最近のことの続きになります。
間が空いてしまってすみません。
潰瘍性大腸炎と分かったものの薬(リアルダ、ペンタサ注腸)を服用したらその日のうちに血便が止まり、おまけに便まで太くなって思いのほか快調で、
難病患者になったという自覚はほとんどありませんでした。
病院でもらった冊子を読んだ後、病気について少し調べてみました
潰瘍性大腸炎(指定難病97)は大腸の粘膜がただれたり潰瘍ができる大腸の炎症性疾患で、症状は激しい下痢や腹痛、血便や下血、粘血便が繰り返し何度も襲ってくる病気で、酷くなると
1日に何十回とトイレに駆け込まないといけなくなる。
原因は不明で、食生活の欧米化、ストレス、自己免疫不全などと言われていて現在のところ完治する内科的治療はなく、薬によって腸の炎症を抑えて、その状態を維持(寛解)することが主な治療。
症状が悪化(再燃)し活動期が長いと癌になる確率が上がり、薬の効果がない場合は大腸そのものを全摘出する外科的治療を行う。
症状が治まっていても完治出来ないため「完治」ではなく「寛解」と言い、同様にまた発症しても「再発」と呼ばず「再燃」という。この病気にならなかったらきっと知らなかったと思う。
発症については主に二十代が高く、近年では五十代での発症も増えてきているらしい。
著名人でこの病気なのが安倍首相で中学生の頃に発症し2007年に総理を辞職したはこの病気が悪化したためと言っている。
安倍首相はアサコールという薬(2009年12月発売)が劇的に効いたらしく、特効薬と呼ばれたと聞いたことがあります。
このアサコールをはじめ私が服用したリアルダやペンタサも5-アミノサリチル酸製剤(5-ASA製剤)という薬の商品名で、炎症を抑える作用があり今はこの病気の基本薬となっています。
なので私にとっても5-ASA(ゴアサ)製剤は特効薬だったというわけです。
一週間後の再診の日。(12月13日)
血便も何事も無く快調に過ごしてきたので主治医との話も先ずは血液検査の結果から。
以前から高めだったコレステロール。
主治医からは薬を飲むか運動をするかどちらかと言われ、薬を一生飲み続けることに抵抗があって「薬はちょっと・・・」。
そう言うと、では運動するようにと膝に優しい自転車を勧められました。
こんな感じで診察は無難に終わり難病認定に必要な診断書を依頼し一ヶ月分の薬を処方してもらいました。
すぐ近所の薬局に寄ると30分待ちと言われ近所をぶらっと散歩。
知らない土地は何となくワクワクします。
薬局に戻って代金を聞いてびっくり。
「1万円になります」
前回は10日分ほどだったので気付かなかったですが新薬なので、むっちゃ高いです。
帰りの電車で「難病」というのを少し実感しながら帰ってきました。
実はそのころから声が枯れていて、最初は風邪によるものかなと簡単に思っていました。
声枯れが二・三日続いてそのあと咳が出始めました。
自分では「とうとう風邪をひいたな」そんな風に思ってマスクをして普通に仕事をしていました。
その週末いきなり39℃の熱が出ました。
風邪の熱にしてはだるさや辛さが少し違うよう思え、どちらかというと体が発熱しているかのようでした。
熱と同時に激しい下痢と血便が襲ってきました。
繰り返す下痢に苦しめられました。
食べることも出来なくなり、とら母がおかゆやうどんなど消化の良いものを作ってくれました。
でも食べると下痢便意が襲ってきてまたトイレに。
食べたものを出し尽くしても下痢便意が止むことはありませんでした。
トイレに入って一滴の血便を絞り出すのに20~30分かかり、それでようやく布団に戻っても途端に下痢便意が襲ってきてまたトイレに。
際限なく襲ってくる下痢便意。
最後は何も出ないのに下痢便意が襲って来ます。
布団に入って襲ってくる下痢便意に「どうせトイレに行っても何もでないや」とトイレに行くことを止めるべく便意と戦いましたが、人間の体はすごい物で
下痢便意があるととても寝てはいられませんでした。
症状が治まるのに3時間くらい掛かりそのほとんどをトイレで過ごしました。
この症状特有の1日何十回とトイレに駆け込むという症状を身をもって知りました。
かなしいかな数ヶ月前からウォシュレットが不調でそれまで旅行の時に使う携帯用のお尻洗い(ペットボトルにノズルを付けるだけの単純なもの)を使っていたのですが、ここに来て
