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温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

ジャカルタで活躍する東京の通勤電車

2017年02月10日 | インドネシア
※今回記事に温泉は登場しません。あしからず。
前回記事の続編です。

インドネシアの首都ジャカルタでは、日本のODAによってジャカルタ都市圏の鉄道整備が行われており、これに伴う形で東京のJRや民鉄・地下鉄で走っていた車両が、海を渡って当地で第二の人生ならぬ車生を送っています。ジャカルタで東京の電車が走っていることは、日本の鉄道ファンにはすっかりお馴染みの常識であり、南国で東京の電車が活躍する様を追いかけている熱心な鉄ちゃんもいらっしゃいますが、かく言う私も隠れ鉄ちゃんの端くれとして、ジャカルタで頑張る日本の電車に乗ってみたかったので、当地を訪れた際、実際に駅へ行ってみることにしました。


 
前回記事で述べましたように、ファタヒラ広場の「カフェ・バタビア」でちょっと気取ったランチを摂った後、そのまま歩いてコタ駅へとやってまいりました。1870年に開業した大変古い駅であり、ドーム状の駅舎からも長い歴史がもたらす風格が伝わってきますが、現在この駅から発着する長距離列車は極めて限られており、実質的にはジャカルタ都市圏の近郊へ向かう電車「KRLジャボタベック」のターミナルとなっているんだとか。東京で例えるならば、かつては長距離汽車の発着駅だったが運行形態の変化によって通勤電車ばかりになってしまった上野駅みたいですね。


 
「KRLジャボタベック」の路線網は年々整備され続けているらしいのですが、外国人観光客と縁がありそうな場所は通らないので、観光に活用できるかどうか微妙なところ。ジャカルタからボゴールへ向かう際には、ボゴール線の電車が便利ですが、路線図とガイドブックの両方をにらめっこしても、沿線には電車に乗って行きたくなるような場所が見当たりません。かと言ってボゴールまで往復する時間はない。そこで、ちょっとしたターミナルになっているマンガライ駅まで乗り、そこからはタクシーでホテルへ戻ることにしました。
駅には券売機と有人窓口の両方が設けられていたのですが、私はインドネシア語が読めないので、有人窓口に並んでマンガライまでのIC乗車券を購入。自動改札機にタッチして入場します。



いかにもターミナル駅らしい頭端式ホームには、東急8000系(左)とJR205系(右)が横並びで止まっていました。当地では赤と黄色のカッティングシートで彩られているんですね。


 
そもそも車高の低い客車列車が使っていたホームに、車高の高い電車が発着しているため、段差を解消するためステップが設置されていました。観光地の記念撮影場所にあるベンチ状のステップみたいですね。バリアフリーなんて概念は微塵も見られません。このステップに登って、東急8000系に乗り込んでみました。


 
車内は東急時代のままですが、シートのモケットが東急時代の茶色から鮮やかなブルーに交換されていました。天井・網棚・つり革支持棒をつなぐ金属部品が、ブーメランのような曲線を描く独特な形状をしていますが、これは初期の8000系や7200系で見られた意匠。この電車は主に東横線で活躍していた車両でしょう。


 
この電車が渋谷・自由が丘・田園調布・日吉、そして横浜といった街を走っていた頃、ドア上には東横線や田園都市線などといった東急の路線図が掲示されていたはずですが、現在は「KRLジャボタベック」の路線図に取って替わられていました。一方、車端の妻面には「形式デハ8100 自重35.4瓲 定員170人」「全 14-8 長津田工」と印字されたプレートが取り付けられたままになっており、この車両がかつて東急の長津田工場でメンテナンスを受けていた証がいまだに残っていました。

さて私がこの東急8000系に乗車した際、こちらの乗客はまばらなのに、隣のホームに止まっている列車には次々に客が乗り込んでいるではありませんか。どうやらこちらは次発で、お隣が先発の様子。ということで、東急8000系から一旦下車し、隣のホームの電車に乗り直すことに。


 
先発列車のJR205系「ブカシ」行。最後尾は女性専用車両となっているのですが、日本のような痴漢対策というよりも宗教上の理由のようです。車体側面には「クハ204-87」の文字と、黄色・橙色・茶色の3色帯が残っていました。ということは、この車両はかつてJR南武線を走っていたのでしょう。厳密に言えば、まず山手線に新製投入されて都心をグルグル回った後、南武線へ都落ちし、最終的には海を渡ってジャカルタへとやってきたものと推測されます。若い頃からグルグル回され、薹が立ったら地方へ落とされ、挙げ句の果てにはジャガタラの地に飛ばされるという、明治大正期のからゆきさんを地でいくようなこの車両の流転の運命には、戦前の女衒もビックリすることでしょう。


 
窓に色付きの遮光フィルムが貼られること以外、車内はJR時代とほとんど同じ。窓上や中吊りの広告もしっかりと掲出されていました。昼間だからか、車内に混雑は見られず至って落ち着いており、みなさんお行儀よく乗車していました。


