旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

山梨県塩山市小屋敷にある恵林寺です。

2007年02月07日 | 旅 歴史
 恵林寺の三門は、1582年4月3日に近江の豪族佐々木義治をかくまったことから、織田信長の怒りを買い、快川国師が100余人の僧と共に火に包まれた場所です。その際に「安禅不必須山水、減却心頭「自涼」の言葉を残したそうですが、これは「安禅は必ずしも山水を用いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」という意味だそうです。
 乾徳山恵林寺は、臨済宗妙心寺派の禅寺で、鎌倉期の1330年に名僧、夢窓国師を招いて開基した甲州随一の名刹です。武田信玄公が自らの菩提寺として、仏教と共に様々な香り高い文化を甲斐の国に伝えました。
 武田晴信(信玄)は武田信虎の長男で、大永元(1521)年の出生です。天文10(1541)年、21歳で家督を次ぎ甲斐国主となりました。性格武勇沈着、こよなく家臣団・領民を愛する武将であったようです。
 元亀4(1573)年4月12日、病のため信州、駒場の陣中で53歳で没しました。その10年前に恵林寺住持快川和尚に宛てた「恵林寺領之事」の証文の中で、信玄自ら恵林寺を菩提寺と定めていました。3年間の秘喪の後、天正4(1576)年4月に勝頼が施主となって本葬が執行されました。
「風林火山」とは孫子からの引用文であり「疾如風徐如林侵掠如火不動如山」を意味するそうです。

 これは「早きこと風のごとし、静かなること林のごとく、侵略すること火のごとく、動かざること山のごとし」という意味で武田軍の軍旗などにも書かれていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする