パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

死について考える

2006年12月28日 | Weblog
12月28日(木)
楽しかったクリスマスも終わり、その翌日、娘一足先に帰省。
未だ一人で空港へ行けないので、連れていく。
これがめんどくさい。
モノレールを降りた所で、教室の生徒さんO君を見かける。
ひゃ~こんな所で、こんなたくさんの人たちの中で、よくぞ会ったものだ。
前日の家族でのお出かけの時は、日本橋でこれまた教室の生徒さんK君とばったり。
お互いびっくり!である。
いつも元気なK君、「おばあちゃんと銀座へおでかけなんだ!」

先週あたりだったか、朝の連ドラ「芋たこなんきん」で、
小学生のきよしくんが死を恐れるあまり、夜も寝ない、
交通事故を恐れて、外出も嫌がるというくだり。
私も、そういう時期があったし、死は未だに怖い。
自分が死ぬ事も、家族や知人が死ぬ事も怖い。
死というものにまつわる全てが怖い。
死体も怖い。
動物の死骸も怖い。
はえや蚊くらいなら平気だが、それ以上の蝉クラスからもうダメだ。
蝶も、バッタもダメ。
お葬式も、できる限り不義理して、出ない。
この年になって、火葬場へ行ったのは、高校生の時の
母方の祖母の時だけだ。
この時も、ただその場にいただけで、お骨は拾っていない。
だから私は火葬されて骨になって・・ということも実際ピンとこない。
亡くなったおじいちゃんおばあちゃんのお葬式で、
お棺にお花を入れてあげる時も、怖くて目をつぶりながら入れてしまった。
じーちゃんばーちゃんすまない。
無宗教の不信心な私である。
死後の世界ってどうなっているのか予想もつかない。
霊とかも、よくわからない。
ただただ怖いのみである。
幽霊も、存在を否定はしないが、会いたくない。
すぐ近くにいてもいいから、私にその存在を気づかせないようにしてほしい。
そんな私であるが、江原啓之氏の「天国からの手紙」は、結構見てる。
彼の力とか、そういうことはあまりよくわからないけど、
彼が、残された家族に与える言葉は、打ちひしがれている家族に前をむかせるきっかけになっていると思う。
死は相変わらず怖いけど、この年になったら、死は身近なものになりつつあるのだから、生き方とか、親の事とか、考えなきゃいけないなあと思いつつ、
号泣しつつ、江原氏の言葉をきいたのであった。
コメント
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