山家神社の創建は古く、延喜式神明帳に名をつらねる格式高い神社です。山家郷の産土神として大国主命を祀っています。他に祭神に伊邪奈美命(いざなみのみこと)、菊理姫命を合祀しています。
古くは四阿山(あずまやさん)を神体としていました。養老年間(717-724)に修験者「浄定」が加賀白山より勧請合祀し四阿山に山家神社の奥宮を建立したそうです。山家神社は白山神社を合祀したので、「白山様」ともよばれているそうです。四阿山から流れ出る本流は御手洗(みたらし)の水と呼ばれ、水分(みくまり)の神の宿る神聖な川として大切にされてきました。
山家神社には四阿山奥宮社殿の扉が残されています。朱塗りで「大檀那幸綱並信綱」「永禄五年」(1562)の文字が記されているそうです。これは初代真田の幸隆(幸綱は出家してから一徳斎幸隆と名乗りました)が奥宮社殿を修復したことを示すものです。長子・信綱の名前もあります。
四阿山は当時、上州・信濃で深く信仰された白山権現の宮であり修験のメッカにもなっていたところだったのです。山家神社はその里宮であり真田氏と修験との関係で真田十勇士の伝説も生まれたのかもしれません。
社殿前にある鬼瓦は明治21年に制作されたものです。三つ巴紋は山家神社の神紋、六文銭は真田家の紋です。
古くは四阿山(あずまやさん)を神体としていました。養老年間(717-724)に修験者「浄定」が加賀白山より勧請合祀し四阿山に山家神社の奥宮を建立したそうです。山家神社は白山神社を合祀したので、「白山様」ともよばれているそうです。四阿山から流れ出る本流は御手洗(みたらし)の水と呼ばれ、水分(みくまり)の神の宿る神聖な川として大切にされてきました。
山家神社には四阿山奥宮社殿の扉が残されています。朱塗りで「大檀那幸綱並信綱」「永禄五年」(1562)の文字が記されているそうです。これは初代真田の幸隆(幸綱は出家してから一徳斎幸隆と名乗りました)が奥宮社殿を修復したことを示すものです。長子・信綱の名前もあります。
四阿山は当時、上州・信濃で深く信仰された白山権現の宮であり修験のメッカにもなっていたところだったのです。山家神社はその里宮であり真田氏と修験との関係で真田十勇士の伝説も生まれたのかもしれません。
社殿前にある鬼瓦は明治21年に制作されたものです。三つ巴紋は山家神社の神紋、六文銭は真田家の紋です。