京都府京都市北区紫野大徳寺町に大徳寺があります。
大徳寺の勅使門の傍らに鎌倉時代後期に建てられた「平康頼之塔」があります。康頼は、平家打倒の鹿ヶ谷の陰謀の首謀者の一人として、俊寛などと鬼界ヶ島に流されました。康頼は千本の卒堵婆を作り、「薩摩潟沖の小島にわれはありと 親には告げよ八重の潮風」と望郷の歌を書き海に流しました。それが厳島神社に流れ着き、老母に届けられたことから、都中の評判となり清盛は後に赦免しました。
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