 
ドアが閉まる時のプシューッというエア音も、起動時のモーター音も、JRで走っていたころと全く同じ。まさか異国の地でこうした音を耳にするとは思いませんでした。でもダイヤの問題なのか、ちっともスピードを出さず、せいぜい40km/hがいいところ。高架の線路をチンタラ走りながら、各駅に止まって旅客を乗り降りさせています。車窓に見える街並みは貧乏長屋ばかり。私が宿泊したショッピングモールの"fX"には小金持ちの中産階級が集まっていましたが、線路沿いは経済成長の恩恵にいまだ浴しきっていない人が多いのでしょう。発展途上国ではどこでも同じですが、線路沿いにはスラムやそれに近い街並みが広がりやすい傾向にありますね。貧富の差の大きさを目の当たりにした思いです。
途中、前回記事で取り上げた独立記念塔を右手に見ながら、電車はゆっくりと南下してゆきます。


 
コタから約20分の乗車でマンガライ駅に到着しました。隣の線路には、かつて地下鉄千代田線で走っていた旧東京メトロ6000系が停車中。小田急沿線に暮らす私にとって、小田急と相互乗り入れをしている千代田線は大変身近な存在ですが、先頭車両のおでこに記された6101という番号を見て、はたと気づきました。この6101という車両とそれに連なる10両1編成は、営団地下鉄時代に2次試作車と呼ばれていた1969年製の古参車両であり、寸法の問題で小田急線に乗り入れることができなかったちょっと特殊な編成でもあります。ジャカルタには2016年にやってきたばかりのようですが、既にかなり草臥れているので、当地で活躍できる期間は決して長くないでしょう。



マンガライ駅の別のホームに入ってきた列車です。こちらも私が乗ってきたブカシ行と同じくJR205系ですが、車端部には「宮ハエ」の3文字が残っていました。JRでは国鉄時代の電報略号、略して電略をいまだに使っていますが、「宮ハエ」とはそんな電略の一つであり、この3文字が意味しているのは、JR東日本大宮支社川越車両センターのこと。つまり、この車両は埼京線を走っていたのです。私の生まれ故郷である赤羽を毎日通過しながら、酔っ払いや痴漢などに耐えつつ、ギューギュー詰めの大混雑を毎日のように過ごしていたんですね。

このマンガライ駅には跨線橋やアンダーパスがないため、ホームから線路へ直接下りて、線路をまたいで駅舎へ向かいました。そんなアバウトさが実に東南アジアっぽくて良いですね。帰路も電車で帰ろうと思ったのですが、窓口には大行列ができており、チケットを購入するのが面倒になったので、当初の計画通り、駅から徒歩10分ほどのところにあるショッピングモールからタクシーに乗り込んでホテルへ戻ってしまいました。

今回は2駅間を僅か20分乗車しただけですから、東急・JR・東京メトロという3社の3車種にしか出会うことはできませんでしたが、当地ではこの他にも東京で活躍していた多様な通勤電車が走っているんだとか。ジャカルタの鉄道事情に熱をあげる日本の鉄ちゃんの気持ちも理解できる気がします。多くの東京の通勤電車がジャカルタの地へ渡るきっかけとなったのは、ジャカルタと姉妹都市提携をしている東京都が、アジア通貨危機の際、当地の交通事情を助けるべく、都営地下鉄のお古を当地に提供したことに始まるんだそうですが、線路幅1067mm(3フィート6インチ)、直流1500Vという規格条件を満たし、車両状態がよく、大量かつ安価で導入できる電車となれば、東京圏で放出される中古の通勤電車がもってこいなのでしょうね。でも現地では近いうちに中古鉄道車両の輸入が制限されるらしく、また、メンテナンスの問題なのか現地へ渡った中古車両の多くが早いペースで廃車されているので、こうしてジャカルタの街を東京の電車が走る光景が見られるのも、意外と長くは続かないかもしれません。

さて私が持っているインドネシアの温泉ネタや旅行記は、全体の3分の1を消化し終えたところ。まだまだご紹介したい温泉が残っているのですが、ここで一旦小休止して、次回からは日本国内へ戻ります。そして来月(3月)の上旬か中旬を目処に、インドネシア温泉旅行記の続編を再開させていただきます。
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バスウェイに乗ってジャカルタの街をササッと観光

2017年02月09日 | インドネシア
※今回記事に温泉は登場しません。あしからず。

拙ブログでは先日から連続してインドネシア・ジャワ島で巡った温泉を取り上げておりますが、私にとってジャワ島は今回が初めての訪問であり、ジャワ島最大の都市にしてインドネシアの首都でもあるジャカルタという都市が、どんな街なのか全く知らなかったので、温泉巡りの旅程のうち丸1日をジャカルタ観光に割いて、簡単に街中を散策してみました。


●ホテル
 
今回のジャカルタ訪問で宿泊したホテルは、ジャカルタ市内南部のショッピングモール「fX Sudirman」(以下fX)に内包されている"Harris Suites fX Sudirman"です。このfXは、低層階にショッピングモールが、そして高層階にオフィスやホテルが入っている巨大な複合施設。空港で乗ったタクシーの運ちゃんに「fX」という2文字を伝えただけですんなり通じましたので、地元では相当有名な施設なのでしょう。周囲には緑豊かな公園やオフィス街が広がっており、比較的治安が良さそうな感じ。チェックインした日の翌朝には、目抜き通りでマラソン大会が開催されており、たくさんの出店も並んで大変賑やかでした。


