最近のことの続きになります。
2日ほど声枯れが続きそのあと咳が出だしたので風邪かと思っていたら、熱が出て激しい下痢と血便に何度も襲われた。
落ち着いていた潰瘍性大腸炎が再燃したと思って病院に行ったものの、主治医からは潰瘍性大腸炎によるものでは無いと言われた。
ただそれまで直腸型だったものがS状結腸の方まで約30センチほど潰瘍が広がっていると言われた。
抗菌製剤(クラビット錠)を処方して貰ったものの、その後も症状は変わらず週末を迎える前にもう一度病院に行くことにした。
食べると下痢で3時間くらいはトイレから出られない
ろくに食べることも出来ない日が続くと、食べ物の動きが分かりやすくなって口にしてからだいたい9時間くらいで便意をもよおすことが分かった。
普通なら胃と小腸で消化するのが9時間くらいと言われているので、腸は素通り状態なのがよく分かる。
電車や病院で下痢に襲われないように食事の時間を調整していった。
12月22日(金)
主治医の診察日ではなかったけど院内でほかの検査をしているとのことで、終わったら診てくれることになった。
この日は午後からとら母の手術結果を二人で聞きに行かなければならず時間が気がかりでならなかった。
時計を見ながら待合室の長椅子で待った。
看護師さんに事情を話したが、血液検査をしたとしても結果がでるまで1時間くらいは掛かるので難しいのではと言わた。
とら母に電話をして自分が行けなくても大丈夫かとら母の行っている病院に聞いてもらうよう連絡した。
しばらくして主治医の先生がやって来て腸の出血状態を診てもらうが、さほどひどくはないと言われた。
「だいぶやつれたな」主治医からそう言われ、年の瀬でもあるし念のため一週間ほど入院しないかとすすめられた。
急な話に少し戸惑った。
寝たきりの寅次郎のことが真っ先に浮かんだ。
年賀状も作らないといけないし仕事もすでに一週間休んでいる。
と言ってもこればかりはどうしょうもなく入院する事になった。
とら母にまた電話をして、入院する事を告げた。
大阪駅から数百メートルの所にある病院。
窓際のベッドからビル群が見える。
向かいの建物はどこかのオフィスが入っている。
営業だろうか、ディスクが列んだフロアでスーツ姿の社員が働いているのが見える。
普通に仕事ができるという事のありがたみを思い知らされる。
入院している間、毎日とら母と娘が病院に来てくれた。
こんな時、子供の笑顔に助けられる。
症状は変わらないままだったので腸を休めると言うことで絶食となった。
水分は点滴で補い、栄養はドリンクで摂った。コーヒー風味とあったけどキャラメル味みたいだった。これを朝と晩に二回。
もうお腹が空くとか言う感覚が無くなってしまった。
体重計に乗ったら78Kgあったのが74Kgになっていた。
「この体重計って着ている服とかの分を差っ引いてますか?」看護師さんに聞いたけど、「そのままです」と言われた。
鏡を見て、やつれているのが自分でも分かった。
入院してからそれまで服用していた「リアルダ」から「ペンタサ錠」に減量し、腸の奥まで届くようにと「ペンタサ座薬」から液体の「ペンタサ注腸」になった。
どちらも特効薬と言われたメサラジンと言われる5-ASA製剤の薬だったが、また急に39℃の熱が出た。
これによって主治医はメサラジンのアレルギーの疑いが強いと判断し、その日からメサラジンは中止となった。
特効薬と言われ潰瘍性大腸炎の基本薬が使えなくなり、この先どうなるのかと心配になった。
12月25日
世間はクリスマス。
娘は欲しかった黒いネコのぬいぐるみをもらった。
嬉しそうに病院にまで連れてきた。
薬を止めて熱も下がり食事も摂れるようになってきた。
食事に添えられたカードもクリスマスだった。
本当なら予約していたクリスマスケーキを家で食べてるはずだったのに、年を食うとDNAもおかしくなってきて、いつどうなるかわかったものじゃない。
夜、病院から見える夜景がきれいだった。
梅田スカイビル
街もクリスマス色していた。
