上田市岩門にある活文禅師ゆかりの岩門大日堂跡です。文政11年(1828)18才の若武者・佐久間象山がこの岩門の大日堂に来て活文禅師に入門しました。象山は松代藩士で松代からここまで30km(約8里)の道を馬に乗ってきたそうです。馬をつないでいた松の木は象山駒つなぎの松といわれ、今は二代目だそうです。
象山は幕末の思想家で兵学者としても活躍しました。嘉永6年(1853)ペリ-来航に際しては軍議役として横浜警備に当たり、老中阿部正弘に「急務十事」を上申して横浜開国を主張しました。門人の吉田松蔭の海外密航未遂事件に連座し投獄、9年間松代に蟄居、最期は攘夷派志士によって京都、三条木屋町で暗殺されてしまいました。
龍洞院の住職を辞した活文禅師は文政7年(1824)岩門大日堂に隠居して寺子屋を開き多くの門人を輩出させました。文政12年(1829)常田毘沙門堂に移ったあとも寺子屋を続け弘化2年(1845)71才で亡くなりました。
象山は幕末の思想家で兵学者としても活躍しました。嘉永6年(1853)ペリ-来航に際しては軍議役として横浜警備に当たり、老中阿部正弘に「急務十事」を上申して横浜開国を主張しました。門人の吉田松蔭の海外密航未遂事件に連座し投獄、9年間松代に蟄居、最期は攘夷派志士によって京都、三条木屋町で暗殺されてしまいました。
龍洞院の住職を辞した活文禅師は文政7年(1824)岩門大日堂に隠居して寺子屋を開き多くの門人を輩出させました。文政12年(1829)常田毘沙門堂に移ったあとも寺子屋を続け弘化2年(1845)71才で亡くなりました。

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