一月ほど前、予防接種とフィラリアの薬をもらいにかかりつけの動物病院に行ってきた。
昔から診察台に載せると不安がっていたのが、年々増している気がする。
そんな姿を見ると、治療のメリットと不安のデメリットの損益分岐点というかクロスポイントを意識するようになってしまいました。
心臓に雑音が混じっているのと血液検査から腎臓の数値が前回同様高めで若干貧血状態との結果でした。
若い頃の検診とか回復期の診察と違って、いい話はないけれど、高齢故の年相応と言った感じはまだ救いなのかもしれません。
一時期服用していた貧血の薬を念のためと、新たに心臓の薬を処方してもらった。
ワクチンは7種混合はきついのでネズミが媒介するのは止めて5種混合にしてもらった。
狂犬病の予防接種はキツイと聞いたのでもう止めようかと相談してみた。
先生はそんなにキツイものでは無いと言っていたけど、微妙なバランスで暮らしている今、余計なことは体調不良のもとなのでやっぱりしない方が
良いかと思っている。
年齢の話をしたら今15歳なので91歳ですね。といって換算表をくれた。
今15歳と5ヶ月なので少し歳をとって93歳くらいかな。
1年前の今頃、体調を崩して一気に歩く速度が遅くなって半分になった。
歩幅が半分になってコチョコチョ歩くような感じだったのが、あれから1年。
成長まっただ中な娘と正反対。
今は後ろ足で蹴る力がなくなり、支えとしかなっていないようで前足で頑張って歩いている。
なので歩く速度も1/3くらいに減った。
散歩の距離も短くなった。
朝夕のメインの散歩と昼間にチョコッと、そして私が帰宅してからのチョコッとの4回の散歩。
夜はホントに家の周りを回ってオシッコとウンチをさせるくらい。
私が帰ってきても顔を向けるだけの日もあれば、玄関まで出て来てくれる時もある。
起きてこない時は抱きかかえて外まで連れ出して、それから散歩。
歩き止めると座り込んでしまう。
人間も犬も同じで歳をとると下がゆるくなる。
力んだ拍子にウンチが出ることはもう珍しくない。
女性の尿漏れは割と知られていて尿取りパットとか薬があるように、犬の粗相で腹を立ててはいけない。
自分だってあと20年もすれば嫁か娘か介護の人に迷惑を掛けるのだから。
でも、実生活では粗相は粗相。
無いに越したことないので、散歩をまめにしてお尻をマッサージして粗相の元を絶つことにしている。
先日もお尻を揉んでいたら通りかかった自転車にのる小学生くらいの子が「うんち・うんち~」って言って走り去っていった。
良いも悪いも分からん年頃なので何とも思わなかったけど、アレが中学生や高校生くらいだあったら「何ですか!!」ってなって、
それがヤンキーやったら「何じゃ」って切れるかもしれない。
線路を越したところにある公園に連れて行ってあげようと思った。
少し前なら、よたよたでも歩いて行けたのが、先日はヴェクスターに載せて行った。
歩いてる間に疲れて公園で散歩どころではないと思った。
何年か前におふくろが病気になってほんの少しだけど自宅で介護した。
癌だったおふくろは良くなることはなく、残りの人生を自宅で一緒に過ごしたかった。
介護は意思疎通と下の世話が一番の問題だった。
幸い寅次郎は耳は聞こえないけど目は見えてボケはでていない。
散歩の時でも、呼ぶ素振りをするとそれを感じ取りヨタヨタとしながらでも歩み寄って来てくれる。
最近よくオシッコを漏らします。
力むとオシッコがチョロって出てしまうのを分かってか、土間でそっと寝ています。
飼い主が言うのもあれですが、寅次郎は頭の良い犬だと思います。
飼い犬を看取った事のある人が皆言うのが「最後はかわいそうで見てられない」という言葉。
「かわいそう」というのは病気で苦しむ姿のことかと思っていたけど、本当はこういった老いていく姿のことなのかのかなと思う。
おふくろの時にある人に教えられた話で
「今のの姿は残された人の心の準備のため。 もし突然何の前触れもなくいなくなったら残された人は耐えられなくなくなるから」と。
人が老いていく過程と赤ん坊が生まれて4~5歳くらいまでの成長が本当によく似ていると感じる。
残りの時間とそのときに起きること。おふくろの時と寅次郎の今。
人の最期のときのことをストレートに歌った歌があります。
綺麗な言葉で着飾るのではなく本当の所をうたった歌でです。
普通の人には湿っぽい歌にしか聞こえないかもしれませんが、介護をしている人は是非聞いてもらいたいのと、介護を終えた人には何か身にしみるものが
あるかと思います。
樋口了一/手紙~親愛なる子供たちへ~
樋口了一:水曜どうでしょう(リターンズ)のエンディングテーマを歌っている人でもあります。
