みなさまへ
いつもブログを見て頂いてありがとうございます.
私のたわいも無いガレージでの作業話や寅次郎との旅の日記にお付合い頂き感謝しています.
いつも私の身の回りの事を書いているのですが,それでもなるべく見ず知らずの方でも
見て(見流して)もらえるようにニュートラルなお話として書いているのですが,今日の話は
全く私の個人的なお話なので,つまらないかもしれませんがお許し下さい.
実は昨日(8月22日午前10時59分),女の子が生まれました.初めての子です.
私も40才代半ばを過ぎ,とら母(嫁)も40才前.
結婚当初はバイクであちこち旅にでるのが楽しく,その後は実家の借金返済のため働き,
その後母親の介護と,いつしか子供を作るタイミングを逃していました.
この何年間か不妊治療と言うものを行ってきました.
なかなか着床せず,着床しても育たないことが続き,自分達の中でも少し重い存在になって
しまっていました.
とりわけとら母の心の負担は大きかったと思います.
それでもとら母は健気に病院に通ってくれました.
私が逆の立場なら,きっとそこまで続かなかったと思います.
こんな時「食べモノ大好き」「宇宙の胃袋」を持つとら母の真っ直ぐな性格に助けられたと
思いました.
不妊治療もいくつかのステージがあり,昨年末病院も変わり新たな治療を行い何とか着床に
漕ぎ着けました.
それでもやはり5ヶ月くらいまでは不安定な状態が続き,ビクビクしながら過ごす日々でした.
親戚や親しい友人のも話さないできました.とら母は自分の両親にさえ話すタイミングを
迷っていました.
ここ一・二ヶ月になりようやく親戚に報告し,お腹も目立つようになってきたのもあって
遊びに来る友人には打ち明けはじめました.
ブログでもその話題に触れないように写真を写したり,話を書いてきました.
本当は自分の性格からして書きたかったのかもしれないのですが,その勇気が自分には
足りませんでした.
出産間近になり,少しずつ実感がわいてきたのですが,それと同時に元気な子が生まれて
くるのかという不安が絶えず頭の片隅にありました.
昨日の夜中にとら母が突然嘔吐し高熱が出たため病院に行ったところ,胎児への影響もあることから
緊急で帝王切開し出産となりました.
出産する女性はみな大変な陣痛に耐えるのですが,とら母もがんばって耐えてくれていました.
ある人から教えられた「所詮男は役立たずなんですよ」,その言葉が痛いほど分かりました.
手術室の前で待っていたときに聞こえた産声は本当に嬉しいものでした.
赤ん坊は呼吸が上手くできない症状があり帝王切開の影響だと言われていたのですが検査の結果,
右肺に恐らく穴が開いて,そのため肺が膨らまず自分の呼吸では酸素が足りずに苦しい状態に
なっていると言われました.
そんな状態のため,赤ん坊は今,別の病院に移り新生児集中治療室(NICU)で治療を受けています.
酸素濃度を上げた保育器の中では安定していて,スヤスヤ眠り,時折大きな声で泣いてくれます.
自分に出来ることは身体に触れてあげるのと声を掛けてあげることくらいしかありません.
ちゃんと治るのか,改善方向に進むのか,悪化するのかはまだ何も分かりませんが,赤ん坊の
生きる力とNICUによる治療に掛けて見守って行きたいと思います.
今は少し落ち着いているので私自身もこれを書くことができていますが,次に病院に行ったときの
事を考えると不安になります.
とら母も我が子がそばにいなくてつらいと思います.
「負けません」なんてかっこいいことは言えないですが,自分もとら母と一緒に現実と向き合って
悩んだり,少し喜んだりしていこうと思っています.
体重3680グラム,身長51.1センチ.
ちょっと大きいと言われましたが,小さな命が闘ってくれています.
「頑張れ俺の子」と言いたくなります.
また何かあればここに書きたいと思います.
できれば私のブログにお付合いください.
追伸
親戚の皆さん,友人知人のみなさん.
本当なら喜んで一報を入れなければならないのですが今はこんな状況なためこのブログで
先に知ることになるかもしれませんがどうかお許し下さい.
宜しくお願いいたします.