 
ネットで予約した時の金額が比較的リーズナブルだったので、ある程度のことは覚悟していましたが、そんな不安は全くの杞憂。客室はとっても綺麗で居住性良好でした。



今回の客室は46階だったか47階だったか、とにかく高層階なので、客室からの眺めは抜群。猿と何とかは高い所が好きと言いますが、後者に属する私はこうした高所からの眺望が大好きなので、滞在中は飽くことなく窓の前に立ち、あたかも自分がこの都市の支配者になったかのような気分で、街並みを「睥睨」させてもらいました。


 
fXは巨大なショッピングモールですから、館内ではいろんな店舗が営業しており、もちろん飲食店も多いので、食事に困る心配は皆無。特に2階には寿司・うどん・丼物など日本料理をローカライズさせたようなお店が並んでおり、近年の日本では鳴りを潜めつつあるペッパーランチも営業していました。


 
このfXの4階には、秋元康プロデュース超有名某アイドルグループの姉妹組織である"JKT48"劇場があることでも有名。冷やかしがてら、劇場の前に行ってみますと、ちょうど開演直前の時間だったらしく、現地のアイドルヲタ達が集まってテンションMAX状態。手元のスマホで調べてみたら、原則的にチケットは前売制らしいのですが、比較的容易に当日券も購入できるらしいので・・・


 
旅の恥はかき捨てという日本の諺に従って、当日券を入手し、我が人生で初めてアイドルのライブに参加してみることにしました。会場内はほぼ満員。熱狂的なヲタ君たちの熱気でムンムンです。Google先生のご教示によれば、JKT48は日本の秋元康配下の各グループと同じ楽曲を、インドネシア語に翻訳して歌っているらしいので、本家の楽曲を知っていればインドネシア語がわからなくても盛り上がれるらしいのですが、アイドルにほとんど興味がない私はめちゃくちゃメジャーな曲以外全く知らず、彼女たちに関する基礎知識も無いので、正直なところ、どのように楽しんだら良いのか判らず仕舞いでした。でも、貴重な体験であったことには違いありません。

彼女達のステージを観ながら、ふと疑問に思ったのは、こうしたアイドルグループが宗教の原理主義的な人々から槍玉に挙げられないかという点。みんな難関オーディションを突破しただけあって可愛く粒揃いなのですが、日本から派遣された数名以外のグループメンバーは、現地採用のイスラム教徒が多いらしく(中にはヒンズーや仏教もいるのでしょうけど)、踊りながら、あるいはMC中、フリフリのミニスカートを履いてファンに投げキッスやウインクをしていました。あれ? ここってイスラム教の国だよなぁ。そんなことして大丈夫なの? ひとくちに世界最大のイスラム教徒人口を擁する国とはいえ、信仰の程度には人ぞれぞれ濃淡があり、敬虔な方もいれば取り敢えず程度の人もいるわけですから、十把一絡げにイスラム教と捉える私の考えが間違っているわけで、こうした彼女達のファンサービスを目にして、インドネシアの宗教事情は硬軟の幅が相当大きいことに気づかされたのですが、そうしたユルユルな状況が許されるということは、それを目にして反動的に憤慨する偏狭で原理主義的な輩も発生しかねないのですから、その運営にはいろいろと苦労が絶えないのではないかと、余計な心配を抱いてしまいました。いやいや、そんな屁理屈を考えながら腕組みをして難しい顔をしていたのは、劇場内で私一人だったに違いありません。相変わらず自分の面倒臭い思考回路に辟易してしまいました…。


 
さて話をfXのお店に戻しましょう。ホテルのフロントがある1階には、朝食営業を行っているレストランやスタバなどがあり、地下には大きなスーパーマーケットなど各種店舗が並んでいました。とにかく店舗の数も種類も多いので、ここで滞在すればビルの外に出ることなく、すべて館内であらゆる用事が済んでしまうので、大変便利でした。


 
スーパーには生鮮食料品や日用雑貨など品揃えが実に豊富。明るくて物に溢れた店内にいると、インドネシアで中産階級が確実に増加していることを実感します。店の奥にはお菓子が陳列されており、日本ではおなじみのポッキーの現地版が売られていました。パッケージには「いちご」「チョコレート」など日本語も併記されており、日本メーカーの製品であることをアピールしていました。
またこの店内の日用品売り場では、日本にまつわる変な商品のを発見。いわゆるビーサンで、タグには「konnichiwa まいにちハッピー」と書かれており、明らかに日本を意識しているのですが、驚いたのはビーサン自体に東京の地下鉄路線図がプリントされていること。このビーサンのデザイナーにとって、複雑に入り組んだ東京の地下鉄路線図は、摩訶不思議な幾何学模様に映ったのかもしれません。それにしてもシュールなデザインですね。


 
宿泊中の夕食や朝食は、fX内の店舗を利用しました(素泊まりだったので、朝食もレストランを利用)。2泊目の夕食はインドネシア料理のお店で揚げ物のセットメニューを、翌朝は中華系のお店で炒めビーフンをいただきました。両者とも値段は場所柄、日本とほとんど変わりません。fXはたしかに便利ですが、物価が日本と変わらないので、気をつけないとお金があっという間に減っちゃいます。


