旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

大矢田神社本殿

2024年03月15日 | 旅 歴史

 岐阜県美濃市大矢田に大矢田神社(おやだじんじゃ)があります。
 大矢田神社の本殿は江戸中期の寛文12年(1672)に名古屋の大工、曽根源右衛門によって再建された社殿です。三間二面の流造りで、檜皮葺きで、切妻造り、中央に向拝を設けています。向拝の中央を唐破風(からはふ)としてその上に千鳥破風(ちどりはふ)を配しています。
 各所に彫刻、極彩色を施すなど派手な意匠になっています。 斗組(ときょう)は出組(でぐみ)で、建物の妻をはじめ、各部に精巧な彫刻と彩色を加えた豪華な造りです。二重虹梁(にじゅうこうりょう)の妻は特に美しく、梁を三人の力士で支えています。大矢田神社の本殿は市内第一の華麗さを誇る優秀な建築で、平成元年(1989)に国の重要文化財に指定されています。

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大矢田神社拝殿

2024年03月14日 | 旅 歴史

 岐阜県美濃市大矢田に大矢田神社(おやだじんじゃ)があります。
 大矢田神社の拝殿は江戸中期の寛文12年(1672)以前に再建されたと思われます。間口3間、奥行3間の三間三面妻入り(つまいり)、一重、切妻造り、檜皮葺きの社殿です。妻入り拝殿は市内には他に例を見ない特徴ある形式で、尾張地方の大社の拝殿と類似しています。
 拝殿の柱は杉の角柱で、斗組(ときょう)は舟肘木(ふなひじき)、妻は二重虹梁(にじゅうこうりょう)で背面の中央に蟇股(かえるまた)を入れています。内陣として円柱を立て、格天井(ごうてんじょう)を貼っています。棟札(むなふだ)は見つかりませんでしたが本殿より少し前に完成しています。

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大矢田神社太鼓橋

2024年03月13日 | 旅 歴史

 岐阜県美濃市大矢田に大矢田神社(おやだじんじゃ)があります。
 大矢田神社の太鼓橋は神様が渡られる橋で、神橋とも呼ばれています。下を流れる川が結界となって、これを境に手前が俗界、向こう側が神域となります。

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大矢田神社楼門

2024年03月12日 | 旅 歴史

 岐阜県美濃市大矢田に大矢田神社(おやだじんじゃ)があります。
 大矢田神社の楼門は享保8年(1723)に京都の大工谷口五兵衛と当村大工広田平兵衛によって再建された建物です。弘治2年(1556)の戦乱で大矢田神社の大半は焼失しましたがこの仁王門のみが残りました。しかし享保7年(1722)に破損して修復途中、完成間際に大工小屋からの出火で全焼、1年後やっと完成したと伝えられています。昭和44年(1969)に美濃市の有形文化財に指定されています。

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大矢田神社

2024年03月11日 | 旅 歴史

 岐阜県美濃市大矢田に大矢田神社(おやだじんじゃ)があります。
 大矢田神社は天王山の中腹にある古社です。孝霊天皇の御代(BC290-215)、建速須佐之男命(すさのうのみこと)と天若日子命(あめのわかひこのみこと)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。天若日子命は真木倉神社の祭神・天稚彦命と同じ人で喪山伝説の中心人物です。
   <喪山伝説とは天稚彦が不審な雉を矢で射ると、その矢が天から戻って来てその返し矢に当たって亡くなったという伝説です。>
 その後、大矢田神社は養老年間(712-723)に泰澄大師によって開基されたと伝えられています。
 弘治2年(1556)、戦乱で大矢田神社は灰燼に帰しました。塔頭7坊のうち、極楽坊と常泉坊の2坊だけは後に再建されました。明治3年(1870)、神仏分離・廃仏毀釈により牛頭天王を建速須佐之男命に戻し、牛頭天王社を大矢田神社に改称しました。この時、極楽坊の社僧であった真清氏が神官となったそうです。
 本殿は江戸中期の寛文12年(1672)、拝殿はそれよりも少し早く再建された豪華、華麗な社殿です。ともに国の重要文化財に指定されています。また、楼門は享保8年(1723)の再建で、美濃市指定文化財です。神仏習合が残り、たくさんの古社や祠が建てられています。
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旧有知学校校舎

