京都府京都市東山区本町に東福寺(とうふくじ)があります。
「東福の伽藍面(がらんづら)」とまでいわれ壮観を極めた慧日山(えにちさん)東福寺は臨済宗東福寺派の本山です。嘉禎2年(1236)関白の九条(藤原)道家が菩提寺建立を発願し創建されました。延応元年(1239)に仏殿立柱が上棟され、19年の歳月をかけて建長7年(1255)に七堂伽藍が完成しました。
寛元元年(1243)には宋での修行を終えて帰国していた禅僧・円爾(えんに)弁円(べんねん)(後の聖一国師)を東福寺第1世として招きました。円爾は後深上皇、亀山上皇をはじめ、宮廷の公卿の信仰と帰依を受け、また執権北条時頼に禅戒を授けるなど武士の間にも信仰を広げました。
道家は奈良の東大寺、興福寺を兼ね備えた、壮大な寺院を建てることを想定し、寺名をそれぞれ一字づつ取って「東福寺」としました。道家は堂宇の完成を見ることなく建長4年(1252)に亡くなり、遺志は実経に受け継がれました。
文永10年(1273)法堂が完成し、伽藍は整備されていきました。高さ5丈(約15m)の本尊釈迦像が安置され、寺は繁栄しました。その後、元応元年(1319)の火災で多くの堂宇が焼失し、本尊も燃え落ちました。
建武元年(1334)、建武3年(1336)にも火災に遭い、ほとんどの建物は焼失してしまいました。室町時代に入ってから足利幕府の援助で復興が始まりました。貞和3年(1347)、仏殿が上棟されました。
三門、僧堂、法堂などの堂宇は、その後百年近い年月を要して再建されました。現在、東福寺に残る三門、禅堂、東司などはこの時期に建てられた建物です。本尊釈迦像は14世紀半ば頃に再興しましたが、明治14年(1881)の火災で再び焼失しました。
仏殿と法堂も、明治14年(1881)の大火の時に、方丈、庫裏などとともに焼失しました。そして昭和9年(1934)に仏殿と法堂を兼ねる本堂として再建されました。東福寺は南禅寺、天竜寺、相国寺、建仁寺、万寿寺とともに京都五山に名を連ね、360もの末寺を統括し、信仰の中心となりました。
境内に建つ25の塔頭も名寺が多いので知られています。江戸時代には50を数えたという塔頭は明治初頭の廃仏毀釈により半分が廃絶されてしまいました。東福寺とともに京都五山の一つであった万寿寺も、現在では東福寺の塔頭となっています。
東福寺から多くの名僧を輩出しています。五山文学の第一人者で「元亨釈書」の著者である虎関師錬、室町時代に画僧として活躍し、その後の仏画や水墨画に多大な影響を与えた吉山明兆、南禅寺開山の無関普門などが特に有名です。
東福寺の境内にある三門、龍吟庵方丈が国宝に指定されています。禅堂、浴室、東司、二王門、月下門、六波羅門、偃月橋、三聖寺愛染堂、十三重塔、常楽庵開山堂・昭堂、客殿(普門院)、塔司寮(書院)、庫裏、楼門、鐘楼(万寿寺内)、裏門が国の重要文化財に指定されています。
本堂と開山堂を結ぶ歩廊の「通天橋」の下を三ノ橋川が流れ、洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれる渓谷を創っています。紅葉の名所となっていて、橋のなかほどにある張り出し舞台に立つと素晴らしさが実感できます。
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