●バスウェイに乗ってMONASへ
 
館内ですべての用事が済ませられるのですが、それではちっとも観光にならないので、市街地の超有名な観光地へ出かけてみることに。
ジャカルタは東南アジア屈指のメガシティーであるにもかかわらず、公共交通機関が非常に脆弱で、特に大量輸送機関の整備が遅れており、都市には必須の地下鉄がありません。しかも世界最悪と言われる慢性的な道路渋滞もあいまって、慣れない観光客にとっては移動がとっても面倒で厄介です。地下鉄が無いこの街において、それに近い役割を果たしているのが、バスウェイと呼ばれる路線バス。日本のBRTとほぼ同じシステムで、本数が多い上にバス専用レーンを走るため、渋滞に巻き込まれにくいらしいのです。そこで、このバスウェイに乗って、fXがある市内南部から中央部、そして北部へと北上してみることにしました。

まずは窓口でICチケット購入します。いわゆる一回券は販売されていないので、たとえ1回しか乗車しなくても東京のSuicaみたいなものを購入する必要があります。1枚Rp40,000で、うちRp20,000がデポジット、残りRp20,000が運賃として利用可能なんだとか。購入したばかりのカードを自動改札機の読み取り部分にかざしてゲートを通過します。この読み取り部分の反応が鈍く、2秒弱タッチさせたままにしてようやく反応するような有様なので、ゲートの前には行列ができていました。なお1回あたりの運賃はRp3,500らしいので、単純計算すれば初回購入時のチャージで5回乗車できますね。



車内はこんな感じ。私が乗ったブロックM〜コタの1系統は(おそらく中国製の)連接バス。車掌が乗車しており、ドアが開くと、行き先が書かれた札を見せて乗客を案内していました。また車両の前方は女性専用ゾーンとなっているらしく、これに関しても車掌が注意を払っていました。
乗り始めた頃はまだ車内を撮る余裕がありましたが、中心部へ近づくにつれて混雑が増し、やがて東京のラッシュ時を思わせるようなギューギュー詰めの大混雑に。


 
混雑がひどくなってきたところで下車。上画像がそのバスウェイの外観。



バスウェイを降りて向かったのは、ジャカルタきっての観光名所である「独立記念塔」。インドネシア語では"Monumen Nasional"という名称なのですが、それでは長いので、略して"MONAS"と呼んでいるんだとか。だだっ広い公園のど真ん中に天に向かって高い塔が屹立しており、エレベーターで塔の上に登ることもできるらしいのですが、乗車を待つ長蛇の列ができていたため、ここでは塔を眺めるだけにしておきました。


 
"MONAS"が立つ公園「ムルデカ広場」の北側にどっしりと構える白亜の宮殿は大統領官邸。ということは、麻布出身のあのおばさまも、政変で追い出されるまではここで暮らしていらしたのかしら。大統領官邸と公園のエントランスに挟まれたロータリーの一角では人集りができており、なにかの集会が行われている様子。軍服姿でスカイブルーのベレー帽をかぶっているということは、国連軍関係なのかな?


●コタ
 
"MONAS"から再びバスウェイに乗り込み、さらに北上して終点のコタで下車。バスウェイの停留所はちょっとした噴水広場になっていました。渋滞にはまっている車の間をすり抜けながら、他の人達が進む方へ一緒に歩いて行きます。


 
オランダ植民地時代の面影が残る旧市街地コタ。コロニアル様式の建築物が両側に構える広い歩道では、スタチュー(銅像芸)の大道芸人たちが何人も並び、体は微動だにさせないものの目玉だけを微妙に動かして通行人にチップをせがんでいました。またその手前ではいろんな屋台が所狭しと犇いており、東南アジアではおなじみのバッタモンのぬいぐるみが売られていたのですが、どれも微妙に可愛くなくて残念な感じ。


 

やがてファタヒラ広場に到着。ジャカルタがヴァタビアと呼ばれていたオランダ植民地時代、この広場がヴァタビアの中心だったんだとか。なるほど、広場の四方はいかにもな感じのコロニアル建築で囲まれています。そんな中でも、中央に聳える塔が印象的で抜群の存在感を放っている建物「ジャカルタ歴史博物館」は、1627年に市庁舎として建てられたんだそうで、館内では各種展示品を見学できるそうです(あまり関心が持てなかったので、今回は見学しておりません)。
この広場ではつばの広い帽子をかぶった観光客が、カラフルな自転車にまたがって縦横に走り回っているのですが、かつてのヴァタビア時代にはこのような格好で自転車に乗る光景が見られたらしく、ジャカルタ版レトロを体験してみましょうということで、当地を訪れる観光客に人気なんだとか。でも自転車に乗りながらスマホで自撮りするもんだから危ないのなんの。しかもポップカラーの自転車も、そのペイントがあまりに雑で、塗ったというよりイタズラされたという表現の方がしっくり来る感じ。もっとも、こうしたユルさこそ東南アジアの良いところでもあります。


 
広場を抜けてさらに北へ向かうと、安っぽいテント屋台街や貧民窟一歩手前のような薄汚い街並みとなり、視界から一気に観光色が失われました。海洋博物館と称するものや、何かの跡の前を歩いたのですが、すでに暑さに体が参っており、何が何だかほとんど記憶しておりません。


 
海岸に近い住宅地は下町風情たっぷり。暑くなければもう少し歩いていたいのですが、頭上から照らされる鋭い陽射しが辛く、また車やバイクが通り過ぎるたびに舞い上がる砂埃にも参ってしまったので、適当なところで広場の方へ戻ることに。