つづく
2日ほど声枯れが続きそのあと咳が出だしたので風邪かと思っていたら、熱が出て激しい下痢と血便に何度も襲われた。
落ち着いていた潰瘍性大腸炎が再燃したと思って病院に行ったものの、主治医からは潰瘍性大腸炎によるものでは無いと言われた。
ただそれまで直腸型だったものがS状結腸の方まで約30センチほど潰瘍が広がっていると言われた。
抗菌製剤(クラビット錠)を処方して貰ったものの、その後も症状は変わらず週末を迎える前にもう一度病院に行くことにした。
食べると下痢で3時間くらいはトイレから出られない
ろくに食べることも出来ない日が続くと、食べ物の動きが分かりやすくなって口にしてからだいたい9時間くらいで便意をもよおすことが分かった。
普通なら胃と小腸で消化するのが9時間くらいと言われているので、腸は素通り状態なのがよく分かる。
電車や病院で下痢に襲われないように食事の時間を調整していった。
12月22日(金)
主治医の診察日ではなかったけど院内でほかの検査をしているとのことで、終わったら診てくれることになった。
この日は午後からとら母の手術結果を二人で聞きに行かなければならず時間が気がかりでならなかった。
時計を見ながら待合室の長椅子で待った。
看護師さんに事情を話したが、血液検査をしたとしても結果がでるまで1時間くらいは掛かるので難しいのではと言わた。
とら母に電話をして自分が行けなくても大丈夫かとら母の行っている病院に聞いてもらうよう連絡した。
しばらくして主治医の先生がやって来て腸の出血状態を診てもらうが、さほどひどくはないと言われた。
「だいぶやつれたな」主治医からそう言われ、年の瀬でもあるし念のため一週間ほど入院しないかとすすめられた。
急な話に少し戸惑った。
寝たきりの寅次郎のことが真っ先に浮かんだ。
年賀状も作らないといけないし仕事もすでに一週間休んでいる。
と言ってもこればかりはどうしょうもなく入院する事になった。
とら母にまた電話をして、入院する事を告げた。
大阪駅から数百メートルの所にある病院。
窓際のベッドからビル群が見える。
向かいの建物はどこかのオフィスが入っている。
営業だろうか、ディスクが列んだフロアでスーツ姿の社員が働いているのが見える。
普通に仕事ができるという事のありがたみを思い知らされる。
入院している間、毎日とら母と娘が病院に来てくれた。
こんな時、子供の笑顔に助けられる。
症状は変わらないままだったので腸を休めると言うことで絶食となった。
水分は点滴で補い、栄養はドリンクで摂った。コーヒー風味とあったけどキャラメル味みたいだった。これを朝と晩に二回。
もうお腹が空くとか言う感覚が無くなってしまった。
体重計に乗ったら78Kgあったのが74Kgになっていた。
「この体重計って着ている服とかの分を差っ引いてますか?」看護師さんに聞いたけど、「そのままです」と言われた。
鏡を見て、やつれているのが自分でも分かった。
入院してからそれまで服用していた「リアルダ」から「ペンタサ錠」に減量し、腸の奥まで届くようにと「ペンタサ座薬」から液体の「ペンタサ注腸」になった。
どちらも特効薬と言われたメサラジンと言われる5-ASA製剤の薬だったが、また急に39℃の熱が出た。
これによって主治医はメサラジンのアレルギーの疑いが強いと判断し、その日からメサラジンは中止となった。
特効薬と言われ潰瘍性大腸炎の基本薬が使えなくなり、この先どうなるのかと心配になった。
12月25日
世間はクリスマス。
娘は欲しかった黒いネコのぬいぐるみをもらった。
嬉しそうに病院にまで連れてきた。
薬を止めて熱も下がり食事も摂れるようになってきた。
食事に添えられたカードもクリスマスだった。
本当なら予約していたクリスマスケーキを家で食べてるはずだったのに、年を食うとDNAもおかしくなってきて、いつどうなるかわかったものじゃない。
夜、病院から見える夜景がきれいだった。
梅田スカイビル
街もクリスマス色していた。
つづく