9月18日(水)雨
ボランティア活動の一環である朗読会は、佐野洋子著「ヨーコさんの言葉」から抜粋したエッセイに決めた。
ワタクシなりに、構成を考え、少々重い(暗い)テーマになってしまったが、「完璧!」と思っていた。
が、練習というか、会でのリハーサルでご披露すると・・・
毎回厳しいFさんから「年齢がご高齢のかたが多いから、テーマが少し重いわね〜」と渋い顔をされる。
う〜む・・・帰宅して夫に文句言いながら聞いてもらうと夫も「ガンの話が二つってきついかも」
たまたま来ていた娘も「これ、絵があるから救われるけど、朗読として聞くとね〜」
しょうがないので7つのうち2つを削る。
ガンとか死とか確かに重いけど、佐野洋子さん独特の感性で、さらりと、でも大事なことを言ってると思うんだけどなあ〜
と、少々不本意な感じになって一気にやる気ゼロになる(・・・おとなげない)
さっと読んでさっと帰ってこよ〜っと。
図書館に通い詰めたおかげで、最近また読書の秋である。
久々に穂村弘氏のエッセイを読んでは「やっぱりこの人とワタクシは、人間を構成している成分が同じだ!」
例えば・・・「肝のサイズ」というタイトルの話では・・・
穂村氏が子供の頃の家族旅行で、食堂車に行った時、彼は荷物を持って行こうよと言うが、ご両親は平気平気!と座席に荷物を残したまま食堂車へ。
彼は、心配で心配で食べ物の味がわからなかった。
この旅の思い出は食堂車のオムライスでも、車窓の富士山でもなく、座席に戻った時に荷物がちゃんとあってホッとしたってこと。
なんて切ないっ!
ワタクシもそういうところがある子供だった。
旅の話でいうと、いとこ達と列車で両親の実家に帰省したことがあった。
お調子者のおぢさんが停車中のホームに降りてジュースだか冷凍みかんだかを買うのだが、
発車ベルの音が鳴ってからギリギリ駆け込むということを、駅に止まるたびにやる。
小学生のワタクシは、いつかこの悪ふざけのせいで彼が乗り遅れるんじゃないかとハラハラしていた。
それと、駅ごとに窓側の席を交替するという決まりを従妹と作ったのだが、自分が窓側の時にばかり駅間の距離が短いような気持ちに襲われたりして、全く車窓を楽しめなかった。
こんな肝の小さいワタクシ達だ(穂村氏と同化している)
連れ合いは肝のでかい人を選ぶべきだ。
ワタクシの場合、夫は肝がでかいというわけではないが、ワタクシの肝の小ささを補えるだけの下準備をしてくれる気がする。
ワタクシが心配したりビビったりすることを、彼が論理立てて「・・・だから心配はいらないのだ」と言ってくれるので安心できるというのは非常に助かる。
穂村氏の奥様って一体どんな方なのだろう、と思っていたら、今回のこのエッセイには時々妻の話が出てきて、すごく納得する。
紛れもなく肝のでかい人だと思う。
なぜそう思ったか。
「お菓子の話」というタイトルのエッセイでは、その名の通りお菓子の思い出話を夫婦でしているのだが・・・
妻が思い出したように言うには・・・
お店でお母さんが買い物してて、レジの前で待ってた彼女はそこにあったサイコロキャラメルの大きさに驚く。
そして、それをそこで勝手に食べてお店の人に怒られたという思い出。
物心ついた頃から小心者のワタクシには信じられない。そんなことするなんて。
それはお店の人に怒られて当たり前のことだし、ずっとそれを覚えているということは、怒られたことも含めての彼女の衝撃だったのだろう。
まあ、親の育て方の影響大ということもあるけど、でも、ワタクシは、きっと教わらなくてもそういうことはしないできない。
生まれ持った性格が、そんな危険なことはさせない。
そして、そういうことをしちゃう肝の据わった子供は、大きくなって「あのお店で怒られた時に食べたサイコロキャラメルは格別に美味しかったな〜」というような思い出しかたをするのだろう。
別の章で、穂村氏がデートした女の子から「どうしたの?鼠の顔して。」と言われた話もある。
彼は、こういう女の子がタイプなのね。
きっとこの女の子も肝がでかい。
なぜなら肝の小さい女は、たとえ彼の顔が鼠に見えるほどオドオドしてると気づいても気づかないふりをする。
そして心のメモに「穂村くん、マイナス5点」と書く。自分こそ蝙蝠のような顔をして。
ワタクシは肝の据わった人にものすごく憧れる。