汚いドブ川に架かっていた跳ね橋。これもヴァタビア時代の遺構らしく、いまでは観光名所として保存されているようですが、保存のためなのか、無骨な構造物で囲まれており、せっかくの美観が台無しになっていました。


 

慣れない土地で灼熱の太陽に照らされ、ヘトヘトに疲れてしまったので、散策はこれまでにして、ファタヒラ広場に戻り、広場に面する「カフェ・バタビア」でちょっと遅めのランチをとることに。このカフェも植民地時代の1805年に建てられたコロニアル様式。オランダ東インド会社(VOC)の関係者になった気分で入店しました。優雅な佇まいの店内にいる客は、欧米豪か中華系の旅行者ばかり。値段設定、高いんだろうなぁ…。


 
何を注文しようか迷った挙句、テーブルの上に置かれていた写真付きのおすすめメニューをオーダー。のんびり待った後に提供されたものは、半分に割ったパイナップルの中身を刳り抜いてフライドライスを詰め込み、その上に揚げ物を盛り合わせたもの。かなりオイリーなので、胃弱な私にはちょっとヘビー。しかも、これはジャワの料理ではなく、どうやらタイの料理みたい。選択を誤ったかな? フルーツはマンゴー。このほかドリンクを含めて、お値段はRp250,000(約2,200円)。結構なお値段だこと。

さて、胃袋を満たした後は、鉄ちゃんとしての目的を果たすべく、コタの駅へと向かいました。

次回記事に続く。
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サラク山麓 マラン山村温泉

2017年02月07日 | インドネシア
 
引き続きボゴールの南に聳える活火山サラク山の山麓をめぐります。山裾には麗しい田園風景が果てしなく広がり、車窓一面は鮮やかで生き生きとしたグリーンで占められました。


 
前回記事の「チガメア温泉」から山麓を伸びる細い道をひたすら東に向かって約20km走ると、路傍に上画像のようなバナーが掲げられている箇所に行き当たります。ここが今回の目的地。バナーのインドネシア語をスマホで翻訳してみると「温泉浴場へようこそ」と書かれていることがわかったのですが、この他は村の名前が書かれているだけで、温泉名と思しき固有名詞は記されていませんでした。そこで今回の記事では村(マラン山村 Desa Gunung Malang)の名前をとって便宜的に「マラン山村温泉」と称することに致します。


 
周囲は棚田が広がる水田耕作地帯。上述したバナーの下にある分岐から、赤土がむき出しになった泥道へ入って奥へと進みます。まるで朱肉のような紅色の赤土は、火山活動が活発なジャワ島ならではの火山灰土壌です。この辺りの火山灰土壌にはミネラルが多く含まれているので、とても肥沃なんですね。


 
凸凹の泥道を進んで行くと、やがて簡素な骨組みのゲートをくぐります。車でしたらこのゲートの手前に駐車しておくか、あるいはこの泥道に入らず(泥濘にハマってスタックする恐れあり)、分岐手前の舗装された通りの路肩に停めておくと良いでしょう。


 
さらに畑や田んぼの脇を進むと、やがて道が尽き、その先に数台のバイクが停まっていました。


 
突き当たりの右には、小さな川の方へ逸れる小径が分かれていましたので、そこを下ってみると、木の幹や角材の柱にテントを張り付けただけの粗末な屋台が設けられていました。ここが温泉の受付。若夫婦が店番をしており、ミネラルウォーターやジュース類、そしてスナック菓子などを売っています。若夫婦に湯銭のRp5,000を支払い、さらに階段を下ってゆくと・・・


 
下りきったところに、地域の方が湯浴みする公衆露天風呂が黄緑色のお湯を湛えていました。色鮮やかな自生トロピカルプランツに囲まれたこの露天。実にのどかで良い雰囲気です。モルタルと石で固められた質素な浴槽は、3つに分割されており、それぞれの仕切りには切り込みが入っていて、お湯が一方から他方へと流れるような造りになっていました。


 
立て看板には「石鹸やシャンプーを使った入浴禁止」と書かれていました。温泉のオーバーフローを含む全ての水は川へ流れてゆき、その水は下流の田畑を潤しますから、石鹸の類は使えないのですね。その一方、茂みの奥にテントで目隠しされた一角が設けられているのですが、これは早い話が青空トイレ。便器などはなく、ただその場で用を足して、バケツの水で濯ぎ流すだけ。人工物は環境によろしくありませんが、同じく人が作ったものでも、下肥ならば川へ流しても畑の栄養になりますから、問題ないのでしょう。


 
露天風呂に話を戻します。浴槽の湯面では絶え間なく底から気泡が上がっており、湯船周りには湯口らしきものが見当たらないため、この温泉は足元湧出で間違いありません。3つで分割された浴槽のうち、気泡が多く上がっているところが最も熱く、そこからお湯を受ける隣の槽は若干ぬるくなっていました。


 
最も熱いところで計器類を入れてみたら、温度は43.0℃でpH6.49と表示されました。足元湧出ですから、湧出時の温度もこれとほとんど同じでしょう。お湯の色はご覧のように、グリーンを帯びた山吹色に濁っており、既にいろんなお客が入った後ですから、なおのこと強く濁っています。前回取り上げた「チガメア温泉」と似たような泉質であり、具体的には甘塩味、清涼感を伴うほろ苦味、金気味、石膏味、少々の炭酸味、そしてふんわりとした金気臭と土類臭を有しています。



