to be with my dogs

犬と私と羊...合言葉は「自然体」

我流?いえ私(ワタクシ)流

2011年08月27日 | Obedience

 

私は、JKCの訓練競技会に我が家のワン達と挑戦しています。

以前はOPDESという団体の訓練競技会にも出ていましたが、

今はアジリティーの方だけ出陳しています。

私がなぜ、JKCの競技会に出しているかと言うと、理由があります。

それは、出陳数が圧倒的に多いからです。

このように書くと、いかにも競うことが好きなように思われるかもしれませんが、

そう思われても別に否定はしません。。。

出陳数が多いと言うことは、それだけレベルの高いハンドラーや犬が多いと言うことです。

その中での評価はある程度しっかりとした自分のレベルの目安にもなります。

でも、何よりも大切に思っているのは、比較された成績よりも、

比較によって生まれた結果が、自分の評価と一致しているかどうか、なんです。

どんなに頑張っても、こればっかりは審査員の好みとか、順番とかグループとかで、

評価が上下することもあるんですね。

例えば、自己評価より成績が良い時もあります。結果オーライって奴です。

それでも、自己評価の部分で足りないと思った部分は、調整する。

自己評価より成績が悪い時は、「私、頑張ったんだからいいの。。。」じゃなくて、

審査員から見た目で動画を何度も見直して、客観的に足りない部分を探し出す。

集まる人や犬が多ければ、客観性も強く意識されるわけです。

 

いつもの公園で上手くいくことも、大勢の評価が気になると、プレッシャーから

同じようにはなかなかできない。

でも、それが実際には、自分と犬の今の信頼関係であることが多い。

特に人間は厄介な生き物で、自分にのしかかるプレッシャーから、

犬に対して、お願いだからちゃんとやってよとか、頑張れなどと気負いやすい。

犬だって、不安なハンドラーの気持ちを読み取って、急に自信が無くなったり、

緊張したりするのだ。

お互いの揺れる気持ちは、本来の信頼関係だったりするのだ。

強い絆は、どんな時も揺るがないからです。

 

JKCの競技会にはJKCのルールや評価基準がある。

OPDESにはOPDESの、それがある。

例えば、JKCでは招呼の際の脚側停座は、犬が直接脚側停座の位置に戻りますが、

OPDESでは、正面に停座をしてから、ハンドラーの後ろを回りこんで脚側停座に戻るが、

ルールです。(JKCは選択の余地がありますが、正面停座は減点箇所が多くなるので、

ハンドラーのほとんどは選択しません)

Uターンは、JKCは犬と一緒にターンするのですが、

OPDESは、左反転ターンがルールです。

ルールを守ることで、減点が少なくなります。

でも、私は減点されることよりも、自分が犬と挑戦したい形をできるだけ選択しています。

 

私は、犬を育てるのに、流儀は問わないつもりです。

流儀(組織)に合わせることよりも、犬に分かりやすく、犬が楽しいと思うことをしたい、

それだけです。

我流にこだわって、人を中傷してても犬はしつけられませんもの。

お茶の作法にも流儀・会派があってそれぞれにしきたりや伝統があるけれど、

「おもてなしの心」という真髄は変わらないのではないでしょうか。

 

褒めてしつける方法?褒めてしつけた結果が上↑の動画です。

叱ってしつけると萎縮する?それって叱ったんじゃなくて痛めつけたんじゃない?

一度叱ると歯止が利かない人がいたら、それは心の病気かもしれませんね。

お気の毒に。。。

 

しつけの真髄と言うものは、そうそう変わらない。

私自身それをまだ見つけられなかった過程では、クリッカーを使ったトレーニング法は、

きちんとした形を教えるのは難しいと否定していた。

叱ってばかりいたら、やる気を失っちゃうから褒めなきゃって一生懸命だった。

モチベーションはオヤツじゃなくてオモチャの方がいいんじゃないかって悩んでた。

どんな方法論も、結局、犬を見て、犬に触れて、犬を感じることができなければ、

無用の長物なのです。

褒めるも叱るも、オヤツもオモチャも関係なかった。。。

私がいて、犬がいて、楽しいと言う感情があれば、何もかも上手くいくのだ。

それは茶道の「おもてなしの心」と一緒で、

一方的ではない相手への配慮と心遣いなのだと私は思う。

私はそうありたいと努力するし、犬たちにもそうしてもらえる努力をしていく。

それが今の私(ワタクシ)流のしつけです。



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