頻繁のトイレに駆け込むのにお湯を入れている余裕も無く冷たい水でお尻洗浄するしかありませんでした。
こんな事なら早くウォシュレットを買い換えとけばと後悔しました。
寒いトイレに我慢が出来ず電気ストーブを持ち込んで堪え忍びました。
主治医の診察は火曜日。
土曜から発熱して地獄のような週末でした。
医者にこの症状を何て説明しようと寒いトイレのなかでネット検索しました。
「しぶり腹」
初めて聞く名前でしたがちゃんとありました。
この病気になっていろんな言葉を知ることが出来ました。
やがて食べると下痢便意をもよおすので体が食べ物を要求しなくなってきました。
体に貯め込んだ脂肪をエネルギー源としているみたいでした。
週が明ける頃、体温は37℃台にさがり、それが平熱のような錯覚になり、ほとんど食べれないこともあって下痢便意の周期も延びてくれました。
火曜日(12月19日)、電車に乗って頑張って病院に行きました。
途中で下痢便意に襲われたらどうしようと心配になりました。
これが度を過ぎると、いわゆる「パニック障害」になるんだろうなと思いました。
主治医は簡易的な内視鏡で見てくれましたが、酷い出血はなく潰瘍性大腸炎の症状では無くウイルス性か病原菌による腸炎を疑っていました。
前日食べた物が何だったかとか聞かれ「自分で作ったお好み焼きです」と答えましたが、もちろんそんものではなりにくく主治医も「考えにくいなあ」と言いました。
取りあえず可能性は低いけどと言われて抗生物質を処方しその日は帰宅しました。
1日たっても症状は変わらず仕事にも行ける状態ではありませんでした。
翌木曜日は午後からとら母(嫁)の病気の結果を二人で聞きに行く日だったので午前中にもう一度病院に行くことにしました。
午前中しか時間が無い中、主治医の診察日ではなかったので少し待たなければならず、時間にも追われて落ち着くことが出来ませんでした。
主治医が都合を付けて診てくれる事になったのですが、検査とかした場合午前中では終わらないと、看護師さんも心配そうに気に掛けてくれて、結局とら母の病院へは
一人で行って貰うことにして、主治医の手が空くのを長椅子で待つことにしました。
続く
間が空いてしまってすみません。
潰瘍性大腸炎と分かったものの薬(リアルダ、ペンタサ注腸)を服用したらその日のうちに血便が止まり、おまけに便まで太くなって思いのほか快調で、
難病患者になったという自覚はほとんどありませんでした。
病院でもらった冊子を読んだ後、病気について少し調べてみました
潰瘍性大腸炎(指定難病97)は大腸の粘膜がただれたり潰瘍ができる大腸の炎症性疾患で、症状は激しい下痢や腹痛、血便や下血、粘血便が繰り返し何度も襲ってくる病気で、酷くなると
1日に何十回とトイレに駆け込まないといけなくなる。
原因は不明で、食生活の欧米化、ストレス、自己免疫不全などと言われていて現在のところ完治する内科的治療はなく、薬によって腸の炎症を抑えて、その状態を維持(寛解)することが主な治療。
症状が悪化(再燃)し活動期が長いと癌になる確率が上がり、薬の効果がない場合は大腸そのものを全摘出する外科的治療を行う。
症状が治まっていても完治出来ないため「完治」ではなく「寛解」と言い、同様にまた発症しても「再発」と呼ばず「再燃」という。この病気にならなかったらきっと知らなかったと思う。
発症については主に二十代が高く、近年では五十代での発症も増えてきているらしい。
著名人でこの病気なのが安倍首相で中学生の頃に発症し2007年に総理を辞職したはこの病気が悪化したためと言っている。
安倍首相はアサコールという薬(2009年12月発売)が劇的に効いたらしく、特効薬と呼ばれたと聞いたことがあります。
このアサコールをはじめ私が服用したリアルダやペンタサも5-アミノサリチル酸製剤(5-ASA製剤)という薬の商品名で、炎症を抑える作用があり今はこの病気の基本薬となっています。
なので私にとっても5-ASA(ゴアサ)製剤は特効薬だったというわけです。
一週間後の再診の日。(12月13日)
血便も何事も無く快調に過ごしてきたので主治医との話も先ずは血液検査の結果から。
以前から高めだったコレステロール。
主治医からは薬を飲むか運動をするかどちらかと言われ、薬を一生飲み続けることに抵抗があって「薬はちょっと・・・」。
