7時半、起床。
チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。
本日の朝ドラ。ビックリのシーンの連続だった。
まずは梅子の三男の孝三郎が亡夫の愛人だった女と夜の街で逢引きをしているシーン。
続いては梅子が親族会議の席上で「みなさん、ごきげんよう!」と啖呵を切って出てゆくシーン。
そして最後は「愛のコンサート」に茨田りつ子(菊地凛子)の出演が決まったシーン。
一回分の箱には収まり切らないビックリの連続だった。
本日の「人生案内」は70半ばの男性からの「妻に先立たれるのが不安」という相談。そういう不安は私にもある。一般に女性は男性よりも長命であることに加えて、妻は私よりも5歳下なので、私が妻に先立たれる確率は小さいとは思うものの、確率はあくまでも確率であって、必然ではない。相談内容を読んでみると、日常のあれこれを全部妻に任せて来たので、妻がいなくなったら途方に暮れてしまうだろうというものだった。しかし、不安は本当にそういう表層的というか実務的なものだけなのだろうか。もしたんにそれだけのことであれば、窮すれば通ずで自分で何とかできるようになるものだし、何とかできなければ親族を頼るか、(しかるべき対価を支払って)他人にやってもらえばよい。回答者の応答もそういう内容のものだった。しかし、相談者の不安は、本人が気づいているか気づいていないか別として、もっと心理の深いところに由来しているものではなかろうか。長い人生のかなりの部分を一緒に歩いてきた配偶者がある日突然いなくなるということ。その喪失感に自分は耐えることができるだろうか。それが不安の根源ではなかろうか。たぶん回答者だってわかっていると思うが、相談の文面に直截な形で書かれてはいないので、書かれていること(表層的な実務的な)に対してだけ回答しているのである。うっかり根源的な部分に触れて回答してしまうと、相談者の不安をかえって増幅してしまうことになるからである。
昨日のブログを書いてアップする。
お昼に家を出る。駅に向かう途中の道で、病院から帰ってくる妻と出会った。2週間前に受けた精密検査の結果を聞きにいっていたのである。結果は問題なしとのこと。よかった。
今日は授業の日。
3限は大学院の演習。
昼食(おにぎり2個)をそそくさと食べ、4限は研究指導(オンライン)。
5限は演習「現代人と社交」。今日はグループ発表が2本。
「ジャズと社交」
ジャズ喫茶やジャズの生演奏(コンサート)がある店でお店の方や近くに座った客と話をしたフィールドワークの報告。「ジャズ」という媒介(共通項)があると会話が成立しやすいことが証明されたが、会話をしようという意欲があった(頑張った)ことも大きかった。
「お酒がある店での社交」
「お酒」もコミュニケーションの有効な媒介である。ショーシャルバーや酒屋の角打ちをフィールドワークした報告でそのことが証明された。角打ちは一種の絶命危惧種的空間だが、それゆえにレトロなまなざしでメディア(SNSも含めて)の取材の対象にもなっている。ある意味で、今回のフィールドワークもそうしたまなざしの一翼を担っているわけだが、常連さんたちはあたたかく迎えてくれたようで、感謝申し上げる。
授業を終え、7時に大学を出る。
蒲田に8時について、もし「マーボ屋」に入れればと思っていってみたが、やはり満席だったので、「吉岡家」へ行く。
真夏日の意を決したる上天丼 たかじ
卒業生で、テレビ局の報道記者で、作家でもある水野梓さんから新刊のお知らせlLINEが届いた。
『金融破綻列島』(幻冬舎)
経済の本かと思ったら、小説だった。さっそくキンドル版を購入する。
レビューシートのチェック。
明日の授業の準備。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
1時半、就寝。