底から絶え間なく上がってくる気泡をお尻に受けながら、最も熱い槽で入浴している私。「チガメア」の湯より全体的にマイルドでおとなしい印象を受けました。でも土類泉らしいキシキシ浴感と全身へのまとわりつきが感じられますし、湯上がりはとてもよく温まってしばらくは汗が引きませんでしたから、間違いなく良泉であると評価できます。

こうして私が湯浴みしていると、空が俄かに掻き曇り、その数分後に篠突く雨が降ってきたので、慌てて湯船から出てテントへ避難するはめになったのですが、現地の方はスコールみたいな勢いの強い雨に慣れているのか、傘など差さず全身ずぶ濡れのまま露天風呂へやってきて、雨宿りをする私を尻目に、雨に打たれながら澄ました顔で湯浴みしていました。そして雨脚が弱まってくると、どこからともなく老若男女が集まり、ざっと数えて15人近いお客さんがこのお風呂で入浴を楽しんでいらっしゃいました。
とてもプリミティヴな造りですが、地域の方々から愛されていることがよく伝わる、素敵な露天風呂でした。





入浴料Rp5,000
備品類なし

私の好み:★★★



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サラク山麓 チガメア温泉

2017年02月05日 | インドネシア

人口100万の都市ボゴールの南方には、標高2211mのサラク山が聳え立っています。私はボゴールのバスターミナル付近に建つホテルに宿泊していたのですが、客室の窓からもその雄姿を眺めることができました。活火山であるこの山の周辺でも温泉が湧いているので、実際にその麓へ向かうことに。


 
ボゴールの市街を抜けるまでは激しい渋滞に巻き込まれましたが、サラク山へ近づくにつれてのんびりとした田園風景が広がり、山麓の傾斜地へ入ると、平坦だった耕作地は幾重にも弧を描く美しい棚田へと姿を変えました。麗美な景色に思わず足を止めてしまいます。


 
ボゴールから1時間40分でようやく目的地の「チガメア温泉(Cigamea)」へ到着です。地図上ではボゴール市街から大して離れていないのですが、何しろ渋滞がひどく、市街を出てからも随所で質の悪い渋滞にハマってちっとも進まなかったため、こんなに時間がかかってしまいました。専用のゲートでRp100,000という高価な入園料を支払い・・・


 
川に沿って伸びる小径を進んで坂道を下って行くと、やがて川岸に屋台が連なるエリアへ入り・・・


 
屋台に挟まれた通路をさらに奥へと進んでゆきます。屋台のまわりにはニャンコがたくさんいて、地べたでジッとしながら私のことを凝視していました。日本でもインドネシアでも、国を問わず温泉と猫は相性が良いようです。


 
小径が川岸と同じレベルまで下ると、温泉らしい施設が目に入ってくるようになりました。手前側に設けられている足湯(左or上画像)は空っぽでしたが、奥の方にある打たせ湯(右or下画像)ではしっかりとお湯が落とされていました。いずれも追加料金無しで利用可能です。


 
上述の足湯と打たせ湯の間に階段があり、そこを上がると追加料金を要する入浴ゾーンとなります。"AIR PANAS"(温泉の意味)と書かれた窓口でRp5,000を支払うと、引き換えに上画像のような半券を手渡してくれました。


 
有料ゾーン内には、2つのアメーバ形をした温泉プールが段違いに設けられていて、いずれにも濃いグリーンに濁ったお湯が張られていました。温泉のお湯であることはわかりますし、実際にたくさんの男性客がこの温泉プールで湯浴みしていたのですが、でもどうしてここまで濃い緑色に濁るのでしょう。バスクリンを溶かしたならわかりますが、そうでないなら、とても衛生的だとは思えません。このお湯を見ていたら、「ドリフ大爆笑」の「もしも威勢のいい銭湯があったら」という名作コントを思い出してしまいました。ご覧になればわかりますが、コントのお風呂と全く同じ色をしていますよね。




決して私はコントのいかりや長介みたいにバックドロップ状態でお風呂へぶっこまれたい訳ではありません。私が入りたいのはプールサイドに建つ個室風呂です。個室風呂は4室あり、訪問時には全室空いていたようですが、番号順に客を入れたいのか、窓口のおじさんは私を最も右側の1号室へ通しました。


 
室内にはタイル張りの浴槽がひとつあるばかりですが、部屋自体は4畳近い広さがあるので、個室風呂にありがちな圧迫感はさほど伝わってきません。窓は鎧戸になっており、その隙間から漏れてくる光で室内は十分な明かりが確保されています。室内に棚はなく、窓枠に打ち付けられたフックがあるだけ。シャワーなどの水栓類も無く、至って簡素なお風呂です。



入室時、浴槽の湯面は一面が石灰の結晶で覆われていました。このお風呂をしばらく誰も使っていない証と言えるでしょう。タイル張りの浴槽は2人サイズで、詰めれば3人でも入れそう。私のように1人で入れば王様気分です。後述する湯口から注がれたお湯は、浴槽右奥のオーバーフロー管から排出されています。この周りだけは湯面の結晶が吸い込まれてしまうので、そこだけお湯が露わになっていました。