寅次郎の最近のことを少し書きました。
ではまた
昔から診察台に載せると不安がっていたのが、年々増している気がする。
そんな姿を見ると、治療のメリットと不安のデメリットの損益分岐点というかクロスポイントを意識するようになってしまいました。
心臓に雑音が混じっているのと血液検査から腎臓の数値が前回同様高めで若干貧血状態との結果でした。
若い頃の検診とか回復期の診察と違って、いい話はないけれど、高齢故の年相応と言った感じはまだ救いなのかもしれません。
一時期服用していた貧血の薬を念のためと、新たに心臓の薬を処方してもらった。
ワクチンは7種混合はきついのでネズミが媒介するのは止めて5種混合にしてもらった。
狂犬病の予防接種はキツイと聞いたのでもう止めようかと相談してみた。
先生はそんなにキツイものでは無いと言っていたけど、微妙なバランスで暮らしている今、余計なことは体調不良のもとなのでやっぱりしない方が
良いかと思っている。
年齢の話をしたら今15歳なので91歳ですね。といって換算表をくれた。
今15歳と5ヶ月なので少し歳をとって93歳くらいかな。
1年前の今頃、体調を崩して一気に歩く速度が遅くなって半分になった。
歩幅が半分になってコチョコチョ歩くような感じだったのが、あれから1年。
成長まっただ中な娘と正反対。
今は後ろ足で蹴る力がなくなり、支えとしかなっていないようで前足で頑張って歩いている。
なので歩く速度も1/3くらいに減った。
散歩の距離も短くなった。
朝夕のメインの散歩と昼間にチョコッと、そして私が帰宅してからのチョコッとの4回の散歩。
夜はホントに家の周りを回ってオシッコとウンチをさせるくらい。
私が帰ってきても顔を向けるだけの日もあれば、玄関まで出て来てくれる時もある。
起きてこない時は抱きかかえて外まで連れ出して、それから散歩。
歩き止めると座り込んでしまう。
人間も犬も同じで歳をとると下がゆるくなる。
力んだ拍子にウンチが出ることはもう珍しくない。
女性の尿漏れは割と知られていて尿取りパットとか薬があるように、犬の粗相で腹を立ててはいけない。
自分だってあと20年もすれば嫁か娘か介護の人に迷惑を掛けるのだから。
でも、実生活では粗相は粗相。
無いに越したことないので、散歩をまめにしてお尻をマッサージして粗相の元を絶つことにしている。
先日もお尻を揉んでいたら通りかかった自転車にのる小学生くらいの子が「うんち・うんち~」って言って走り去っていった。
良いも悪いも分からん年頃なので何とも思わなかったけど、アレが中学生や高校生くらいだあったら「何ですか!!」ってなって、
それがヤンキーやったら「何じゃ」って切れるかもしれない。
線路を越したところにある公園に連れて行ってあげようと思った。
少し前なら、よたよたでも歩いて行けたのが、先日はヴェクスターに載せて行った。
歩いてる間に疲れて公園で散歩どころではないと思った。
何年か前におふくろが病気になってほんの少しだけど自宅で介護した。
癌だったおふくろは良くなることはなく、残りの人生を自宅で一緒に過ごしたかった。
介護は意思疎通と下の世話が一番の問題だった。
幸い寅次郎は耳は聞こえないけど目は見えてボケはでていない。
散歩の時でも、呼ぶ素振りをするとそれを感じ取りヨタヨタとしながらでも歩み寄って来てくれる。
最近よくオシッコを漏らします。
力むとオシッコがチョロって出てしまうのを分かってか、土間でそっと寝ています。
飼い主が言うのもあれですが、寅次郎は頭の良い犬だと思います。
飼い犬を看取った事のある人が皆言うのが「最後はかわいそうで見てられない」という言葉。
「かわいそう」というのは病気で苦しむ姿のことかと思っていたけど、本当はこういった老いていく姿のことなのかのかなと思う。
おふくろの時にある人に教えられた話で
「今のの姿は残された人の心の準備のため。 もし突然何の前触れもなくいなくなったら残された人は耐えられなくなくなるから」と。
人が老いていく過程と赤ん坊が生まれて4~5歳くらいまでの成長が本当によく似ていると感じる。
残りの時間とそのときに起きること。おふくろの時と寅次郎の今。
人の最期のときのことをストレートに歌った歌があります。
綺麗な言葉で着飾るのではなく本当の所をうたった歌でです。
普通の人には湿っぽい歌にしか聞こえないかもしれませんが、介護をしている人は是非聞いてもらいたいのと、介護を終えた人には何か身にしみるものが
あるかと思います。
樋口了一/手紙~親愛なる子供たちへ~
樋口了一:水曜どうでしょう(リターンズ)のエンディングテーマを歌っている人でもあります。
寅次郎の最近のことを少し書きました。
ではまた