旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

武芸八幡宮

2024年03月18日 | 旅 歴史

  岐阜県関市武芸川町八幡に武芸八幡宮(むげはちまんぐう)があります。
 武芸八幡宮は養老元年(717)、泰澄(たいちょう)大師が巡錫して大碓命(おおうすのみこと)の伝説を聞き、大碓命を祭神にして八幡神社を創建したと伝えられています。後、宇多天皇が美濃に行幸された時、別当神宮寺に臣下の者を留め置き、神社に奉仕させたそうです。
 古くから武将の崇敬が厚く、観応2年(1351)森蘭丸の祖先にあたる森又太郎源泰朝が、社殿を再興しています。本殿、拝殿、五重塔、鐘楼などを建てられたそうです。その頃、不動を含め塔頭12坊が存在していたそうです。
 また、永禄10年(1567)、斎藤氏を滅ぼした織田信長は、井ノ口を岐阜と改め、稲葉山城を岐阜城としました。岐阜城からすると、武芸八幡宮は丑寅といって北東の方角に当たり、城の鬼門守護神として深く崇敬し、「下馬標」を建立しています。
 信長が安土城に移り、岐阜城には嫡子信忠が入りますが信忠も同様に庇護し、本能寺の変後に城主となった信孝も社領の安堵状を出しています。現在武芸八幡宮には、織田信長・信忠・信孝と三人の安堵状が保管されています。
 江戸時代に入ると徳川幕府から庇護され武芸谷惣社として社領9石を安堵されています。古くから神仏習合し、別当寺院として大聖寺が祭祀を司ってきました。明治初頭の神仏分離令により社号を武芸八幡宮に改め、明治6年(1873)に郷社、大正11年(1922)に県社に列しています。

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