「最近のこと」の続きになります。
とら母(嫁)の手術は順調に終わり、幸いにも5日の入院で済みました。
娘と寅次郎の世話がどうなるかと心配しましたが、近くに住む姉が食事の用意や幼稚園のお迎えを手伝ってくれて、事なきを得ました。
12月4日
先延ばしにしていた自分の大腸の内視鏡検査の日。
検査前日、寂しい大腸検査食でかなりの空腹感。
以前から一度食べてみたいと思って、それでも高くて買えなかったカニ。
ネットを見ながら終わったら本当に買って食べてやろうと心に誓いました。
幼稚園がたまたま休みだったので、ついでにお出かけということで一緒に付いてきてくれました。
無邪気に出掛けられる事を喜ぶ娘を見ながら、健康で背負うもののないと言うことが、どれ程幸せなのかをしみじみと感じました。
大阪駅で別れて一人病院へ。
主治医は60歳台後半かそれ以上くらいの先生。
名札に特別顧問と書かれてあり、この分野では重鎮だと後で知りました。
四月に地元のクリニックで診てもらった時に腸が長いと言われていましたが、クネクネしててなかなか内視鏡が奥まで入らず、
それこそ腹の中からツンツン突かれるような経験したことのない重い痛さで、つい声を上げてしまいました。
今思えば地元のクリニックでやった時は鎮静剤で半分意識が無くて気付かなかっただけで、同じようにツンツンやられていたのかもしれません。
手応えと反応を見ながら挿入しているのをみると、意識の無いのも考えものかもしれません。
どれくらい時間が経ったのか分かりませんが一通り検査が終わり先生から「直腸型の潰瘍性大腸炎」と言われました。
この時はまだ癌とかポリープとかの命に関わる病気かどうかが気になっていて先生に尋ねましたが、「癌やポリープは無い」と言われホッとしました。
「潰瘍性大腸炎」
初めて聞く病名に何度も聞き返しましたが覚えきれず看護師さんに頼んで紙に書いてもらいました。
検査の後、鎮静剤を抜くために1時間ほど横になって点滴を打たれてました。
眠ろうとしましたが寝付けず、帰ったら何を食べようかとそんな事をずっと考えていました。
しばらくすると主治医の先生が来てくれて穏やかな雰囲気で病気の話を少し聞かせてくれました。
病気のことを聞いてもピンと来なかったのですが唯一印象に残ったのが「難病なので申請書持って来たら書いてあげるよ」という言葉でした。
病気のことが書かれた冊子を何冊かくれてリアルダという飲み薬とペンタサという座薬、それと整腸剤のミヤBMを処方されました。
帰りはまた、とら母と娘と待ち合わせ一緒に帰ることにしました。
ここの病院では家に帰り着くまで食事は控えるようにと言われていたので、ただひたすら帰って食べる事だけ考えていました。
帰ってから貰った冊子を読みましたが、正直この時点では全然頭に入って来ませんでした。
薬を飲んだ翌日には、嘘のように出血も収まりました。
「難病」と言ってもこんなもんなら全然平気だとその時は思いました。
でも、これでおわらず、これからが始まりだという事がもう少し先に分かりました。
追伸
いま病院でこのブログを書いています。今日は内視鏡検査の日。
腸の洗浄剤を飲んでいる最中です。(2月1日)
つづく。