OKUTEC店長
いつもブログを見て頂いてありがとうございます.
私のたわいも無いガレージでの作業話や寅次郎との旅の日記にお付合い頂き感謝しています.
いつも私の身の回りの事を書いているのですが,それでもなるべく見ず知らずの方でも
見て(見流して)もらえるようにニュートラルなお話として書いているのですが,今日の話は
全く私の個人的なお話なので,つまらないかもしれませんがお許し下さい.
実は昨日(8月22日午前10時59分),女の子が生まれました.初めての子です.
私も40才代半ばを過ぎ,とら母(嫁)も40才前.
結婚当初はバイクであちこち旅にでるのが楽しく,その後は実家の借金返済のため働き,
その後母親の介護と,いつしか子供を作るタイミングを逃していました.
この何年間か不妊治療と言うものを行ってきました.
なかなか着床せず,着床しても育たないことが続き,自分達の中でも少し重い存在になって
しまっていました.
とりわけとら母の心の負担は大きかったと思います.
それでもとら母は健気に病院に通ってくれました.
私が逆の立場なら,きっとそこまで続かなかったと思います.
こんな時「食べモノ大好き」「宇宙の胃袋」を持つとら母の真っ直ぐな性格に助けられたと
思いました.
不妊治療もいくつかのステージがあり,昨年末病院も変わり新たな治療を行い何とか着床に
漕ぎ着けました.
それでもやはり5ヶ月くらいまでは不安定な状態が続き,ビクビクしながら過ごす日々でした.
親戚や親しい友人のも話さないできました.とら母は自分の両親にさえ話すタイミングを
迷っていました.
ここ一・二ヶ月になりようやく親戚に報告し,お腹も目立つようになってきたのもあって
遊びに来る友人には打ち明けはじめました.
ブログでもその話題に触れないように写真を写したり,話を書いてきました.
本当は自分の性格からして書きたかったのかもしれないのですが,その勇気が自分には
足りませんでした.
出産間近になり,少しずつ実感がわいてきたのですが,それと同時に元気な子が生まれて
くるのかという不安が絶えず頭の片隅にありました.
昨日の夜中にとら母が突然嘔吐し高熱が出たため病院に行ったところ,胎児への影響もあることから
緊急で帝王切開し出産となりました.
出産する女性はみな大変な陣痛に耐えるのですが,とら母もがんばって耐えてくれていました.
ある人から教えられた「所詮男は役立たずなんですよ」,その言葉が痛いほど分かりました.
手術室の前で待っていたときに聞こえた産声は本当に嬉しいものでした.
赤ん坊は呼吸が上手くできない症状があり帝王切開の影響だと言われていたのですが検査の結果,
右肺に恐らく穴が開いて,そのため肺が膨らまず自分の呼吸では酸素が足りずに苦しい状態に
なっていると言われました.
そんな状態のため,赤ん坊は今,別の病院に移り新生児集中治療室(NICU)で治療を受けています.
酸素濃度を上げた保育器の中では安定していて,スヤスヤ眠り,時折大きな声で泣いてくれます.
自分に出来ることは身体に触れてあげるのと声を掛けてあげることくらいしかありません.
ちゃんと治るのか,改善方向に進むのか,悪化するのかはまだ何も分かりませんが,赤ん坊の
生きる力とNICUによる治療に掛けて見守って行きたいと思います.
今は少し落ち着いているので私自身もこれを書くことができていますが,次に病院に行ったときの
事を考えると不安になります.
とら母も我が子がそばにいなくてつらいと思います.
「負けません」なんてかっこいいことは言えないですが,自分もとら母と一緒に現実と向き合って
悩んだり,少し喜んだりしていこうと思っています.
体重3680グラム,身長51.1センチ.
ちょっと大きいと言われましたが,小さな命が闘ってくれています.
「頑張れ俺の子」と言いたくなります.
また何かあればここに書きたいと思います.
できれば私のブログにお付合いください.
追伸
親戚の皆さん,友人知人のみなさん.
本当なら喜んで一報を入れなければならないのですが今はこんな状況なためこのブログで
先に知ることになるかもしれませんがどうかお許し下さい.
宜しくお願いいたします.
OKUTEC店長