そう言うと、では運動するようにと膝に優しい自転車を勧められました。
こんな感じで診察は無難に終わり難病認定に必要な診断書を依頼し一ヶ月分の薬を処方してもらいました。
すぐ近所の薬局に寄ると30分待ちと言われ近所をぶらっと散歩。
知らない土地は何となくワクワクします。
薬局に戻って代金を聞いてびっくり。
「1万円になります」
前回は10日分ほどだったので気付かなかったですが新薬なので、むっちゃ高いです。
帰りの電車で「難病」というのを少し実感しながら帰ってきました。
実はそのころから声が枯れていて、最初は風邪によるものかなと簡単に思っていました。
声枯れが二・三日続いてそのあと咳が出始めました。
自分では「とうとう風邪をひいたな」そんな風に思ってマスクをして普通に仕事をしていました。
その週末いきなり39℃の熱が出ました。
風邪の熱にしてはだるさや辛さが少し違うよう思え、どちらかというと体が発熱しているかのようでした。
熱と同時に激しい下痢と血便が襲ってきました。
繰り返す下痢に苦しめられました。
食べることも出来なくなり、とら母がおかゆやうどんなど消化の良いものを作ってくれました。
でも食べると下痢便意が襲ってきてまたトイレに。
食べたものを出し尽くしても下痢便意が止むことはありませんでした。
トイレに入って一滴の血便を絞り出すのに20~30分かかり、それでようやく布団に戻っても途端に下痢便意が襲ってきてまたトイレに。
際限なく襲ってくる下痢便意。
最後は何も出ないのに下痢便意が襲って来ます。
布団に入って襲ってくる下痢便意に「どうせトイレに行っても何もでないや」とトイレに行くことを止めるべく便意と戦いましたが、人間の体はすごい物で
下痢便意があるととても寝てはいられませんでした。
症状が治まるのに3時間くらい掛かりそのほとんどをトイレで過ごしました。
この症状特有の1日何十回とトイレに駆け込むという症状を身をもって知りました。
かなしいかな数ヶ月前からウォシュレットが不調でそれまで旅行の時に使う携帯用のお尻洗い(ペットボトルにノズルを付けるだけの単純なもの)を使っていたのですが、ここに来て
頻繁のトイレに駆け込むのにお湯を入れている余裕も無く冷たい水でお尻洗浄するしかありませんでした。
こんな事なら早くウォシュレットを買い換えとけばと後悔しました。
寒いトイレに我慢が出来ず電気ストーブを持ち込んで堪え忍びました。
主治医の診察は火曜日。
土曜から発熱して地獄のような週末でした。
医者にこの症状を何て説明しようと寒いトイレのなかでネット検索しました。
「しぶり腹」
初めて聞く名前でしたがちゃんとありました。
この病気になっていろんな言葉を知ることが出来ました。
やがて食べると下痢便意をもよおすので体が食べ物を要求しなくなってきました。
体に貯め込んだ脂肪をエネルギー源としているみたいでした。
週が明ける頃、体温は37℃台にさがり、それが平熱のような錯覚になり、ほとんど食べれないこともあって下痢便意の周期も延びてくれました。
火曜日(12月19日)、電車に乗って頑張って病院に行きました。
途中で下痢便意に襲われたらどうしようと心配になりました。
これが度を過ぎると、いわゆる「パニック障害」になるんだろうなと思いました。
主治医は簡易的な内視鏡で見てくれましたが、酷い出血はなく潰瘍性大腸炎の症状では無くウイルス性か病原菌による腸炎を疑っていました。
前日食べた物が何だったかとか聞かれ「自分で作ったお好み焼きです」と答えましたが、もちろんそんものではなりにくく主治医も「考えにくいなあ」と言いました。
取りあえず可能性は低いけどと言われて抗生物質を処方しその日は帰宅しました。
1日たっても症状は変わらず仕事にも行ける状態ではありませんでした。
翌木曜日は午後からとら母(嫁)の病気の結果を二人で聞きに行く日だったので午前中にもう一度病院に行くことにしました。
午前中しか時間が無い中、主治医の診察日ではなかったので少し待たなければならず、時間にも追われて落ち着くことが出来ませんでした。
主治医が都合を付けて診てくれる事になったのですが、検査とかした場合午前中では終わらないと、看護師さんも心配そうに気に掛けてくれて、結局とら母の病院へは
一人で行って貰うことにして、主治医の手が空くのを長椅子で待つことにしました。
続く