2024年03月10日 | 旅 歴史

 岐阜県美濃市泉町に宝勝院(旧有知学校校舎)があります。
 宝勝院の庫裏は明治9年(1876)に建てられた旧有知学校(きゅううちがっこう)の本館校舎を移築したものです。寄棟造り、桟瓦葺きの木造2階建てで、明治時代初期に建てたられた擬洋風校舎建築です。旧有知学校校舎として、平成10年(1998)に美濃市の有形指定文化財に指定されています。

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宝勝院(旧有知学校校舎)

2024年03月09日 | 旅 歴史

 岐阜県美濃市泉町に宝勝院(旧有知学校校舎)があります。
 金毘羅山宝勝院(ほうしょういん)は不動明王を本尊とする真言宗醍醐派のお寺で、美濃三十三観音4番札所でもあります。創建はよくわかりませんが、天正18年(1590)に南渡快俊僧都により再興され、不動明王が安置されました。
 金森長近が上有知を領地とすると、長良川の水運を利用した川湊を設置しました。 慶長年間その川湊の水運の加護として金毘羅大権現を讃岐より勧請したと伝えられています。 天明年間(1781-1789)に火災により焼失しましたが文化4年(1807)に再興しています。

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美濃和紙あかりアート館

2024年03月08日 | 旅 歴史

 岐阜県美濃市本住町に美濃和紙あかりアート館があります。
 美濃和紙あかりアート館には毎年秋に美濃市で開催される「美濃和紙あかりアート展」の入賞作品を展示しています。美濃和紙あかりアート展は、歴史ある美濃和紙を使ったあかりアート作品を全国から募集し、「うだつのあがる町並み」を会場に展示、コンテストするものです。
 美濃和紙あかりアート館の建物自体は、昭和16年(1941)に美濃町産業会館として美濃町信用購買販売利用組合が建設したものです。美濃町農業共同組合、美濃商工会議所、美濃市農業共同組合本店として使われました。平成17年(2005)に国の登録有形文化財に登録されています。

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今井家住宅

2024年03月07日 | 旅 歴史

 岐阜県美濃市泉町に今井家住宅があります。
 旧今井家住宅は江戸時代中期に建てられた商家です。美濃市内最大級の町屋建築で、平成6年(1994)に美濃市指定文化財に指定されています。美濃市美濃町重要伝統的建造物群保存地区の中の主要な建物で、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されています。
 主屋は間口12間、奥行8間、切妻造り、桟瓦葺き、平入の木造2階建てで、外壁は真壁造り、漆喰仕上げです。1、2階正面には格子戸、屋根両脇には高くうだつが掲げられています。中庭にある水琴窟は環境省選定で「日本の音風景100選」に選定されています。

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上有知湊渡船場灯台

2024年03月06日 | 旅 歴史

 岐阜県美濃市港町に上有知湊(こうずちみなと)があります。
 上有知湊(こうずちみなと)渡船場(とせんじょう)灯台は江戸時代中期以後に建てられたもので、その形は摂津の住吉神社の灯台を模したものといわれ住吉神社の献灯を兼ねています。
 高さが9mもある灯台で、全国的に見ても現存する数少ない川湊灯台として貴重な存在です。上有知湊跡は渡船場灯台を含め、昭和45年(1970)に岐阜県指定史跡に指定されています。