 
浴槽中央の湯口からトポトポと落とされているお湯の温度は43.0℃。もしかしたらここへ供給される前に加水されているのかもしれませんが、実際のところはよくわかりません。湯面を覆う結晶の下には、オレンジ色を呈するお湯が張られており、明らかに屋外の温泉プールとは違う色合いと濁り方が異なっています。この個室風呂のお湯こそが、チガメア温泉の本来の色合いであり(更に言えば湧出時は無色透明だったはず)、屋外のお湯は劣化がかなり進んだ後の姿なのでしょう。浴槽内の水色タイルは温泉成分によってうっすらとオレンジ色に染まっており、殊に湯口周りでは濃くはっきりと金気のような色が着いていました。


 
湯使いは完全放流式。湯加減38.8℃という長湯仕様。pH値は7.11でした。
湯口のお湯をテイスティングしてみますと、甘塩味、清涼感を伴うほろ苦味、石膏味、そして弱めの金気味が感じられます。見るからに金気が強そうな色合いですが、実際に金気は然程強くはありません。その代わり、弱いながらも炭酸味がしっかり得られました。そして石膏系の匂いと金気臭が嗅ぎ取れました。おそらくは含食塩-重炭酸土類泉かそれに近い泉質かと思われます。
このお湯を手桶で掛け湯をしてから・・・



入浴させていただきました。ちょっとぬるめなので、湯疲れすることなくいつまでも入れますし、湯船は広くお湯の鮮度も良いので、入り応えも十分。貸切なので日本と同じスタイルで湯浴みできるのも嬉しいところ。湯中では温泉が肌のシワ一本一本へ砥の粉みたいに入り込み、全身にまとわりつくようなしっとり感で包まれます。日本の温泉で例えるなら、大分県の長湯温泉、あるいは鹿児島県の新川渓谷温泉郷(妙見や安楽といった各温泉)といった濁り湯に近いかもしれません。40℃未満なのに湯上がり後は全身しっかり温まり、しばらくは汗が引きませんでした。今回は立ち寄り入浴のみの利用でしたが、もし可能ならば宿泊してじっくり何度も長湯してみたくなるような、湯治向きの良いお湯でした。


 
参考までに入浴前と入浴後の湯船を比較してみましょう。入浴前は湯船一面を結晶が覆っているため白く見えますが、私が湯船に入ると結晶は全て排水溝へ流れ去ってしまったため、オレンジ色のお湯が全貌を現しました。

さて、お湯に満足して個室から立ち去り、小径を歩いてゲートの方へ戻ろうとすると、受付のおじさんが必死の形相で私を追いかけてくるではありませんか。インドネシア語で訴えかけるので何をしゃべっているのかわからなかったのですが、どうやら個室風呂には更に料金が必要とのことで、その額はRp30,000。てっきりRp5,000の中に個室風呂料金が含まれているのかと思いきや、別料金だったようです。とはいえ、彼の口から出た金額は事前に調べていた料金よりもはるかに高いので、私はボッタクられているのではないかと懐疑的だったのですが、昨日の「チソロック噴泉」の公園内にある温泉プールの個室がRp50,000だったことを思い出すと、現在の相場はそんなものなのかもしれないと強引に自分を納得させ、面倒ないざこざは嫌なので、言い値を彼に手渡して公園を立ち去りました。結局この温泉公園では合計Rp135,000(日本円で1,200円弱)も支払ったのですが、インドネシアの物価から考えると結構な高額なので、料金に関しては悪い後味が残ってしまいました。お湯が良かっただけにちょっと残念でしたが、いまのインドネシアの物価ってそんなものなのでしょうか…。




入園料Rp100,000、温泉ゾーン入場料Rp5,000
備品類なし

私の好み:★★+0.5
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スカブミ県プラブハンラトゥ チソロック温泉プール

2017年02月03日 | インドネシア

前回記事で取り上げたチソロックの噴泉は、川に沿って複数の噴泉が噴き上がっている、つまり川に沿って複数の源泉が露呈しています。そうした源泉のお湯を集めて温泉プールにしている施設が公園内にあるので、続いてそちらにも入ってみることにしました。まずは窓口のおじさんに料金を支払います。


 
ゲートの右前には半円形の湯溜まりがあり、温泉熱の影響なのか、数メートル手前でも裸足で歩けないほど地面が熱せられています。そして湯溜まりには竹竿がかけられ、温泉卵が作れるようになっていました。


 
貯湯槽の底からお湯が上がり、大変クリアなお湯が張られていました。ここに近づくだけでも猛烈に熱いのですが、受付のおじさんに見守られながら温度計を差し込んだところ、86.6℃という高温が計測されました。おそらくは噴泉もこれとほぼ同じ温度で噴き上がっていたものと推測されます。湯面からはふんわりと硫化水素臭も香ってきました。


 
構内には2つのプールがあり、プールサイドをニワトリがうろついていました。実に長閑な雰囲気です。


 
受付のおじさんは、構内へ入場した私をまず個室風呂へと案内しました。プールサイドに個室風呂棟が建っています。


 
個室風呂の内部はこんな感じ。個室ならば裸で入れますが、閉塞的で退屈な上、設備に見合わないような高い料金設定(Rp50,000)でしたので、今回はお断りし、プールのみの利用にしました。


