パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

ハーフネルソン

2017年07月04日 | 本・マンガ・テレビ・映画
7月4日(火)曇り

先週末、映画の日だったので娘と新宿に映画「ハーフネルソン」を観に行く。
今、ワタクシの中でのマイブーム『ライアン・ゴズリング氏』が出ているのだ。

  歴史を教える教師、ダン。
  型にはまらない授業で生徒たちの信望を集めているが、一方でドラッグに溺れてる。
  羽交い締めにされたような苦しい日々の中で、彼の秘密を知った女子生徒・ドレイとの間に不思議な友情が芽生え―。
  『ブルーバレンタイン』制作陣が贈る、闇を抱えた教師のどん底からの再生物語。

この内容紹介だけ見ると、なかなか素敵な、前向きな、微笑ましい映画に思えたのだが・・・
なかなかに難しい。
我が母が、映画「この世界の片隅に」の感想を「わからなかった」と言って以来、ワタクシと娘の間で「わからなかった」という感想が流行っている。
いや、さすがに「理解できなかった」とまでは言わないが、娘曰く「ミニシアター向けって感じ」
ワタクシは「アメリカの、いや、世界の諸問題を知ってから観たかった」←まあ、この、全般的に知識が欠けているというのは何を観てもいつも思う反省なのだが・・・
それを差し引いたとしても、ダン先生は弱い。弱すぎるっっ!
ドラッグに溺れる人の気持ちがわからないからなあ〜ワタクシ。
そもそも何かに溺れる(悪い意味でね)ということがないからね〜
許されない愛に溺れてる人とか、世間から非難されるような趣味趣向のある人なら少しは理解できるのだろうか。
やめたい、やめられない、やめたい、やめなければ・・・という感情。
ワタクシは、ゴズリンの肩を揺さぶりながら「ドレイのためにもドラッグやめるべきっっっ!」と説教したい気にはなったが、同感や同情はできなかった。
よって少し醒めた目で見ていた。

それにしても、新宿には映画館も多いし、映画人口密度も高い。
「映画の日」ということもあったのだろうが、「ハーフネルソン」も小さい映画館だからと1時間前に行ったにもかかわらず、
3階からずっと長蛇の列が1階まで続いていた。
それも、老若男女幅広い。
人の頭越しにスクリーンを見ながら「みんな、理解しながら見てるのかなあ〜」とか「映画が好きなんだろうなあ〜この人たち」とか思いながら見る「エセ映画好き」nでありました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする