先日のランニング中、カッコ
いい本格的サイクリング車で
すれ違った父子。若いお父さ
んと10、11歳ぐらいの女の子
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/c3/11c94e819285d7b0c824e7a8decd0e65.jpg)
(※歩行者・自転車専用道路)
‟You can do that.(できるよ)”
というお父さんのはっきりと
した声が私にも聞こえてきて
「ストーンフィールドだろ?」
「でも、ママが・・・」
というところですれ違ってし
まいその先は聞こえませんで
した。でも察しはつきます。
1人か友だちとストーンフィ
ールド(地名)までサイクリン
グしたいけれど、母親に止め
られている、のではないか
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/eq_2.gif)
それに対して父親は大賛成
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
‟You can do that.(できるよ)”
と太鼓判を押しているのでは
親心として「危険」は最大に
して、自他ともに申し開きが
できる反対理由になりますが
反対は誰のためでしょうか。
もしかしたら危険にさらされ
るかもしれない子どもより、
子どもを危険にさらす責任を
逃れたい自分のためなのでは
父親は娘と走りながら話を聞
き、娘の走りっぷり見た上で
‟You can do that.(できるよ)”
と、親の責任を取ったのでは
話を聞いて、信じることは、
子育ての基本だと思います。
子どもだけでなく、家族でも
友だちでも、同僚でも信じる
ことこそが愛だと思います。
子どもにNOというとき、もう
1度誰のためのNOかを考えた
時、YESになるかもしれない
信じることは愛
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
愛はまた行動でもあります。