旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

高台寺霊屋

2018年08月16日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区高台寺下河原町に高台寺があります。
 高台寺の霊屋(おたまや)は創建時の建築で、伏見城の遺構といわれています。間口4間、奥行3間、単層の宝形造り、檜皮葺きで、正面には唐破風が付いた1間の向拝があります。慶長10年(1605)に建てられたと考えられています。
 霊屋の内陣に桃山時代の華麗な蒔絵を施した階段や厨子(ずし)が残されています。高台寺蒔絵と呼ばれ、総黒漆塗りに、金箔の秋草文様などの豪華な装飾が特徴です。北政所像が安置されている厨子須弥檀の下に北政所の墓所があるそうです。霊屋は明治33年(1900)に国の重要文化財に指定されています。

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高台寺開山堂

2018年08月15日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区高台寺下河原町に高台寺があります。
 高台寺の開山堂は建仁寺からきた三江紹益禅師を祀る塔所です。元は北政所の養父である浅野長勝の持仏堂であったといわれています。間口5間、奥行3間、単層、入母屋造り、本瓦葺きの建物で慶長10年(1605)に建てられています。
 三江和尚像のほか北政所の兄の木下家定、その妻の雲照院の像も安置されています。開山堂の天井は秀吉が瀬戸内で使用していた御座船の天井だったものです。北政所が使っていた御所車の遺材も使用しているそうです。開山堂は明治33年(1900)に国の重要文化財に指定されています。

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高台寺勅使門

2018年08月14日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区高台寺下河原町に高台寺があります。
 高台寺の勅使門は方丈の南にあります。大正元年(1912)に方丈とともに再建された門です。勅使門と方丈の間に波心庭があります。勅使門にはうさぎが彫られています。

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高台寺

2018年08月13日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区高台寺下河原町に高台寺があります。
 鷲峰山(じゅぶさん)高台寺は臨済宗建仁寺派のお寺です。慶長8年(1603)、豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)は後陽成天皇より、「高台院」の号を賜り、慶長11年(1606)北政所が秀吉の菩提を弔うために号にちなんで高台寺として創建しました。

 秀吉没後の権力者となった徳川家康は、北政所を手厚く扱い、酒井忠世・土井利勝を高台寺造営御用掛、京都所司代板倉勝重を普請奉行、堀監物直政を普請掛に任じ、福島正則・加藤清正・浅野長政らの北政所の子飼いの大名たちも創建に協力しました。

 秀吉が没したのは慶長3年(1598)で、北政所は寛永元年(1624)に没しました。その後の高台寺は秀吉と北政所を祀る霊廟となりました。方丈には本尊の釈迦如来像が安置され、秀吉とねねの位牌があり、霊屋には左右に秀吉と北政所の坐像が置かれています。

 表門、開山堂、観月台、霊屋、茶室の傘亭(安閑窟)と時雨亭は国の重要文化財に指定されています。西庭は小堀遠州の作庭といわれる池泉観賞式庭園の高台寺庭園は国の名勝・史跡にしていされています。霊屋の厨子扉、須弥壇に施された高台寺蒔絵(まきえ)は桃山期を代表する蒔絵で国の重要文化財に指定されています。

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七卿碑

2018年08月12日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区妙法院前側町に妙法院があります。
 妙法院は、幕末には、三条実美ら尊皇攘夷派の公卿7人が京都から追放された「七卿落ち」の舞台となったことから七卿碑(しちきょうひ)が建てられています。文久3年(1863)公武合体派と対立する勤王急進派の三条実美卿一行が妙法院に集結、合議の末、市内戦を回避し、西国に向け出京した記念碑です。

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妙法院普賢堂

2018年08月11日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区妙法院前側町に妙法院があります。
 妙法院の普賢堂は寛政期(1790頃)の建立と考えられています。堂の中央には国の重要文化財に指定されている本尊普賢菩薩像が安置され、後壇には元三大師、五大明王像が祀られています。

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妙法院唐門

2018年08月10日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区妙法院前側町に妙法院があります。
 妙法院の唐門は境内の南西隅、東大路に面して建てられています。江戸時代中期のもので、桜町天皇から下賜されたといわれる勅使門です。切妻造り、桧皮葺き、平入りの四脚門です。

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妙法院宸殿

2018年08月09日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区妙法院前側町に妙法院があります。
 妙法院の伽藍の中心を担うのは、境内中央に建つ宸殿です。宸殿とは門跡寺院特有の建物で、法要などに使われます。殿内仏間には、中世よりの天皇・皇后の位牌が安置されています。宸殿はまた幕末に三条実美ら7卿が長州藩士と西下し長州に逃れる「8・18の政変(七卿の都落ち)」の舞台となりました。

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妙法院玄関

2018年08月08日 | 旅 歴史


 京都府京都市東山区妙法院前側町に妙法院があります。
 妙法院の玄関は、大書院とともに元和5年(1619)、2代将軍徳川秀忠の娘である中宮東福門院和子(後水尾天皇中宮)が、入内の際に建築された女御御所の建物を移築したものと伝えられています。
 玄関は間口7間、奥行4間、単層、入母屋造り、こけら葺きで、大正3年(1914)に国の重要文化財に指定されています。3室20面の襖絵は狩野派による「松之図」で飾られ、これも国の重要文化財に指定されています。

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妙法院庫裏

2018年08月07日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区妙法院前側町に妙法院があります。
 妙法院の庫裏は豊臣秀吉が亡父母や先祖の菩提を弔うため千僧供養を行った際の台所として建てられたと伝えられています。内部は土間、板間、座敷の3つの部分に分かれ、土間・板間部分は天井板を張らず、貫・梁などの構造材をそのまま見せた豪快な造りとなっています。
 間口21.8m、奥行23.7m、単層、本瓦葺きで、庫裏にはめずらしく入母屋造りの、妻入です。高さは60尺といわれ大きな建物です。慶長年間(1573-1614)の間に建てられたと考えられています。桃山時代建築の庫裏は昭和32年(1957)に国宝に指定されました。

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妙法院

2018年08月06日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区妙法院前側町に妙法院があります。
 妙法院は天台宗に属する寺院で、天台三門跡(三千院の梶井門跡、青連院門跡)のひとつに数えあげられている名刹です。近世には方広寺(大仏)や新日吉社、蓮華王院(三十三間堂)を管理下に置き、蓮華王院は現在も妙法院所管の仏堂となっています。
 妙法院という名称は、平安後期、比叡山西塔本覚院の快修がこの別号で呼称されたことに始まります。後白河上皇の護持僧昌雲(しょううん)が祈祷の験により、新日吉(いまひえ)御所の地を与えられ創建したという説と、最澄が創建したという説とがあります。
 暦応3年(1340)佐々木道誉によって攻撃され灰燼に帰しました。道誉の嫡男秀綱が妙法院のモミジを折ったことから僧侶と争いになり、道誉・秀綱親子が300騎を率いてことごとく焼き払ったそうです。その後、復興した後に応仁の乱に巻き込まれ荒廃しました。豊臣秀吉が方広寺の大仏殿を建立したとき大仏の経堂として再興しました。
 秀吉は亡父母や先祖の菩提を弔うため、当時の日本仏教の八宗(天台、真言、律、禅、浄土、日蓮、時、一向)の僧を集めた千僧供養を大仏経堂で行いました。この経堂は妙法院に所属し、千僧供養に出仕する千人もの僧の食事を準備した台所が、現在の妙法院庫裏だといわれています。
 寺領も1600石となり江戸時代には新日吉神社、蓮華王院、方広寺なども管理し繁栄しました。天明の大火の際には光格天皇の皇后がここに避難したそうです。明治に入り、神仏分離令が出され、寺地は20分の1まで削られてしまったそうです。
 庫裏は桃山期の豪快な建築で国宝に指定されています。大書院は東福門院の旧殿を移築したものといわれ、玄関とともに国の重要文化財に指定されています。幕末に七卿落ちが行われた宸殿、小堀遠州が作庭したといわれる庭園もあります。所蔵するポルトガル国印度副王信書は国宝に指定されています。

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東寺宝物館

2018年08月05日 | 旅 歴史

 京都府京都市南区九条町に東寺(教王護国寺)があります。
 東寺の宝物館は鉄筋コンクリート3階建て、切妻造りで、昭和38年(1963)に完成し、2年後に一般に公開されました。食堂の本尊で6mもある国重文「千手観音立像」や、平安京の玄関口羅城門の楼上に祀られていたといわれる国宝「兜跋(とばつ)毘沙門天」など、密教芸術の宝庫といわれ、国宝や重要文化財指定のものだけでも1万5千点にのぼる寺宝を所蔵しています。

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東寺観智院客殿

2018年08月04日 | 旅 歴史

 京都府京都市南区九条町に東寺(教王護国寺)があります。
 観智院(かんちいん)は、東寺の塔頭の中でも最も格式が高いお寺です。現在の観智院の客殿は、慶長元年(1596)の慶長伏見地震の後、慶長10年(1605)、北政所の寄進によって再建されたものです。昭和34年(1959)に国宝に指定されました。園城寺の勧学院客殿、光浄院客殿と共に、桃山時代の住宅様式の典型を示し、当時の僧侶の居室の姿を今に伝えています。
 客殿は間口12.7m、奥行13.7m、入母屋造り、妻入で、銅板葺きです。建立時はこけら葺きでした。正面右よりに軒唐破風があり、間口1間、奥行1間の中門が付随しています。床の間の「鷲の図」と襖絵の「竹林の図」は宮本武蔵によって描かれています。
 延慶元年(1308)、後宇多法皇が東寺の西院に3年間参籠され、21院を建立されました。観智院はその中の一つです。大学の研究室のような場所で、杲宝(ごうほう)が開基しました。師の頼宝(らいほう)、弟子の賢宝(けんぽう)とともに東寺の三宝(さんぽう)といわれる名僧です。杲宝は東寺の歴史を記した「東宝記(とうほうき)」を編纂し、賢宝によって完成されました。東宝記は東寺の歴史を語る貴重な史料として、国宝に指定されています。観智院では代々学僧が住し、観智院の住持が東寺の別当職を兼ねていました。多くの経文、書籍を所蔵しています。

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東寺夜叉神堂

2018年08月03日 | 旅 歴史

 京都府京都市南区九条町に東寺(教王護国寺)があります。
 東寺の夜叉神堂(やしゃがみどう)は食堂の前に2堂建っています。東側の雄夜叉は本地文殊菩薩を祀り、西側の雌夜叉は本地虚空蔵菩薩を祀っています。最初、南大門の左右にありましたが、旅人が拝まないで通ると罰を与えるので、中門の左右に移されました。中門倒壊の後、現在地に移りました。歯痛に効能があるそうです。

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東寺鐘楼

2018年08月01日 | 旅 歴史

 京都府京都市南区九条町に東寺(教王護国寺)があります。
 東寺の鐘楼は大師堂近くにあります。足利尊氏が寄進した鐘が貞和4年(1348)に完成したと東宝記にも記されています。梵鐘は痛みがひどくなったため宝物館に保管され、全く同じ形をした鐘が鐘楼に吊るされています。

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