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上有知湊

2024年03月05日 | 旅 歴史

 岐阜県美濃市港町に上有知湊(こうずちみなと)があります。
 上有知湊は長良川舟運の一大拠点で、最盛期には美濃国4大川湊に数えられ大きく発展しました。慶長10年(1605)この地の領主になった金森長近によって開かれた湊で、町の繁栄策として六斎市を開かせ、物資輸送の玄関口として上有知湊を開いたのでした。番船40隻をおいて長良川下流への船搬の拠点としました。
 上有知湊は長良川舟運の重要な拠点として整備され、物資の輸送と共に上流で切り出された木材を組んだ筏の発着場としても大きく発展しました。美濃和紙をはじめ荏胡麻、生糸、酒などがここを拠点にして各地に運ばれていきました。船着場跡の石畳、住吉型川湊灯台が残っていて岐阜県の史跡に指定されています。

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美濃橋

2024年03月04日 | 旅 歴史

 岐阜県美濃市上有知ー美濃市前野にかけて美濃橋(みのはし)があります。
 美濃橋は岐阜県美濃市曽代・前野、小倉山の西方を長良川が湾曲して流れる地点に位置しています。岐阜県技師戸谷亥名蔵を中心に建設が進められ、大正5年(1916)に完成しました。現存する最古の近代吊橋として知られています。
 橋の長さは113.0m、支間116.0m、幅員3.1m、型式は単径間補剛吊橋です。両岸に据えられたアンカーレイジに、鉄筋コンクリート造の主塔から吊るされた主ケーブルを碇着し、吊ケーブルで支持された橋桁を鉄骨トラスで補剛しています。
 近代吊橋の要素を構造躯体全体に備え、建設当時わが国で最大級の支間を実現しました。平成13年(2001)に土木学会選奨土木遺産に選定されました。現存する最古の近代吊橋で、橋梁建設史上高い価値があることから平成15年(2003)には国の重要文化財に指定されています。

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小倉山城

2024年03月03日 | 旅 歴史

 岐阜県美濃市泉町に小倉山城(おぐらやまじょう)があります。
 小倉山城は小倉山の南麓にあり、現在小倉公園の主要部を占めています。広さは東西約130m、南北約50mで、三段に分かれており、それぞれ高い石垣が築かれています。
 小倉山はもと尾崎丸山といわれていましたが、慶長5年(1600)の関が原の戦い後、城主になった金森長近が鉈尾(なたお)山にあった城をここに移し小倉山と改めたそうです。
 長近は豊臣秀吉の下で飛騨国を統一し、関が原の戦いでは東軍に付いて功を上げ上有知領2万石が加えられました。慶長10年(1605)、高山藩と高山城を養子の金森可重に譲り、自らは上有知に移って小倉山城を築き、上有知藩を立藩しました。
 慶長12年(1607)、長近が亡くなると実子の金森長光が上有知藩の藩主となりました。しかし跡継ぎが続かなかったため断絶となり小倉山城は廃城となり破却されました。領地は上知(あげち)され、後に尾張藩領となりました。天明2年(1782)、城跡に上有知代官所が置かれたそうです。

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美濃和紙の里会館

2024年03月02日 | 旅 歴史

 岐阜県美濃市蕨生に美濃和紙の里会館があります。
 美濃和紙の里会館は、「美濃和紙」をテーマにした博物館です。美濃の里山で1300年前からすかれ続けてきた美濃和紙の歴史や技を資料などの展示で紹介しています。また、作られている過程を実際に触れることもでき、紙すき体験などが出来るワークショップも開いています。
 本美濃和紙の原料はコウゾのみを用いています。上質の原料と長良川の豊富な水で、美濃市周辺は15世紀には一大産地になりました。当時、大矢田には紙専門の市がたち、近江商人によって買い占められ都に送られていたそうです。

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長蔵寺舎利塔及び須弥壇

2024年03月01日 | 旅 歴史

 岐阜県美濃市上野に長蔵寺(ちょうぞうじ)があります。
 舎利塔は小規模な一重宝塔で舎利堂に納められています。細部に至るまで精巧で、室町時代の天文16年(1547)に造られています。須弥壇は舎利塔と一連のもので、禅宗様で、形が整い意匠もよく、高欄親柱は非常にめずらしいものです。舎利塔は高さは3mで黒朱漆塗で彫刻されています。昭和54年(1979)に国の重要文化財に指定されています。

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