オクテック ガレージ ブログ OKU-TEC garage

大した人生ではないけれど,それでも読み返せば思い出されるあのときのこと.消えないように,そして生きた証になるように

台風21号

2018-09-08 06:13:01 | 日記
9月4日


その日は潰瘍性大腸炎を抑える二ヶ月に一度の点滴投与の日。

前日から台風21号の事がニュースで流れていた。

ここ大阪はまだ雨も降らず少し風があるくらいだったけど、JRは9日の午前10時を目処に運休。私鉄(阪急電車)は状況を見て決めるとあって、会社は休業。

元々休みを取って通院するつもりだったから休業と聞いて残り少ない有給休暇を消費しなくてすむと思いきや、休業の場合はその分、給与から差し引かれるとあってちょっと残念。

結局有休を取るしかないなあ、なんてどうでも良いような事を考えるくらいで、このときはまだこの台風の凄さなんて予想もしていなかった。



病院は阪急電車で5駅先。駅を降りたら病院なのでいつもは電車で通っていた。

10時半の診察の予約だけど点滴は2時間かけて行うので、会計などの待ち時間を考えると電車で行くと帰れない可能性が高いためヴェクスター125で行くことにした。




少し早めに家をでた。

曇ってはいたものの、雨はまだ降って無く台風の影響で人も車も少なめだった。


大きな病院のベットで横になり点滴を打ちながら車中泊の旅のブログを書いていた。











点滴が終わり窓から外を見たけれど雨は降ってはいるものの、そんなに酷くはなかった。

会計、精算を済ませ院外薬局で薬をもらいに行こうと外に出たときには、先ほどよりも雨脚は強くなっていた。でもそれはいつもの雨脚の強い雨程度だった。












スクーターの駐輪場は大きな病院の反対側にあって少し遠い。
院内を抜けて外に出たときにはさっきよりも更に雨脚が強くなっていた。










午後2時。
叩きつける雨。
それでも、この程度の雨はいままで無かったわけではなかった。










車も少なく、バイクはほとんど見かけない。
電車だと20分ちょいで帰れるくらいアクセスが良いので、スクーターで来てもメリットもなく、ただたださっさと帰りたかった。



病院を出て数分もしないうちから風であおられるようになって、怖くてスピードを上げれ無くなってきた。

それでもまだ平気だった。

10分ほど走っただろうか。
所々、突風が吹いていて一車線くらい飛ばされるくらいでの勢いで、走るのが怖くなってきた。



府道十三高槻線。
それは高槻から大阪へ抜ける郊外を抜ける道で信号も少なく中央分離帯のある片側二車線のバイパス道のような道。

安威川を越えるために道は高架道が続いた。

時折吹きさらす突風で隣の車線に飛ばされながらも高架道を上って行くと、先に車がハザードを点けて止まっているのが見えた。








まだ車も少なく、何故止まっているのかが分からなかった。
数台が横を通り過ぎていった。

益々風が強くなる。
防音壁にヴェクスターを寄せて風をかわしながら様子を見た。









風が吹くものの何とかまだ走れそうだったので、停車している車の間を抜けて先に進もうとヴェクスターを走らせた。

さらに高架を上ると何故車が止まっているのかが分かった。
その先でトラックが横転していた。




横転している車が更に強風で煽られ揺れている。
防音壁もなく、ヴェクスターも煽られて止まっているのもままならない。
ブレーキを少しでも緩めるとずんずんと後ずさりしてしまう。

耐えられなくなって中央分離帯の縁石にタイヤを当てて動かないようにして耐えた。


その先は安威川を越えるために更に高架が上がっていて周りに何も無い吹きっさらしで、恐ろしいくらいの暴風が吹き荒れていた。

何台もトラックが立ち往生していた。

横転したトラックが突風でギシギシと揺れている。


自分のバイクから何かが飛んでいった。
よく見たらヴェクスターの足下にあるステップのゴムマットだった。


このまま進めば間違いなく吹き飛ばされてしまうと思った。
恐怖だった。









身の危険を感じて、後ずさりしながら少しでもそこから離れようとした。
最後には一方通行の道だったけどUターンして逆走して戻った。


何も知らず上がってくる車。
手を振って車を止めて引き返すよう促した。
皆引き返したが、すでに高架の先で立ち往生している車は、あの吹きさらしの中で耐えないといけない。




