納まった方がいいのでしょうが、カボチャにしろアプリコットにしろ、「見て楽しむ」のが難しいのなら、残念です

(アプリコットの話はコチラでも。ジャム作りなんて、とんでもなかったです

去年8月の開花。
とても可愛い花です。

今年は庭に種を植えてみました。芽が出るといいなぁ~