 
上述のように構内には2つのプールがあるのですが、訪問時、手前側のプールには誰も入っていませんでした。それもそのはず、プールのお湯はなんと51.3℃もあったのです。いくらなんでも、熱いお湯に入り慣れている私でも、これでは無理です。お湯自体はクリアに澄んでいるのですが、たとえ綺麗であっても熱すぎては意味がありませんね。有料施設なんだから、加水して入れるよう配慮してくれたら良いのに…。



熱いプールの端っこには、源泉につき熱いので注意、という旨が書かれた札が掲示され、先述の半円形湯溜まりから直接お湯が引かれていました。ここのお湯に本当に熱いので、触れたら間違いなく火傷します。お湯の流路はアイボリー色に染まっていたのですが、これは温泉の影響なのでしょうか。


 

奥にあるもう一つのプールにはお客さんの姿が見られました。こちらはアツアツだった手前側のプールからお湯を受けており、熱湯もここまで至るとすっかり冷めているのですが、その代わりお湯は鈍り気味で少々の濁りが発生しており、底には怪しい沈殿が沈んでいました。


 
奥のプールの水温は38.6℃で、pH値は8.10。この小さな画像でも、お湯の濁りや沈殿が確認できますね。この沈殿がはっきり湯の花とわかるなら問題ないのですが、どうやら湯の花とは違う物質のようなので、衛生面が気になります。



せっかくなのでこのプールに入ってみたのですが、私が入浴すると、沈殿が舞い上がって湯中でたくさん浮遊してしまいました。おいおい、野湯じゃないのに、この浮遊は大丈夫か…。でも温度がちょうど良いので、一旦慣れちゃうと、意外にも気持ち良く感じられました。湯中では弱いツルスベがあり、湯温が40℃未満でも外気温が高いため、長湯するとしっかり逆上せちゃいます。入ったり出たりを繰り返しながら、湯浴みを楽しみましたが、この温泉プールははっきり言って好き嫌いが分かれるでしょうね。わざわざお金を払うのなら、個室風呂を利用するか、あるいはこの施設自体を利用しないで川の噴泉だけで満足するかのいずれかが良いように思われます。

入場料Rp2,500


●プラブハンラトゥの漁港と市場
(以下、温泉とは関係の無い旅行記です)

 
チソロック噴泉は地域屈指の観光地だけあり、公園の出入口ではバイクタクシー(オジェッ)のお兄ちゃんが客を待ち構えていますので、帰りの足の確保を心配する必要はありません。お兄ちゃんの一人は「プラブハンラトゥの街までRp50,000でどうだ」と吹っかけてきたのですが、そんな高いはずはないので、最終的にRp20,000に値切って街まで乗せてもらうことにしました。それでもおそらく地元客よりはるかに高い金額だと思いますが、私は相場を知らないので、これ以上はどうしようもありません。
噴泉から25分ほどでプラブハンラトゥの街に戻ってきました。


 
プラブハンラトゥはインド洋岸の漁港の街。私は地域生活の活気が伝わってくる市場を巡るのが大好きなので、当地では漁港へ行ってみることにしました。


 
私が訪れたのは午後でしたから、既に水揚げの大半を終えており、船溜まりには仕事を終えたたくさんの漁船が係留されていたのですが、どの船もポンコツばかりで、命がけで日本海を渡ってくる脱北者の密航船と大して変わりないように見えます。
船溜まりの目の前には広い競り場が設けられていましたが、こちらも既に競りは終わっており、広いスペースを活かして網の修繕が行われていました。


 
 
競り場の裏手には、漁港で揚がった魚を売る露店が並んでいました。カツオ、タチウオ、マナガツオ、赤魚、様々な青魚、大小様々なエビなど、多種多様な魚介が陳列されていましたが、いくら日差しを遮っているとはいえ、暑い中、しかも午前中から長い時間店頭に出しっ放しにされているらしく、乾きかかった魚たちから発せられる生臭さがちょっと気になりました。


 
漁港から西へ歩くとインド洋のビーチが広がります。私は海を見ると条件反射で泳ぎたくなるのですが、遠浅の海だからか、海水は砂が舞い上がって濁っており、あまり綺麗ではなく、ここでは泳ぐ気になれませんでした。ちなみにこのあたりのビーチは波が高いため、サーフィンで有名なんだとか。


 
漁港の正門前には萬物を扱うマーケットがあるので、こちらにも入ってみることに。衣類だったり食品だったりスマホだったりと、あらゆる物が狭い通路に沿ってギッシリと山積みにされていました。


 
マーケットの屋外に並んでいるのは、フルーツを商う屋台。どれか買ってみたかったのですが、少量の購入は難しそうだったので、ここでの購入は断念…。


 
マーケットの裏手がバスターミナルです。待機中のボゴール行バスに乗車。車内ではバラエティ番組のDVDが大音量で流されていました。時刻表が無いので、車内でバスが動き出すのをのんびり待つほかありません。私が乗ったバスが発車したのは、乗車した35分後。時計を見たら17:00ちょうどだったので、一応正時の出発と決まっているのでしょう。
復路は往路以上の渋滞にはまり、しかもスコールのような激しい雨にも見舞われたため、ボゴールへ到着まで4時間以上もかかってしまいました。幸い排泄を催すことは無かったのですが、車内にトイレは無いので、もし催したらどうなっちゃうんだろう…。インドネシアのバス旅は結構くたびれます。







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