低い橋で安威川を越えようと迂回した。

一本離れた橋から高架道が見えた。









町中を走る。
信号は消え、映画「ツイスター」さながらに色んな物が空を舞っている。









行き先表示の「青看板」が風に吹かれて真横を向いているのを初めて見た。









ラーメン屋の看板は吹き飛ばされてた。










街路樹が何本も折れて倒壊してた。










自転車やバイクは倒され、シャッターが壊れて風であおられていた。









工場の屋根だろうか警報音が鳴り響き、原形がわからないくらいに屋根が壊れてスクーターや自転車が下敷きになっていた。









1時間ほどでようやく家に帰り着いた。

パッと見は大丈夫に見えたものの、家の前に見たことのあるアンテナがマストごと落ちていた。
自分の家のアンテナだった。
人やよその家に当たらなくて良かった。










娘は音がすごくて泣いていたと話してくれた。

とら母(嫁)もアンテナがないのでテレビが見れなくて困っていた。
ネットのニュースは限られていて、やっぱりこんな時はテレビが見れないと困る。




うちはアナログテレビ時代のアンテナなので大阪局のVHFとテレビ大阪用のUHF、神戸放送のサンテレビ用UHFの3アンテナ。

取りあえず落ちたアンテナから使えそうなUHFアンテナを1本を外して折れ曲がったマストも切断して仮設で付けることにした。












大阪局とテレビ大阪は生駒の送信所から送られてくるので方向が同じ。
でも映るはずがNHKの教育が映らない。

アンテナの混合器って外の吹きさらしに設置されるものなので、雨風にさらされても意外と耐えてくれる。
つなぎ替えたりしたもののNHK教育テレビだけが映らない。







取りあえずなのでこれで良しと思ったところにとら母(嫁)がやってきて、「とわねが、朝見ているプリキュアがサンテレビやねん」・・・・と。


サンテレビは神戸なのでアンテナの方向が違う。
「とりあえず」のはずが、さらに延長作業。

地デジ対応のUHFのアンテナがたまたま在庫していたので組み立て。






昔、親父の手伝いで何本もアンテナを立てたのを思い出した。
アンテナのネジは殆どが蝶ネジ。










組み立ては簡単だけど、蝶ネジの向きは他の蝶ネジと合わせとか、同軸ケーブルの網線の処理はちゃんとしろとか口やかましく言われた。









短くなったけどマストを立ててサンテレビに向けたけど、なぜか映らない。
元々あったのを付けても映らない。

時間ばかり過ぎるのでとりあえずサンテレビはあきらめてNHKが映らない原因と理由を考えた。


新しいアンテナを生駒に向けると大阪局とテレビ大阪が映った。
で、思った。

アナログテレビの頃のUHFアンテナってテレビ大阪(19チャンネル)が映るように19チャンネルまでの周波数特性になってるのと違うかなと。


NHK教育は13チャンネル。VHF帯に毛が生えたような周波数だから昔のUHFアンテナでは映らないのかと。








サンテレビが映らない理由ははっきり分からないけどとりあえず電波も弱くてマストも短くなったし、とりあえず利得の高い20素子のアンテナをネットで手配しました。

さてどうなるか。




翌日他の被害状況を見たら陸屋根の雨漏り対策で自分で施工した波板が飛んでしまっていた。





キッチンリフォームどころではなくなってしまいました。







各地で大きな被害がでて、近所の電柱も倒れて停電になったり、お隣さんは飛んできた物で車の窓ガラスが割れたりと、みんな被害を受けているだけに、こればっかりは止む無しと思います。

命あっただけめっけもん。

雨漏り対策もまたブログに書きます。


ではまた。