ボランティア活動の一環である朗読会は、佐野洋子著「ヨーコさんの言葉」から抜粋したエッセイに決めた。
ワタクシなりに、構成を考え、少々重い(暗い)テーマになってしまったが、「完璧!」と思っていた。
が、練習というか、会でのリハーサルでご披露すると・・・
毎回厳しいFさんから「年齢がご高齢のかたが多いから、テーマが少し重いわね〜」と渋い顔をされる。
う〜む・・・帰宅して夫に文句言いながら聞いてもらうと夫も「ガンの話が二つってきついかも」
たまたま来ていた娘も「これ、絵があるから救われるけど、朗読として聞くとね〜」
しょうがないので7つのうち2つを削る。
ガンとか死とか確かに重いけど、佐野洋子さん独特の感性で、さらりと、でも大事なことを言ってると思うんだけどなあ〜
と、少々不本意な感じになって一気にやる気ゼロになる(・・・おとなげない)
さっと読んでさっと帰ってこよ〜っと。
図書館に通い詰めたおかげで、最近また読書の秋である。
久々に穂村弘氏のエッセイを読んでは「やっぱりこの人とワタクシは、人間を構成している成分が同じだ!」
例えば・・・「肝のサイズ」というタイトルの話では・・・
穂村氏が子供の頃の家族旅行で、食堂車に行った時、彼は荷物を持って行こうよと言うが、ご両親は平気平気!と座席に荷物を残したまま食堂車へ。
彼は、心配で心配で食べ物の味がわからなかった。
この旅の思い出は食堂車のオムライスでも、車窓の富士山でもなく、座席に戻った時に荷物がちゃんとあってホッとしたってこと。
なんて切ないっ!
ワタクシもそういうところがある子供だった。
旅の話でいうと、いとこ達と列車で両親の実家に帰省したことがあった。
お調子者のおぢさんが停車中のホームに降りてジュースだか冷凍みかんだかを買うのだが、
発車ベルの音が鳴ってからギリギリ駆け込むということを、駅に止まるたびにやる。
小学生のワタクシは、いつかこの悪ふざけのせいで彼が乗り遅れるんじゃないかとハラハラしていた。
それと、駅ごとに窓側の席を交替するという決まりを従妹と作ったのだが、自分が窓側の時にばかり駅間の距離が短いような気持ちに襲われたりして、全く車窓を楽しめなかった。
こんな肝の小さいワタクシ達だ(穂村氏と同化している)
連れ合いは肝のでかい人を選ぶべきだ。
ワタクシの場合、夫は肝がでかいというわけではないが、ワタクシの肝の小ささを補えるだけの下準備をしてくれる気がする。
ワタクシが心配したりビビったりすることを、彼が論理立てて「・・・だから心配はいらないのだ」と言ってくれるので安心できるというのは非常に助かる。
穂村氏の奥様って一体どんな方なのだろう、と思っていたら、今回のこのエッセイには時々妻の話が出てきて、すごく納得する。
紛れもなく肝のでかい人だと思う。
なぜそう思ったか。
「お菓子の話」というタイトルのエッセイでは、その名の通りお菓子の思い出話を夫婦でしているのだが・・・
妻が思い出したように言うには・・・
お店でお母さんが買い物してて、レジの前で待ってた彼女はそこにあったサイコロキャラメルの大きさに驚く。
そして、それをそこで勝手に食べてお店の人に怒られたという思い出。
物心ついた頃から小心者のワタクシには信じられない。そんなことするなんて。
それはお店の人に怒られて当たり前のことだし、ずっとそれを覚えているということは、怒られたことも含めての彼女の衝撃だったのだろう。
まあ、親の育て方の影響大ということもあるけど、でも、ワタクシは、きっと教わらなくてもそういうことはしないできない。
生まれ持った性格が、そんな危険なことはさせない。
そして、そういうことをしちゃう肝の据わった子供は、大きくなって「あのお店で怒られた時に食べたサイコロキャラメルは格別に美味しかったな〜」というような思い出しかたをするのだろう。
別の章で、穂村氏がデートした女の子から「どうしたの?鼠の顔して。」と言われた話もある。
彼は、こういう女の子がタイプなのね。
きっとこの女の子も肝がでかい。
なぜなら肝の小さい女は、たとえ彼の顔が鼠に見えるほどオドオドしてると気づいても気づかないふりをする。
そして心のメモに「穂村くん、マイナス5点」と書く。自分こそ蝙蝠のような顔をして。
ワタクシは肝の据わった人にものすごく憧れる。